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2008年06月18日
特定ニュースの過剰報道
18日の読売新聞に、学習院女子大学教授の石澤靖治という人が、実に的確なメディア考を書いていた。
このブログでも私が何度となく書いてきた事である。
他人の意見と私の考えが、これほど見事に一致することはなかったので、ここで石澤教授のその意見を再現してみたい。
「・・・(中国震災、秋葉原事件、岩手・宮城内陸地震などという)大きな事件が飛び込んできた。
しかし、毎日ニュースを見ることを日課とし、仕事にもなっている私にとって、この種のニュースが起きると憂鬱になる。
・・・これらの事件が起きると、メディアは大半の時間をそれに費やすばかりか、その報道が数日間、場合によっては2,3週間続いてしまう。その結果、それまでの重大ニュースも、国内外の重要な情報も突然消える。
このように、一つの大きな出来事が「ニュースジャック」するという傾向は、テレビメディアに多くみられる。中でも、災害報道に力を入れているNHKにその傾向が強い。
衝撃的なニュースは大きく取り上げるべきだし、それがある程度継続されることも了解できる。しかし、問題はその度合いである。
一つの問題に大半を費やすことは、他のニュースを報じる余地がなくなるリスクを負うことでもある。
世の中に起こっていることでも、メディアに取り上げられなければ、それは「事実」として人々に認知されないというのは、ニュースの社会的意義を理解する際の基本である。
私がもし政府や企業の要職にあって、何か都合の悪い事があったら、こんな時期を狙って発表するところだ。
更に指摘したいのは、そのように大量に報道される内容が、一面的であることである。例えば四川大震災についての報道は地元の人たちがいかに大変な思いをしているかという悲惨な話ばがりに視点が固定されていた。
(しかし、私がインターネットで見つけた情報では)現地で救援活動を続けている人が、日本の報道で伝えられていることが現場の状況と大いに違っていてびっくりした、とコメントしていた。
・・・インターネットで、多様な情報に接している現在、受け手は「複眼」を持ちつつある(という事を認識しないと、メディアに将来はない)・・・」
最後の括弧書きは、私が勝手に付け足したものである。しかし石澤教授の言わんとしているところはそれに違いない。
このメディア考は、なにもニュース報道だけに限らない。
もはやテレビ局にとっては、安上がりのバラエティ番組と化した感のある朝から晩まで繰り返されるニュース解説番組もそうである。
いや、むしろその解説番組は、事実を報道するだけにとどまらず、本音を隠し、無責任で同一的なコメントを繰り返して、視聴者に考える時間を奪うという意味で、もっと害がある。
我々は自分の感性を研ぎ澄まし、自分の考えを持たなければならない時代に突入している。
日々のメディアを批判的に見る基本姿勢を持たなければならない。
インターネットの発達は、それを可能にする時代をもたらしつつある。
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