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2008年07月05日
官僚支配打破の前提は、政治家とそれを選ぶ国民の意識改革ができるかどうかだ
5日朝のテレビ番組で、民主党の長妻昭が、次の選挙で国民が政権選択を行う一つの大きな基準は、自民党と民主党のどちらが官僚支配打破の政治を実施できるか、ということだと言っていた。
この発言を俟つまでもなく、いまや「官僚主導から政治主導へ」という言葉は流行り言葉だ。
そして私は、それが単なる国民に迎合する流行り言葉で終わるのではなく、それが真に実現されなければ日本はかわらないと思っている。
「官僚の中にもまじめで優秀な者もいる」、とか、「官僚を批判するのではなく、使いこなす事だ」などという言葉は一見もっともだ。
官僚の個人攻撃をしてもあまり意味はないし、それを行う事が目的になってはいけない。
しかし問題の本質はもっと大きく、深い。そのような「良識的」な事を言っていては到底官僚支配は変わらないほど、困難な問題なのである。
官僚支配を打破するということは、これまでの政治と行政のシステムを変える問題であり、そのシステムを変える前提は、つまるところ、「官尊民卑」の意識改革に行き着くのだ。
その事を説明する好例として、最近の報道の中から二つの例を取り上げたい。
その一つは年金運用によってもたらされた5兆円の運用損である。
この問題の本質は、「運用損が出た」という事ではない。
いつごろから、そしてどのような法的根拠で、我々から強制的に徴収した年金の原資が、厚生労働省の下部組織、天下り組織のひとつである年金積立金管理運用独立行政法人の手に委ねられるようになったか、私は不詳にもつまびらかでははない。
しかし、その事さえも今ここで問題にしない。
我々が納めた年金の原資が、サブプライムローンなどの危険なマネーゲームに使われていた事を問題にしているのでもない。
金融資本主義を是認してきた我々の経済システムにおいては、個人も、企業も、国とても、もはやマネーゲームに染まり、そこから直ちに、超然として、身を切り離す事は困難だ。
問題は、運用が上手くいった時は国民に還元することなく国家予算の一部として活用、流用、無駄遣いし、損失が出た時には、誰も責任をとることなく、「いままでの運用益があるから問題ない」と、言い逃れて終わってしまう、「官」の優位、「行政」の優位である。
国民の代弁者である政治家は何をしているのか。どういう改善策を行政に迫るのか。本気で追及する政治家が一人でも出てくるのか。
もう一つは、政治活動の報告ビラを集合ポストに投函した共産党市議が、東京地検という行政の一端に書類送検された事件である。
私が驚いたのは、この「恐怖警察」に、政権政党の自民党の政治かも、政権奪取を狙う民主党の政治家も、ともに萎縮し、すくんでいるという実態である(7月5日東京新聞 ニュースの追跡)。
オートロックの外側にある集合ポストには、商売のチラシは黙認だ。ピザ広告も風俗営業の勧誘も放置されている。
それなのに政治家の政治活動である議会報告ビラの配布を官僚が恣意的に取り締まる。
本来であれば政治家が行政の責任者を呼びつけて怒鳴りつけるべきではないのか。
少なくとも直ちに国会でとりあげて国民の判断に委ねるべきではないか。
それなのに、「もう、怖くてできない」、「政治家なら誰でもスネに傷を持つ。批判なんかしたら、警察からメディアにリークされ、袋叩きにあって政治的に殺される。警察批判なんて、与党だって怖くてできないんだよ」などと言う(前掲東京新聞)。
官僚支配の根源は政治家や国民の意識の底にある。
東大、京大出身の高級官僚には勝てないという学歴偏重主義のがある。
国家権力に逆らう事は悪い事だという根拠のない思い込みがある。
この意識がなくならない限り官僚支配はなくならない。
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