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裁判員制度の実施を断念せよ―【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎(産経新聞)
http://www.asyura2.com/08/senkyo50/msg/512.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 5 月 29 日 21:15:20: twUjz/PjYItws
 

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080529/trl0805290228000-n1.htm

【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 裁判員制度の実施を断念せよ
2008.5.29 02:26

 ≪宣伝に努める推進派≫

 裁判員制度の実施が一年後に迫つたといふことで、この制度を推進する側は国民に積極的参加を呼びかける宣伝に是努めてゐる。宣伝の聲(こえ)が異様に囂(かしま)しいのは、専門家の所見によれば「法定の条件を欠いた違法の政令制定」を以てしてまで施行期間を早々に布告した性急さと同様、反対論の高まりを恐れての当局の焦りの表れである。

 反対論と言へば、筆者も昨年11月13日付の本欄で、法曹界に揚つてゐる聲とは少しく異なる、宗教・倫理上の観点からの根本的な反対意見を述べておいた。法曹界自体から出されてゐる反対論の代表的なものとしては、さきに(2月29日付)新潟県弁護士会による「裁判員裁判の実施延期を求める決議」の提言があつたが、最近では「裁判員法の廃止を求める会」から、この制度が憲法に違反したものである所以(ゆえん)を法理論的に論証した精緻(せいち)な論文の発表があり、此と並んで、「裁判員制度はいらない!大運動」といふ市民運動の団体が、この制度は基本的人権の否定に繋(つなが)る、との強い反対を公にしてゐる。

 後の二団体は憲法記念日を翌日に控へた5月2日に記者会見を開いて改めて反対意見を聲明し、殊に前者は『国民よ、裁判員制度の宣伝にだまされるな』と題する小冊子を配布して国民が「だまされつつある」現状に警告を発してゐる。両団体の記者会見での主張の要旨は、管見に入った限りでは毎日・朝日の両紙がほぼ公正に報道してゐるが本紙は全く報じてゐない。却(かえ)つて同じ日に行はれた島田仁郎最高裁長官の記者会見談話の趣旨のみを、反対派の主張との均衡を破つて詳しく紹介してゐる。

 ≪司法人としての誤謬≫

 島田長官の発言には、本紙の記事によつて見ての限りであるが、看過し難い誤謬(ごびゅう)があるのでそれを先づ指摘しておきたい。島田氏は〈裁判員として刑事裁判に参加することは、国民の義務であるとともに権利〉であると述べた由であるが、これは暴論である。国民の義務と権利を規定する法源は、その国民の帰属する国家の歴史の中に存する。それは夫々(それぞれ)の国家が有する法制史的来歴と国家共同体としての長い経験の蓄積からわり出された歴史的所産なのであつて、一司法人が軽々しく創設的規定を述べる事が許される様な当用の便宜的法理ではない。島田氏は司法人としての誤謬を犯すと同時に、公人としての甚しい不遜僭越(ふそんせんえつ)の罪を犯してゐるのだが、御本人はその重過失に全くお気付きではないやうである。

 最高裁を代表とする司法当局のなりふり構はぬこの制度強行の姿勢を見てゐて直ちに連想する歴史的先例がある。それは、支那事変収拾工作に失敗した第一次近衛文麿内閣の硬直した外交政策の底にあつた或(あ)る「打算的思考」である。筆者とても、支那事変収拾工作の度重なる挫折、所謂(いわゆる)泥沼化の主要な原因が、中国共産党の策謀に繰られた国民政府の根強い対日戦争意欲と挑発的行動にあつたといふ事はよく認識してゐる。

 ≪支那事変収拾失敗の教訓≫

 然(しか)しそれにしても、昭和13年1月15日、対支和平交渉を審議する大本営政府連絡会議の席上で、参謀本部次長多田駿(はやお)中将の賢明にして懸命なる和平交渉継続の主張に対して政府の面々はどの様に応じたか−。詳細は青史を繙(ひもと)けばわかる事でここで紹介する余裕はないが、一言しておきたいのは、参謀本部の真の戦略的遠謀深慮に発する主張を斥(しりぞ)け、万が一にも掴(つか)み得たかもしれない事変収拾の芽を脆(もろ)くも潰(つぶ)してしまつたのは、時の内閣の硬直した権威主義と算盤(そろばん)勘定的思考だつたといふ、この事である。

 権威への固執とは、平たく言へば面子(メンツ)である。戦闘局面では日本はたしかに勝勢にあつた。故に、ここで相手の望む条件での和平工作に執着するのは、勝機を手中にしてゐる軍と政府の面子にかかはる外交的失敗だと思はれた。

 算盤といふのはそれまでに投じた厖大(ぼうだい)な戦費と人命の犠牲を考へる時、それに見合ふだけの戦勝利得を手にする事無しに大陸からの撤兵はできない、といふ打算である。かけた費用と労力が無駄になるとしても、測り知れぬ破局に落ち込むよりはましであるとの簡単な道理への洞察を政府は有せなかつた。荒天の兆候を見て「引返す勇気と決断」の無かつた登山者が結局遭難するのと同じ事である。

 裁判員制度の実施を目指して、当局はおそらく既に莫大(ばくだい)な経費と精力を投入しもしたであらう。だが幸ひにして人命の犠牲は出てゐない。財政上の無駄な支出などは、この悪法実施後に予想される日本人の人倫上・法的権利上の破局的損失に比べれば軽微なものである。司法当路者は支那事変の教訓に学んで、「引返す勇気と決断」を持たれるがよい。(こぼり けいいちろう)
 

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