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http://mainichi.jp/enta/art/news/20080724dde018070045000c.html
今回のゲストは、ジャーナリストの魚住昭さん。元々、検察を取材してきたが、近年は特に、野中広務、村上正邦両氏ら保守政治家たちについて書いてきた。最近は、鈴木宗男衆院議員や元外務省主任分析官の佐藤優氏との交友も目立つ。なぜ、「古い」保守政治家らに注目するのか。中島岳志さんが聞いた。【構成・鈴木英生、写真・丸山博】
◇評価できる田中角栄的政治−−魚住さん
◇いわば疑似社民主義だった−−中島さん
中島 野中さんの話を読み、彼は矛盾や苦悩を抱きつつ、政治を突破しようとした人間だと思いました。だからこそ過剰な権力闘争を繰り返すという問題がある。そもそも、どんな政治家にご関心がおありですか?
魚住 一番大きく映る政治家は、田中角栄です。以前は、田中的な政治腐敗への批判がすごくて、僕も例に漏れず、清潔か腐敗かで政治を見ていた。
ところが、野中さんの取材で彼の地元、京都府園部町(現・南丹市)に行き、印象が変わりました。最初は彼を腐敗政治家だと見ていた。ところが、地元で取材すると違う。野中さんが町長だった8年間で、過疎の町がモデル自治体になった。道路や学校、浄水場などのインフラを整備した。住民への姿勢も印象的。町役場の玄関に、たとえば「窓口と相談係には、(町民の声を)聞き捨てにするくず箱はありません」と張り紙した。
「これはすごい」と思いましたね。ある意味、野中町長と同じことを全国レベルでやったのが田中角栄だった。確かに金権腐敗政治だが、少なくとも、民の生活を良くしようとした。
ちょうど同じころ、小泉政権が始まり、むき出しの資本主義が暴れ始めたわけです。田中的政治の方がいい、と思った。政治に幻想を抱かなければ、田中型の「土着的な社民主義」は良かったと思うようになった。
中島 田中的政治は、疑似社民主義とでも言うべきものですね。土建業などと癒着した公共事業のばらまき政治。それが所得の再分配もした。この疑似というか腐敗を問題にしたのが、政治改革だった。それが、結果的に社民主義まで押し流した。
魚住 それと、特にこの数年、政治とは政治家が官僚の台本でやっているものではないかと思うようになった。言い過ぎかもしれませんが。田中派時代は、政治家が官僚を辛うじて抑えたからこそ、所得の再分配が可能だったのでは。社民主義と官僚主義の二つの点で、時代の転換を感じています。
中島 政治家像も変わったというか……。見た目が重視されて、ビジョンや哲学、人間観がなくなったように思います。今のある種の政治家は、一見政策通でも、人間観や思想がないから政策がどんどんぶれる。古い政治家には、「弱者を切り捨てない」とか、ぶれない軸があったのでは。
魚住 ハンセン病訴訟の原告団の人が、野中さんを「痛みの中に体を置ける人」と評しました。彼は他人の痛みを我がものにできる、まれな人なんです。それは、自らの被差別体験があるからだと思う。村上さんも、筑豊の炭坑労働者の息子で、自身も労働運動をしてから東京に出た。在日韓国・朝鮮人が虐待される姿も目にしている。野中さんも村上さんも、「根っこのある政治家」なんです。
中島 新自由主義と社民主義の話をすると、多くの社民主義者は、小さな政府で政府の権力も小さくなると思った。そうではなく、小さな政府は権限があるけれど責任を取らない、責任を外注する政府でした。耐震偽装やコムスンの問題などが典型だったと思います。
魚住 小さな政府論に、僕も含めてみんながだまされた。小さな政府と規制緩和の議論が出始めたとき、こんないいことはないじゃないかと思った。
中島 しかも耐震偽装などで見られたように、一つの流れができてしまうと、分かりやすく悪人に見える人がスケープゴートにされる。
魚住 佐藤優さんの事件もそうだったのでしょう。
中島 それでも、佐藤さんは筆力と体力があったからあれだけ回復できた。けれど、普通なら、一度悪役にされた人はなかなか立ち直れない。
いい顔の基準が変わってきたというか。妙に涼しい顔をした政治家ばかり受ける。例に出して失礼かもしれませんが、亀井静香さんの笑顔なんかの方が、僕は信用できるんですが。
魚住 大平正芳や福田赳夫、田中角栄らは、美男ではないが、顔に味があった。今は、手触りのない顔がもてはやされるというか……。鈴木宗男さんは、「顔の悪さ」を逆手にとって活躍していますが(笑い)。
中島 もう一つ、メディアも国家権力も過剰な忖度(そんたく)をしている。NHKの番組改変問題もそう。佐藤さんが言う「国策捜査」も、世論が熱狂しているから、検察は佐藤さんを起訴して時代のけじめを付けるという話。これも、過剰忖度では?
