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「死に神」に怒る鳩山大臣はなぜ激するのか(保坂展人のどこどこ日記)
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投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 6 月 21 日 10:07:05: mY9T/8MdR98ug
 

「死に神」に怒る鳩山大臣はなぜ 激するのか

一昨日、日本は346年間、事実上の死刑 廃止国だったという記事を書いたら、たくさんの反響を頂いた。アクセスも集中して、この記事を5000人以上の人が読んでくれた。その中には「朝臣などの特権階級に限って死刑にならなかったのではないか」「もっと、根拠を示してほしい」「本当だとしたら凄い」などの意見もあって、もう少し掘り下げて今後、この点を書こうと思っている。ここまで書いていたら、鳩山法務大臣のもの凄い形相の閣議後の記者会見の映像が飛び込んできた。朝日新聞の「素粒子」に「死に神」に例えられたことについて、語気荒く反論をしているニュースだった。目には、うっすらと涙が光っていたようにも見えた。今日は、この点も考えてみたい。

鳩山法務大臣の閣議後の記者会見は、鬼気迫るものであった。死刑執行があった翌日4月18日の朝日新聞夕刊の『素粒子』に、次のような一文が載った。

「引用開始」

永世名人 羽生新名人。勝利目前、極限までの緊張と集中力からか、駒を持つ手が震え出す凄み。またの名、将棋の神様。

永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を貼り、2カ月間隔でゴーサインを出して、新記録達成。またの名、死に神。

永世官製談合人 品川局長。官僚の、税金による、天下りのためを繰り返して出世栄達。またの名、国民軽侮の疫病神。

「引用終了」

以上だ。この「死に神」という表現が、鳩山大臣の逆鱗に触れたようだ。この「素粒子」の最後の「疫病神」を見て、「小泉純一郎=疫病神」と批判していた言説が多かったかなと思い出した。事実無根の中傷や回復不可能の精神的な打撃を受けるような場合は別として、政治家とりわけ大臣が批判的言説にさらされるのは珍しいことではない。なぜ、怒ったのか。鳩山大臣の記者会見を見てみよう。

[6月20日閣議後 鳩山法務大臣の記者会見の概要]

私はあくまでも被害者の立場を強調するが、そりゃ、宮崎さんだって、そりゃ恐ろしい事件を起こした人ですよ。執行しましたよ。でも、彼にだって、人権も人格もあるんでしょ。彼も命を持っていたわけですよ。それは彼のおかした犯罪や司法の慎重な判断、法律の規定で、わたしも苦しんだあげくに執行した、そうやって執行されたんじゃないですか!

彼は「死に神」に連れて行かれたんですか。違うんじゃないですか。私は執行された方々に対する侮辱でもあると思います。私に対する侮辱はいくらでもかまわない。確かにこないだ3人執行しましたよ。トータル13人ですよ。彼らは「死に神」に連れて行かれたんですか、違うでしょう。

私はそういう意味でああいう軽率な文章については心から抗議したいと思いますね。私の政治行動や政治判断は、どんなに批判しても構いません。しかし、まったくもって軽率な欄、表現によって、国民が「悪いことをすれば裁かれた、これはやむをえないことだ」思っている時に、私を「死に神」だと表現することがどれだけ、悪影響を与えるかね。そういう軽率な文章を平気で載せるという態度自身が世の中を悪くしていると思います。

[概要終わり]

鳩山大臣は「自分の政策や政治判断はいくら批判されてもいい」と何度も繰り返している。ところが、「死に神」というのは「執行された方々に対する侮辱」と怒っている。「私に対しての侮辱はかまわないが、かれら(執行された3人)は死に神に連れていかれたんじゃない」と続けている。「(死刑囚だって)人格も人権もあるんですよ。命を持っていたんですよ」「慎重な判断、法律の規定で私も苦しみながら執行した」……こう再読していくと、必ずしもひとつの脈絡で言っているのではない。死刑執行に葛藤があり、苦しい心中を吐露しながら、「死に神」という言葉に不快感をぶつけるのなら理解できるが、執行された3人に代わって「素粒子」の筆者に怒るというのは、無理筋ではないかと感じる。

