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2008年5月31日 (土)
2003年株価暴落の深層(1)−危機対応の日米較差−
サブプライムローン問題に端を発する米国金融市場混乱によるNY株式市場への影響はこれまでのところ軽微にとどまっている。NYダウは昨年10月9日の14,164ドルから本年3月10日の11,740ドルまで2424ドル、17.1%下落したものの、下落率は通常の株価小幅調整の範囲内にとどまっている。
グリーンスパン前FRB議長が今回の米国の金融危機を第2次世界大戦後最悪のものと表現するなど、米国経済や金融市場全体への影響は大きなものになっているが、これまでのところ、株式市場の調整は軽微にとどまっている。今回の米国経済金融市場の混乱は典型的な不動産金融不況の発生に伴うものである。日本でも1990年代以降に深刻な経済金融市場の調整を経験したが、その推移は今回の米国の調整とは大きく異なるものだった。
米国の経済金融市場の混乱が今後どのように推移するのかについて、現段階で判断することは時期尚早であり、米国金融市場の調整がこれから拡大するリスクも存在するが、危機発生後の政策当局や金融機関の対応を日本の事例と比較すると大きな相違が観察され、米国が今回の金融危機を日本での経験からは想像もつかないような短期間に収束に向かわせる可能性も否定できない。不動産金融不況への対応における日米の較差を示しておきたい。
FRBのミシュキン理事は5月15日の講演のなかで、日本の1990年代の「失われた10年」と呼ばれる不動産金融不況について言及した。ミシュキン理事は日本の金融行政が不良債権問題を放置したことが事態深刻化を招いたとの見解を示した。
不動産金融不況の基本的な図式は、@不動産や株式などの資産価格が大幅に下落、A実体経済が急激に悪化、B金融機関の不良債権が急増し、金融機関の経営不安が表面化、の3つが相互に連動してスパイラル的な事態悪化が生じるものである。不動産金融不況の深刻化を回避するには、これらの3つの連動関係をどこかで断ち切ることが求められる。
具体的対応として、@財政、金融のマクロ経済政策を動員して実体経済の悪化を緩和する、A不良債権を早期に開示して、不良債権の早期処理を促す、Bシステミックリスクを表面化させないための政策当局の断固たる行動を明示する、の3つを重要施策として提示できる。システミックリスクとは大手金融機関の破たんを出発点とする破たんの連鎖的な広がりと金融市場の機能不全のリスクのことである。
昨年半ば以降に顕在化した米国のサブプライム金融危機に対して、米国の民間金融機関や政策当局は上記の3つの方策を迅速に実行に移してきた。FRBはFFレートを昨年9月の5.25%から本年4月の2.0%まで大幅に引き下げ、また、欧米の中央銀行と協調して短期市場への潤沢な流動性供給を実行した。財政政策では、ブッシュ政権が所得税減税を中心とする総額1680億ドルの景気対策を1ヵ月足らずの短期間に立案、決定し、この5月から実行に移している。
民間金融機関は新しい会計規則であるFAS157を前倒しで適用して、サブプライム関連の巨額損失を迅速に公表してきた。金融機関が公表した損失額はすでに2000億ドルを突破しており、金融市場に大きな衝撃を与えたが、これらの金融機関の多くは損失公表と同時に自己資本増強の具体的施策を公表した。巨額の金融機関損失が公表されても、十分な資本増強策が示されれば金融市場は動揺しない。
米国株価が3月以降に上昇した契機になったのは、JPモルガン・チェースによるベア・スターンズ社買収に際してのFRBによる290億ドルの特別融資だった。FRBが実質的なリスクを負担するこの特別融資を、金融市場は実質的な公的資金投入の施策と受け止めた。システミックリスクを顕在化させないとの政策当局の明確な意志が示されたと金融市場は受け止めたのだ。
原油価格上昇がインフレ懸念を拡大させており、FRBの金融緩和政策が修正されかねないとの不安要因が残存しており、米国の金融危機が収束に向かうかについてはなお予断を許さないが、金融危機の切迫したリスクが大幅に低下したのは確かである。
日本の不動産金融不況では、バブル崩壊始動から最悪期通過までに13年半の時間が経過した。米国の金融危機の最悪期がもし本年3月だったということになるなら、問題収束に要した期間はわずかに半年ということになる。米国の事態収束はまだ確定していないが、彼我の隔たりはあまりにも大きい。
冒頭のグラフは1992年以降の日経平均株価の推移を示している。1992年、97年、2000−2001年が重要なポイントだった。1992年は日本のバブル崩壊不況が遅ればせながら政府により認知され、住専(住宅専門金融会社)を中心に不良債権問題が意識された年だ。私は年初から景気悪化を最小限にとどめるためのマクロ経済政策の発動と不良債権問題の抜本処理を主張した。
私は92年9月5日の日経新聞『経済教室』欄に「金融問題が回復の足かせ−平成不況の行方−」と題する文章を寄稿し、公的資金投入を含む抜本的不良債権処理の重要性を訴えた。問題処理に税金投入を唱えた初めての論考だったと思う。
