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2008年 07月 09日
日本は「過剰警備」と英字紙までもが指摘。その背景とは?
アルルの男・ヒロシです。
昨日、錦糸町から秋葉原周辺を電車にのっていたら、二駅ごとに警察官が数人まとまって電車に乗ってくる。これが世に言う「過剰警備」というやつかと納得させられた。今日のIHTではサミット関連の記事として、「反グローバル活動家よりも警察官が多い洞爺湖周辺」という記事が出ている。
A lockdown on Hokkaido as police outnumber summit protesters
By Martin Fackler Published: July 8, 2008
http://www.iht.com/articles/2008/07/08/business/security.php
私が都内でみかけたこれらの警察官はかなり若く、いかにも「嫌々仕事をやってます」という感じで、二駅ごとに電車を乗り降りしていた。その前の日も東京駅周辺では普段よりも警官の数が多い。しかし、彼等は臨時応援なので道案内もまともに出来ない。こんなだったら、案山子に銃をもたせてたって貰えば良いんじゃないのかと思う。
週刊文春には、洞爺湖サミット警備のパトカーが小学生をはねたが、警察は責任感を感じず、「サミットなので理解して欲しい」という風に言い逃れをしたという記事が出ている。今の警察は、ちょっと傲慢になっているのではないか。日本の警察官の数は多すぎる。日本は治安は良いのだから、これまでの警察官は不要。警察官は、交番でこち亀の両さんみたいにプラモデルでも作ったりゲームでもしていればいい。警察官が住民の役に立つことと言えば、道案内くらいだから。
ただ、色々批判しているが、別に個々の警官には恨みはないし、錦糸町の交番の人は下町っぽくて親切だった。
結局、警察官が増えたのは、原因に1990年代から始まった「雇用の流動化政策」にある。社会の不安定化を名目に治安強化を訴える口実が出来たんだなあと思えるのが、このあいだの秋葉原事件だ。
フリーアルバイターが、フリーター=プレカリアート(ネグリの用語?)になったのは、新自由主義的なグローバリズムという宗教を各国のエリートが信じ始めたためである。例えば、今読んでいるデイヴィッド・ロスコップフの新刊『スーパークラス』には、南米はチリの事例が紹介されている。ミルトン・フリードマンのような「シカゴボーイズ」のポスターチャイルドとして、チリという国は民営化・自由化の優等生である。「自由化が消費者のため」というのは半分の真実でしかなく、本当は民営化利権を一方から他方に譲り渡すだけの話である。
日本の労働市場をみても、グッドウィルの折口とかザ・アールの奥谷らがその利権を得たわけで、雇用政策として優れているというよりは、一部の「リッチ」と「スーパーリッチ」(世界で6000人と言われる)を裕福にさせるために、労働力を酷使するための口実である。富のピラミッドにおける頂点と底辺の格差が拡大している。
そういう社会環境の中にあって、ここ数年活躍している、元右翼で今は赤旗にも登場する、雨宮 処凛(あまみや かりん)女史のような社会活動家、松本哉氏のような若者の一揆を促す運動家たちがでてきた。秋葉原の刺殺事件もあり、社会の不安定化が注目されてきた。その中にあって、警察の増員・動員というのはある意味で「当然の帰結」である。外国人犯罪の増加による治安の悪化はおそらくまったくのウソだが、社会の不安定化によって暴動が起きるという心配は常につきまとうと言うことだろう。つまり、これらの警官はサミット警備の名目で増員されたが、本当は「若者の社会暴動を押さえ込むため」の人員なのである。そもそも、日本でイスラム原理主義のテロが起きるわけがないでしょう。911事件だって、そもそもあれは「巨大ビルの爆破解体ショー」であって、テロじゃないんだから。
若い世代を代弁する、活動家やニート・フリーター支援の人たちは、今のところ半分冗談であるけれども、「要人をテロる」という言葉を使う。確かに秋葉原の事件は、犯行動機が格差社会だけであれば、本来は八重洲や丸の内の経済団体に押しかけるべき筋の話である。(むろん、雨宮女史の『オールニート・ニッポン』などの書籍には「奴らには後釜が幾らでもいるからテロる意味はない」と書いてあり、実際にどうこうするつもりは無いようだ)
それにしても、今のところ、「クリスマスに六本木ヒルズ前の冬空で格差社会を皮肉る“鍋パーティー”」とやっている段階である。本当にデモが暴徒化してしまうということには今のところ為っていないのは警察の監視の強化が進められているからではないか。警官が徒党を組んで歩いているだけでも威圧感がある。私は歌手の嘉門達夫のいういわゆる「小市民」なので「悪いことしてないのに緊張してしまう」クチである。
全体として警察国家化が進んでいるので、シルバー人材センターの爺さんまでも態度がでかくなってきていて、駅前に自転車を止めただけで、このシルバー人材センターの爺さん達は怒り狂う。指を指して「コイツは社会のルールを守らない”ろくでなし”だ」と叫ばれたこともある。「何てひどい言い方・・・」と往年のヒットソングの歌詞で切り返したら、逆に場が和みましたけど。
じゃあ駅前に「無料」駐輪場をちゃんと作れと彼等に要求すると、「それは市や区の仕事だから」と逃げる。そもそも、行政が自転車を所有者に無断で移動し、保管するのは財産権の侵害ではないかと思う。(むろん、自治体相手に撤去料返還裁判をやっても負けると思うが・・・)
面白いのは、これらの若者活動家たちは、「放置自転車撤去反対デモ」というのもやっているらしい。確かに障害者用のブロックのあたりに置くのはマナー違反だとは思うが、一概に自転車を置くなと指導されるいわれはないと思うので、この種のデモには大賛成である。警察をおちょくる「すっぽかしデモ」(デモの申請をしておいてすっぽかして警察の警備を無駄足にするデモらしい)というのもあるらしい。おもしろおかしく権力を茶化すというわけである。
それにしても、『オールニート・ニッポン』のような本を読むと、現在の状況が程度の問題はもちろんあるが、昭和初期の状況に近づいてきているのがよく分かる。昭和当時の賃金格差について書かれた、『「月給百円」サラリーマン』(講談社現代新書)という本があるが、団琢磨のような三井財閥のエリート経営者がテロで殺害された背景には、今アメリカでも話題になっているグローバル企業のexecutive payと一般社員の賃金の格差があったことがよく分かる。そう言う話は、財閥経営者の回顧録だけを読んでいては見えてこない。
今、このような経営者に対するテロ事件が起きるとは思わないが、鬱屈した怒りはネットや、秋葉原の事件で明らかになったように一般市民に向けられている。鬱病を治療するための、抗うつ剤などの副作用が問題をさらにややこしくしていると思う。
雨宮女史のような活動的な人たちはデモや集会をたくさん開催しているが、重要なのは制度を変えさせることであり、そのためには国会議員や企業会長のような人々にゲリラ的にインタビューを仕掛けてみるという方法がある。アメリカの「911事件真相究明家(「ウィー・アー・チェンジ」)」たちは、小型カメラ片手に、デイヴィッド・ロックフェラーからヒラリー・クリントン、アル・ゴアに到るまで、講演会場などで待ちかまえて質問攻勢を仕掛ける。それは動画としてユーチューブにアップロードされているので、瞬時に世界の人々に伝わるわけである。
例えば、経団連や同友会の会長や、あのヘイコウのお友達たち、自民党のグローバリズム礼賛派議員たちの選挙区での支援集会でゲリラ的に質問をぶつけて相手を「しどろもどろ」にしてしまうというのも一つの手である。
日本でそのような「トゥルーサー」が出現することを期待している。
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