ストレートに言えば「私(=鳩山大臣)は、死に神じゃない」と言いたかったのだろう。「私は何を言われてもいい。批判は甘受する」というのは、政治家の常套句で、「死に神という言い方は、死刑囚の人権蹂躙」としたのは間接的に「私は死に神じゃないんですよ」と言わんがためのレトリックではないか。

私は、鳩山大臣の死刑の連続執行は、「バンドラの箱を開けた」と思っている。これまでの法務省は、目立たずに、密行しながら、死刑執行のリアリティを出来るだけ押し隠しながら年間ひとりから数人の執行を行ってきた。ところが、鳩山大臣になってから、夜空に打ち上げ花火をあげるように執行責任者である大臣自身が前にのり出して「死刑執行をやりました」「粛々とです」「正義を実現した」と胸を張る。世間に渦巻く感情のルツボと絡まりあい、「そうだ、よくやった」「あなたこそ正義」「法に従って執行するのは当然」と共鳴の声を受け止める。今や、死刑は闇の世界から、白昼堂々の世界の「定例行事」になろうとしている。死刑執行に多くの人か慣れ親しみ、驚きや痛みを感じなくなり、まるで新聞の死亡欄のように
見過ごすようにするのか、法務官僚の描く「21世紀の死刑大国の姿」である。鳩山大臣は、その「突破者」としての役割を負って「死に神」に「死刑囚の名誉のために」激怒して見せる。

「裁判員制度が始まるからと言って、大量処刑国にはならないと思います」という声も届いた。これだけは自信を持って言おう。私は、12月の時点で鳩山大臣の処刑が記録的な数に向けて刻まれていくだろうということを予想していた。そして、その思い切った執行数の増加は、裁判員制度の実施前に「国民の死刑感覚」を改造しておくことと無縁ではない。「驚くな、騒ぐな、死刑は当然だ」「死刑執行は、ニュースではない、当然のことだ」「確定死刑囚が処刑されるのは当然で、処刑されていないことが問題だ」「死刑執行の人数が多いかどうかなんて関係ない。百人だってかまわない」という死刑感覚こそ、死刑存置方針で世界の少数派として孤立している日本が、「国民の圧倒的支持」をつくり出すために必要な意識転換だ。

平安時代から346年間にわたって続いた「事実上の死刑廃止国」だった時期は、制度としての死刑が廃止されたわけではなくて、死刑は減刑されて流罪となるという「死刑執行停止」(モラトリアム)状態だったようだ。死刑の免除は、上流階層に限られるものではなく、庶民にも及んだ。仏教の影響によってもたらされた、世界最古の「死刑執行停止」に国連総会がたどりついた今、「日本の文明と文化、歴史と伝統」を重んじるはずの鳩山大臣が正反対の行脚を始めたことに皮肉なめぐりあわせを感じる。

死刑執行についての冷静な議論の環境を望んでいるが、新聞コラムへ大臣が閣議後記者会見で激怒するという事態の展開で、いよいよ「感情のルツボ」に検証しなければならない多くの論点や、事実がかき消されてしまうことを恐れる。そのためにも、『どこどこ日記』ではしばらく死刑について徹底的に考えていきたい。
 
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保坂氏は、「平安時代から346年間にわたって続いた『事実上の死刑廃止国』」ということを重要なこととしてあげているが、この事実は死刑制度の存廃を考える上で参考になるものではない。当時の仏教では密教が流行し、支配階級であった貴族階級は、密教では実在すると考えられていた「祟り」を恐れていた。権力者が病気に罹るのは権力闘争で殺害した相手の祟りが原因だと信じられた。祟りを鎮めるために殺害した相手の供養行為を熱心に行なった。密教を信仰し、祟りを恐れた貴族階級が信仰上の理由から「死刑の廃止」を行なった、ということが真相だ。それゆえ、死刑制度の存廃を考える上で「平安時代から346年間にわたって続いた『事実上の死刑廃止国』」と言う事実を持ち出すのは妥当ではない。
 


 

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