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(回答先: コピペとしてまとめました 投稿者 ブッダの弟子 日時 2008 年 8 月 10 日 23:01:22)
橋前勇悟さんの文章はかなりの説得力があります。
私の級友達にも同じ人達がいました。
しかし、
分断統治以前の問題が本当は大きいのではないのかな?
実はこのような秀才を育てたのはその親達であったという例が多いのではないでしょうか?
最近では秋葉原事件の犯人である加藤君の親の例があります。
私の知人・級友達で「無理な秀才達」(「上げ底の秀才達」)はコンプレックスをもった親達に育て上げられて仕立て上げられていました。
ではその親達のコンプレックスの由来は何処から来ていたと考えられるのでしょうか?
それは江戸時代の身分制度から来ていると考えるべきではないでしょうか?
明治初めの将校達は武士の出身者達で占められていました。
彼らの中には頭の悪い人も多かったのですが、戦い方を知っていて責任の取り方も知っていたのです。
それで日清戦争や日露戦争で国際情勢的には不利な大国を相手にしての戦いにも知恵も度胸も十分に発揮できたのです。
ところが、江戸時代に武士に対する地位的コンプレックスを抱いていた大商人達や庄屋達は試験を通れば武士の様な将校になれるので競って子供達に士官学校を受験させたのです。
ところが頭はいいが応用がきかず、さらに責任感の薄い将校達が多く生産されてしまいました。
大学教授や官僚も同じでしよう。
軍人になるほど体力に自信が無くても「試験に通る自信がある」といった秀才達が大量生産されました。
それは、親達の欲とコンプレックスが生み出したものです。
そして一方、試験に弱い(頭が悪いわけではない)人達はいまいましいから秀才を虐めにかかったわけです。
問題は人間のコンプレックスが発生した基盤とそれによる歪んだ欲望ではないでしょうか。
江戸時代はやはり無理を含んだ時代であったと言えるでしょう。
安藤昌益の喝破したとおりでありましょう。
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