当時の宮沢政権は当初、政策対応を否定したが、株価急落を受けて92年8月に景気対策を決定した。しかし、不良債権問題処理を先送りしてしまった。住専は大蔵省の重要な天下り先で、大蔵省が抜本処理に反対して住専を延命させ、問題処理の重要な機会を潰してしまった。
1997年は橋本政権が総額13兆円(消費税5兆円、所得税2兆円、医療費負担2兆円、公共投資削減4兆円)の強烈なデフレ策を実行した。私は96年年初から行き過ぎた増税策に強く反対した。強烈なデフレ政策が株価急落、景気再悪化、金融不安を招くリスクが大きいことを警告した。
しかし、橋本政権は大蔵省の強い誘導を受けて強烈なデフレ政策を実施した。結果として懸念通りに金融問題が激しく噴出してしまった。橋本元首相は2001年の自民党総裁選挙に際して、97年の政策対応が誤りであったことを正式に表明したが、実際の責任を負う大蔵省(財務省)は現在もまだ1997年の政策失敗を認めていない。私は一度、橋本元首相の招きで平成研究会(旧橋本派)の定例会合で一連の経済政策と経済の変動につい説明させていただいたことがある。
最大の政策失敗は2000−2001年に決定された。98年に発足した小渕政権は政策を大転換し、日本経済を救出することに成功した。日本経済は2%経済成長を実現し、日経平均株価は2万円を回復した。2000年の経済回復を大切に維持したなら、その後の歴史は異なるものになった。
ようやく浮上した日本経済だったが、森政権、小泉政権は財務省の主導する超緊縮政策を全面的に採用して日本経済を撃墜してしまった。経済を急激に悪化させた上で2002年9月に金融相に就任した竹中平蔵氏は、大銀行破たん容認と受け取れる発言を示して株価暴落を誘導した。国内投資家は金融恐慌を警戒せざるを得なくなり、株式や不動産を投げ売りした。
景気悪化−株価暴落−金融不安定化が誘導されるなかで、戦後最悪の失業、倒産、経済苦自殺が日本を覆った。尊い人命が経済悪化政策の犠牲になった。政府は本来、国民の幸福を追求するべき存在だ。しかし、小泉政権の弱者切り捨ては容赦なかった。
金融恐慌は現実のものになるかに見えた。しかし、小泉政権は手のひらを返した。
2003年5月、税金によるりそな銀行救済を発表した。詳細については、本ブログで改めて触れてゆきたい。また、拙著『知られざる真実−勾留地にて−』に詳論しているので、ぜひご一読いただきたい。
破たんリスクに直面した銀行を税金で救済すれば、破たんは回避される。当然である。だが、責任ある当事者に適正な責任を求める「自己責任原則」は踏みにじられる。世界の金融行政当局が金融問題に苦闘し続けてきた理由はこの点にある。金融システムは守らねばならないが、「自己責任原則」を踏みにじることはできない。今回のベア・スターンズ社買収に際しても、米国当局はベア・スターンズ社の株主責任を厳格に求めた。
りそな銀行処理の裏側に巨大な闇が隠されている。その闇に光を当てることが、どれだけのリスクを伴うものであるのかを私は実感している。しかし、この問題にふたをしてはならないと思う。巨大な不正が行われた可能性も高い。より深刻な問題は、日本国民の幸福を追求すべき日本政府が日本国民を犠牲にして外国勢力の幸福を追求している疑いが存在することだ。
冒頭のグラフを見ていただくと、2000年から2006年にかけて株価グラフが大きく陥落している。この巨大クレーターは日本国民に不要なものだった。適切な経済政策運営により十分に回避可能だった。この巨大クレーターとともに、尊い人命が限りなく失われた。小泉政権は「頑張った人が報われる社会」を目指すと言っていたが、一生懸命に頑張っているのに、政府の不況推進政策の影響で悲惨な状況に追い込まれた多数の国民が存在する。
「痛みのある改革」と言われたが、提唱者は痛みと無縁の存在だった。本当の痛みに直面した人は比率で言えば国民の1割にも満たなかったかも知れない。しかし、逆に言えば1割もの国民に耐えがたい痛みがもたらされたのである。「痛みのある改革」に賛成した人は全員が痛みと無縁の国民だった。痛みの発生を避けることができなかったのならやむを得ない。しかし、そうではなかった。
りそな銀行の株主救済で金融行政の根幹は致命的に歪められた。外国資本には法外な利益が供与された。経済が最悪点を通過してしまうと、苦しみに直面せずに済んだ多くの人々は、悲惨な状況を忘れてしまう。権力にコントロールされたメディアは、悪徳の経済政策を「成功した改革政策」に偽装して世論を誘導した。
日本の不動産金融不況が13年半の長期にわたって進行し、多くの国民が塗炭の苦しみを強制されたのは、政府の経済政策が失敗したからだった。@経済悪化推進の経済政策が、日本経済が浮上する局面ごとに実行され、A不良債権処理は「隠ぺい、先送り、場当たり」で進められ、B自己責任原則貫徹と金融システム保護を両立させるとの最重要方針は破棄された。昨年央以来の米国の対応と際立った対象を示している。
適正な政策方針を保持し、最善を尽くしたうえでの失敗だったなら、失敗を非難することは適切でないと思う。しかし、仮に日本政府が国民を犠牲にして外国勢力の利得を優先したのなら、糾弾されなければならない。郵政民営化を含む2001年以降の日本の経済政策について、徹底的な検証が求められている。
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