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私が世の中に存在している以上、誰かが私に注目してほしいし、誰かが私の言葉にリアクションしてほしい……という感情を持つ人々は、ブログや掲示板に書き込んだ言葉が妙に浮き上がり、黙殺されたり、遠ざけられたりすることに、二重三重の疎外感を感じる。言葉は荒っぽくなり、「殺意」を露出するほど不気味なものとなる。インターネットの「書き込み」と無差別集団殺人の相関関係は、私にはまだわからない。不動の「犯行計画」が事前に存在して、これを冷徹に書きつらねていったのか。それとも、「書き込み」が先鋭化し、やがて自分でも制御出来ないほどの暴走を開始し、惨劇の入口に転落していったのか……それは、まだわからない。 1999年に労働者派遣法が原則解禁されてからは、自動車・電気工場などの生産ラインで働く人々は、ことごとく非正規雇用で時給は下がり続け、貯金どころか生活の維持すらままならなくなった。同時に、重労働だがいつでも誰でも代替可能な工程にいくだけでは「スキルアップ」が望めない。自己承認要求は日常生活の中では抑圧されていて、ネットなどのバーチャル空間に向かう。そこで、何らかの糸口を見いだしたり、自己と他者相互承認が果たせるなら「居場所」になるが、ここでも「空回り」して相手にされないと、まるで「全世界が自分を拒否してきた」という被害感を持つようになる。 世界は君を抱きしめてはくれない。世間は、単体の生物ではないし、ましてや個人をターゲットにして「視野から外す」「コケにする」「嘲笑する」ことなどないのだが、どこへ行ってもどのドアを叩いても「お帰り下さい」「ここに近寄るな」という非承認の回答が束となって数をなしていると、つい世界が、世間が、君を嘲笑い、存在を打ち消すような視線しか投げてこないように感じる。 派遣や非正規雇用で働いている人は、1000万人を超す。秋葉原の大量殺人事件の容疑者がトヨタの下請けの関東自動車から「リストラ(人員整理)」を通告されたというのは重い事実だ。ほとんどすべての人々は、そうした時に我が身をどうして守るのかを知らない。「ぶちきれた」からと大量殺人に走るケースは、ほとんどなかったので、派遣労働が事件を生んだとは言わない。しかし、容疑者が「解雇」を言い渡された時に、労働組合や弁護士会の「労働相談」に電話をかけていたら、どうなっていたのか。 犯行によって犠牲になった人々の未来と可能性は奪いとられた。このような惨劇を繰り返さないためにも、ひやりとする氷のような「孤独」の記号を発散しながら、街やネット空間に漂流している若者たちの「自己承認」の道を探っていきたい。 参考[ガテン系連帯のブログから] 2008年6月27日 厚生労働大臣 舛添 要一 様 私たちは、派遣労働者の支援活動にとりくむNPO、及び派遣会社日研総業の派遣社員でつくる労働組合です。今月8日おきた秋葉原通り魔事件の背景には、労働者派遣の自由化が生み出した、人間の「使い捨て」構造があると私たちは考えています。 ご承知の通り、事件をおこした加藤智大容疑者は、昨年11月から日研総業から関東自動車工業東富士工場に派遣され、塗装工程で働いていました。加藤容疑者の派遣契約は今年4月から来年3月までの1年間でしたが、今年5月26日、関東自動車工業が派遣契約の6月末での中途解約を派遣会社4社にいっせいに通知しました。このため、当初はおよそ200人の派遣社員全員がいっせいに仕事を失うことになり、加藤容疑者もその中に含まれていたことが犯行の重要な動機となっているとみられているからです。 正社員ならば、労働基準法の解雇規制条項や整理解雇の四要件などの判例法理があって、これほど簡単には大量解雇できないのに、派遣社員というだけの理由で、道具以下の扱いで使い捨てられる。派遣労働がもつ、その残酷極まりない「使い捨て」構造の本質が、秋葉原事件では鮮明になったというべきです。 [引用終了] 続きは→ |
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