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2008年6月 6日 (金)
誤解招く「負担減少7割」政府説明と沖縄県議選の関係
「カナダde日本語」、「神州の泉」、「雑談日記(徒然なるままに、。)ならびに「国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」」の主宰者様、早速、ブログ等で私のメッセージをご紹介くださいましてありがとうございました。深く感謝申し上げます。本当の意味で日本をCHANGEさせるために、心ある者が結束、協働することがとても重要な意味を持つ時期にさしかかっていると思います。それぞれに考え方や主張に違いがあるのは当然だと思いますが、小異を捨てて大同につき、力を合わせて腐敗した現状を打破してゆくことが大切だと思います。私も微力ではありますが、より望ましい社会を構築するために努力してまいる所存です。今後ともご指導ならびにご支援賜りますよう謹んでお願い申し上げます。
財務省職員のタクシー業者からの利益供与がニュースとして伝えられている。私は1985年から1987年まで大蔵省に勤務した。当時からタクシーチケットは多用されていた。私がタクシーで帰宅することは極めて少なかったが、私が見聞した状況を含めて問題を考えてみたい。
当時の状況と現状がどこまで共通しているのかは分からない。私なりに感じたことを記述しておく。タクシーチケットを使うのは主にキャリア職員だった。たしかに、遅くまで仕事をする部署は多かったが、問題もあった。
若手職員の残業代は全体の予算金額の制約があるために比例按分されていた。比例按分の根拠に用いられていたのが、退庁時刻記載表だった。タイムカード管理ではなく、ノートに本人が記載する簡便なものだったが、残業代の算出根拠がノート記載の退庁時刻とされていたために、どうしても退庁時刻を遅く記載しようとのインセンティブが働いてしまっていた。また、役所に遅くまでいること自体が、一種の義務であるような空気も支配していた。
その結果、夕刻5時を過ぎて、各種会合などに出席したのちに、いったん役所に戻る職員が圧倒的に多かった。宴会などが終了した後に役所に帰る官僚を見て、一般の人々は仕事熱心だと思ってしまうことが多いが、その理由が残業代の確保だったり、タクシーでの帰宅であったりすることも多いのが実態である。もちろん、仕事が残っている場合もないわけではない。キャリアでない職員はそれでも電車のある時刻に退庁することが多かった。しかし、キャリア職員のなかには帰宅のほとんどにタクシーを使用する者もいた。
キャリアでない職員の登庁時刻は正規の始業時刻だが、キャリア職員の登庁時刻はほとんどが午前10時前後であった。部署によっては職員がもっと早く登庁するところもあったかも知れないが、多くの部署で上記の勤務状況が実態であったと思う。
電車がなくなる深夜にタクシーで帰り、朝10時に登庁する勤務スタイルは、生活のリズムの面でも経費の面でも合理的でないと思う。予算審議の時期は、翌日の国会での質問事項が明らかになるのが夕刻以降にずれ込み、深夜に想定問答が作成され、さらに文書課が総括して政府答弁案を確定するまで待機しなければならないから当該部署では深夜勤務が強制されるが、そのような事情がないのに深夜まで職員が役所に居残るケースが多く、役所のなかで酒盛りをしている部署もあった。
タクシー券は各部署に無制限に配分されているわけではないが、特別会計を所管している部署ではタクシー券が潤沢に用意されていたようだった。朝、一般企業と同様の時間帯に始業し、昼間の時間帯に集中的に仕事をこなし、夜電車が走っている時間帯に退庁する勤務体系に改めることは十分に可能だと思う。その方が国民負担も少なく、職員も健康的な生活スタイルを享受できるはずだ。官僚は昼間も集中的に仕事をし、しかも深夜まで激務をこなしていると思われがちだが、実情はかなり違っていた。
予算審議、法案提出、税制改正などの特殊事情が発生すれば当該部署は激務になるから、上記の事情が全面的にあてはまるわけではないが、非効率、不合理が広範に広がっているのが実情だった。
タクシー代は国民の税金から賄われている。業務の事情でやむをえずタクシーを利用するのなら、その費用を税金から捻出することは正当だが、現在支出されているタクシー代の大半は、勤務慣行の改変によって削減できると思われる。
障害者自立支援法、後期高齢者医療制度、高齢者や母子世帯への生活保護費圧縮など、本当に財政支出を必要とする人々に対する政府支出が冷酷に切り込まれている。人口構成の高齢化に伴って、社会保障財政が深刻な状況に直面することは十分に理解できる。国民負担の増大は将来的には避けて通れないと思う。
しかし、国民に負担増加を求めるなら、まずは官の部門の無駄を排除することが先決である。官の無駄の中心は天下り利権であり、天下り利権の根絶がどうしても必要だと思うが、それ以上の問題が、官僚部門が国民の幸福をまったく考慮せずに官僚部門の利害ばかりを考える思考回路にあると思う。
