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四月末の各紙の世論調査では、福田政権に対する支持率が二〇%前後と大きく落ち込んだ。もはや末期的というべき数字である。福田康夫首相は外交によって政権への期待や評価を高めようという意図を持っているのだろうが、胡錦涛主席の訪日についても世論の評価は分かれている。サミットまで福田政権が持てば、一時的に福田首相にメディアの関心が集中し、少しは支持率が上がるかも知れないが、サミットでめざましい成果が上がるとも思えない。当面の政治の焦点は、自民党内でどれだけ福田政権を支えるエネルギーが続くのかという点に移るであろう。そこから先の話となると、私にはさっぱり分からない。今日は、福田政権の危機よりももっと深刻な、日本の民主政治の危機について考えてみたい。 いわゆるねじれ国会において物事がさっぱり決まらないことをもって政治の危機と捉える論評がメディアにはあふれている。しかし、私は法律がすんなりとおらないことを、必ずしも悪いことだとは思わない。そもそも与野党を超えた妥協は、現政権が正統性と支持を得ている時でなければ成り立たない。国民が政権を見放し、選挙も近づいているとなれば、権力闘争の側面が表に出て、野党は政府と対決するのが当然である。だから、国会において政府与党と野党は大いに対決すればよい。国民による次の政権選択に資するような論争や対立を演出することが、与野党の責務なのである。 道路問題では、民主党が衆議院での予算審議で、従来の公共事業の暗部をある程度えぐり出すことに成功した。しかし、野党優位の参議院に論戦の舞台が移ってからは、むしろ議論は低調で、ほとんど見せ場を作れなかった。また、道路以外の重要課題についても、十分議論を深めることができなかった。その意味では、国会、特に野党が機能しなかった。 最近の新聞を読んでいて、最も面白いのは家庭面(社によって生活面、暮らし面など呼び方は様々)だと思うことがしばしばである。たとえば、『朝日新聞』の暮らし面に毎週連載された「現場が壊れる」という記事は、労働と人間性の破壊や、技術伝承の危機を伝えるきわめて有意義な企画であった。労働に限らず、医療、教育、介護など、生活を支える政策的基盤が今や崩壊寸前である。財務省主導の歳出削減路線で、国の収支の帳尻は改善するのかも知れないが、肝心の人間の生活や地域コミュニティはずたずたである。その意味で、これらの分野では今こそ政治が必要とされているのである。 私が考える政治危機の第一の意味は、いわば新聞の政治面と家庭面の乖離である。もちろん、永田町における権力闘争の実態を伝え、政党政治の今後を展望することは、政治報道の主要な課題である。しかし、永田町の騒動を追いかけるだけが政治報道ではない。国会や政党内で政策論議をする政治家が、社会面や家庭面で伝えられる現実をどこまで理解しているのか。人間の尊厳が踏みにじられる社会、経済の現状に対して、どこまで怒っているのか。政治を論じる時にはこうした視点も不可欠である。 伊吹文明自民党幹事長は、税制問題を争点に、今年中の総選挙もありうるという見通しを示した。民主党の人気取り、ばらまき路線と、「責任政党」自民党の違いを見せることで、国民の信頼を取り戻そうという考えであろう。年金への国庫負担増のための財源をどうするかは差し迫った課題であり、政党は避けて通れないはずである。ある意味では自民党の方が責任感を持っていると言えるのだろうが、消費税率の引き上げという議論と、人々の生活実態の大きな距離に嘆息を禁じ得ない。国民が増税を受け容れることによって、人々が苦しんでいる医療や雇用の問題がどの程度改善されるのか、具体的な展望を示すのが政治の役割である。 同じ注文は、民主党の方により強く向けられるべきである。生活第一というスローガンで国民の期待を集めたまではよいが、通常国会の議論では、その中身がさっぱり具体化していない。たとえば、ネットカフェ難民をなくすためにいくら、働く女性すべてに保育サービスを提供するためにいくらといった具合に具体的な政策の予算を積み上げていき、従来の他の支出からのシフトを計算し、その上でこれだけ足りないから国民の負担増を求めるといった議論をしていけば、国民はより有意義な政策選択と政権選択の機会を持つことができる。 民主政治の危機の第二の意味は、より根本的な政治や社会のルールに関する問題である。私たちが自由や民主主義を本気で守る決意をもっているかどうかが、いま問われている。このところ、映画「靖国」の上映中止、哲学者アントニオ・ネグリ氏の入国拒否、ビラまきが住居侵入罪に当たるかどうかと割れた事件での最高裁による有罪判決など、現在の日本では言論や表現の自由が十分守られていないことを示す事件が相次いでいる。これらの事件の当事者は、民間企業たる映画館、法務省、裁判所など様々であり、大きな権力の意思によって市民的自由が侵害されているというのは的はずれであろう。しかし、このような風潮を放置していれば、たとえば自民党が野党に転落した時、自民党の支持者がその時の政府を批判する活動をしようとした時に弾圧や嫌がらせを受けるかもしれないのである。 党派は異なっても、こと民主主義に関しては、共に守るべきルールや価値観が存在する。異なった見解や思想が社会に共存し、相互の批判が存在しなければ、民主主義は機能しない。「反日」などという粗雑なレッテルを貼って、自分と異なる主張に圧力をかける一部の政治家の行動について、自由民主主義を看板とする政党の政治家がなぜ鈍感でいられるのか、不思議で仕方がない。(週刊東洋経済5月24日号) |
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