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2008年07月14日
放射線影響研究所という名の財団法人
7月13日の毎日新聞「発信箱」というコラムに、広岩近広編集委員が興味深い記事を書いていた。
「放影研にのぞむ」というタイトルの、その短いコラムは、「放影研には信頼を損ねることのない決然とした対処を求めたい」という注文で締めくくられている。
彼が言いたい事はこういう事である。
「・・・原爆症認定集団訴訟で国側が連続敗訴しているように、残留放射線による内部被爆の影響はもはや無視できない事が明らかになった。
体内に入った放射線物質は組織細胞を傷つけ、がんに限らず種々の病気との関係も否定できなくなってきた。
それは被爆者が、いわば命と引き換えに残したカルテの積み重ねによってもたらされた結晶だ。
放影研の将来構想を検討する日米の上級委員会は先月、今後20年間は被爆者の寿命、健康調査を継続する、と提言した。
しかし、被爆の影響調査は、そのような時限制で打ち切るのではなく、その影響の詳細が明らかにされるまで、最後まで続けられるべきである。
調べていくうちに、米国が知りたくないような被爆データが増えていくだろう。しかしそれを避けてうやむやに終わらせてはならない。国民の信頼を損ねるような事をしてはならない・・・」
この要旨を読んだだけでは、読者はまだぴんと来ないかもしれない。
しかし彼が指摘している次の事実を知ると、この問題もまた、対米追従の日本政府に対する、痛烈な警鐘である事がわかる。
放影研(正式名称は放射線影響研究所)の前身は、終戦直後の1947年に、米国原子力委員会の資金で作られた原爆傷害調査委員会である。
その原爆傷害調査委員会は、被爆者を呼びつけては、モルモットのように検査しても、治療はしなかった。
この委員会は、明らかに初期放射線の影響を知る目的のために米国がつくった。
そして、このデータは「使える核兵器」の研究に利用された、具体的には小型の地下貫通核兵器だ、と広岩編集委員は推量する。
そして、その初期放射線データが揃ったと判断した米国は、日本国民から批判された米国専管の原爆傷害調査委員会を、日米共管理の財団法人に切り替えた。それが1975年にできた放影研である。
原爆被害者は老齢化し、やがていなくなる。使える核兵器製造の為にデータも十分揃った。だからあと20年もしたら放影研も不要となる。日米共菅の財団法人にして、やがてなくしていけばよい。
もし米国がそのように考えているのなら、今こそ日本はそれを引き継いで、唯一の被爆国として核兵器の非人道性を、「命のカルテの積み重ね」によってもたらされたデータをつきつけて、糾弾していくべきではないか。非核化の世界の実現を訴えていくべきではないのか。
広岩編集委員はそう訴えているのだ。
しかし、残念ながらそうならないだろう。
調べてみると、財団法人・放影研は見事な天下り機関である。
外務省、厚生労働省OBが理事に名を連ねている。三十数億円の補助金が日米双方から負担され、その殆どが人件費に消えている。
核兵器廃絶に向けてその存在感を示すどころか、補助金目当てのその他大勢の天下り機関になってしまうに違いない。
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