魚住 結局、広い意味での官僚の論理なんです。こういうことが起きたら自分の責任になる、と。過剰な責任逃れの論理が、官僚だけではなく民間にも、染み込んでいる気がします。
同じようなことは、もっと日常の近くにもあります。10年くらい前まで、マンションの出入りは結構自由でしたよね。取材相手の部屋の前まで行けたり、そこまで入れなくとも、マンションの前で取材相手の帰りを待てた。ところがこの数年、入り口で待つだけで警察を呼ばれかねない。住宅街で車を止めて待つだけで通報されたり。
誰も彼もが犯罪者に見えてきたのと、過剰忖度の根は同じだと思うんですよ。僕ら自身の他人を見る目つきが、とても悪くなっている。
◇政治は「より悪くない」が目標−−魚住さん
◇歴史で理念と「型」を振り返れ−−中島さん
魚住 なぜこうなったのか。地域や組合、家族など、国家と個人の中間にある共同性が、失われつつあるからではないか。だから、自分が何かしたらすぐ人に非難されるかもとか、人がすぐ犯罪者に見えるといった警戒心が強まっている。
中島 それと世論との関係で、だまされることの責任という問題もある。戦後、日本人は自分たちの責任を問わず、「だましたヤツが悪い」と東条英機らを批判した。でもだまされる側にも責任はあるのではないか。昨年のテレビ番組での納豆騒動も、構造は同じ。戦前から変わらない、だまされた側の責任を問わずにバッシングばかりを繰り返す世論を危惧(きぐ)しています。
同じような世論の激しやすさが、政治家の人気にも出てきている気がします。政治は利害調整だという保守政治のリアリティーがなくなった。
魚住 片山善博・前鳥取県知事が、政治は「レス・ワース」(より悪くない)の世界だと言っていた。このリアリティーが失われていますよね。
中島 リアリティーのある人は「顔の悪さ」で失脚していく。保守がしっかりした政治をやり、まっとうな社民主義・市民主義が批判勢力となる構図こそ大事だと思うのですが。最後に、これからのお仕事は?
魚住 中江兆民から幸徳秋水、大杉栄、宮本顕治ら戦前、戦後の左翼、さらに大本教など宗教も描く「叛民伝(はんみんでん)」という企画を書き始めました。中江兆民は明治初期、岩倉具視らとほぼ同じルートで欧米を訪問し、彼らと違う結論を得た。それが右翼の頭山満や左翼の幸徳らに受け継がれた。中江は、どちらの源流でもあるわけです。延々と続いた、これら反体制運動の群像を書きたい。
この流れが成功するわけもなかった。ですが、それがどこで間違えたのかを考えることが、必要だと感じているんです。
中島 今は、理念の枠をちゃんと考えると共に、歴史に立ち返って「型」をもう一度見ることが大切だと思っています。僕たちがどこに立っているのか、を知るために。
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◇対談を聞いて
今回名前の出た政治家たちは、人間的魅力にあふれ、ある種の哲学も持った人々だったのだろう。とはいえ、かつて政治家周辺に、腐敗や汚職が少なくなかったことも確か。また、「疑似社民主義」による所得再分配は、環境汚染や無謀な開発に結びついたとも言えよう。弱者の側に立つといっても限界はあり、炭坑での労働争議や空港建設の反対運動など、大規模な反発を引き起こした面も否めない。こうしたマイナスはあった。それでも、今に足りないものを彼らから見いだす意義がある。そう理解するのが、妥当だろう。【鈴木英生】
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■人物略歴
◇うおずみ・あきら
1951年生まれ。一橋大卒。96年に共同通信社会部名義の『沈黙のファイル−「瀬島龍三」とは何だったのか−』が日本推理作家協会賞を受賞した後、フリー。『野中広務 差別と権力』で講談社ノンフィクション賞。その他に『証言 村上正邦』『渡邉恒雄 メディアと権力』など。
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■人物略歴
◇なかじま・たけし
北海道大准教授(アジア研究)。1975年生まれ。最新刊は姜尚中さんとの対談本『日本』(毎日新聞社)。
毎日新聞 2008年7月24日 東京夕刊
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