中央官庁に勤務するキャリア職員のなかには、すべての帰宅に役所のタクシーチケットを利用しているケースもあると思われる。社会保障支出を切り込み、増税や社会保障負担の増加などで、国民負担を増大させる前に、官僚部門の膨大な無駄を排除することが先決である。
こうしたなかで、後期高齢者医療制度導入に伴う高齢者の負担増減に関する政府の調査結果が報告された。民主党、共産党、社会民主党、国民新党の野党4党は、参議院で後期高齢者医療制度を廃止する法案を可決する見通しである。政府試算は制度存続を主張する政府が、野党に対抗するために提出したものである。
後期高齢者医療制度の問題を3点指摘しておく。
第1は、高齢の国民を「後期高齢者」として切り分けたことだ。罹患率の高い高齢者だけで構成される医療制度を構築し、制度を運営する経常経費の1割を高齢者に負担させることになれば、高齢者の負担金額が絶対額として激増することは目に見えている。負担には限界があるから、当然医療水準を切り詰める結果がもたらされることになる。終末期医療についての高齢者本人の意思を確認すると国から報酬が支払われる制度にも、この政府の狙いが如実に表れている。高齢者を敬い、高齢者の尊厳を重視する姿勢が完全に欠落している。「姥捨て山制度」との批判は正鵠を射ている。
第2は、第1の点と重なるが、高齢者の保険料負担増大速度が非高齢者の保険料負担増大速度をはるかに上回ると試算されていることだ。この点は民主党の長妻昭議員が繰り返し訴えている。厚生労働省が示している試算によれば、2015年時点での高齢者の保険料増加率が非高齢者の負担料増加率の約2倍に達するのだ。高齢者に過大な負担を強いると同時に、必要な医療が大幅に切り込まれることは火を見るより明らかである。また、高齢者は制度を維持するための拠出金以外に窓口での負担を負うのである。罹患率の高い高齢者の負担は激烈なものになる。「高齢者いじめ」としか言いようがない。
第3は、新制度と現行制度を比較すると「7割の高齢者の負担が減少する」との政府説明が誤解を生じさせかねないことだ。6月8日の沖縄県議会選を控えて、政府が試算根拠の詳細を十分に示さずに「7割が負担減少」のコピーだけを流布しているとすれば極めて悪質だ。
この問題点を3つ指摘しておく。@まず、政府が「7割が負担減少」と言うからには、詳細な積算根拠が提示されなければならない。政府が選挙に際して虚偽を述べた実例が存在しているだけに、詳細な根拠の示されない試算結果を鵜呑みにするわけにはいかない。
A後期高齢者に該当する人口は約1300万人だが、そのうち約200万人はこれまで所属する世帯の被扶養家族として、保険料負担を課されていなかった。この200万人の負担は確実に増大する。この200万人を含めると「7割の高齢者の負担が減少」が「55%」に急低下することが判明している。新制度での負担を論じる際にこの200万人を含めていないのは、意図的な情報操作と言われてもやむをえまい。
B新たな制度における負担水準は、新たな制度の定常状態での負担水準で計算しなければ意味がないことだ。テレビでよく見られる「歴史雑誌シリーズ創刊」などの広告では、1冊700円の価格が「創刊号だけ200円」などというケースがある。新築賃貸住宅の賃料が「当初2ヵ月は無料」などのキャンペーンも見かける。住宅ローンの返済が当初の5年間は少額であるなどの事例も、日本での「ゆとりローン」、米国での「サブプライムローン」などで存在する。
制度間の比較は、定常状態での比較でなければ意味がない。「激変緩和措置」や政府の見直し案などの影響で当初のみ負担が少ない場合、この低水準の負担と旧制度を比較して「負担が減少する」などと表現するのはミスリーディングである。仏を装った制度発足当初の姿が、時間の経過とともに鬼の形相に変化するのでは困るのだ。
積算根拠の詳細が示され、新たに負担が発生する200万人を含み、当初の激変緩和措置を除いた定常状態での負担金額について、旧制度と比較した数値が明らかにされなければ、論議は成り立ちようがない。野党は詳細な数値を政府に求めるべきで、政府は速やかにすべてを公開する責務を負っている。仮に新制度での高齢者の負担が当初は低下するとしても、中期的に高齢者の負担が突出して拡大するなら、本質的な問題は解消しない。制度を白紙に戻して中期的な制度設計を再構築する必要がある。
後期高齢者医療制度をいったん白紙に戻し、医療制度改革を抜本的に再検討するべきだ。野党の後期高齢者医療制度廃止の主張は筋が通っている。福田政権が直近の有権者の意思を反映している参議院の決定を、3分の2条項を用いた3たびの衆議院での再議決に引き続いて否定、無視するなら、参議院がその行為を問責決議可決で糾弾しても、いささかの反論の余地もないはずだ。その場合には、福田政権が直ちに総辞職ないし解散総選挙の決定を下すべきである。それが憲政の常道である。
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