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2008年5月26日 (月)
「正義派」ジャーナリスト
私が民事提訴した名誉毀損損害賠償請求訴訟の対象は小学館(「女性セブン」)、徳間書店(「アサヒ芸能」)、講談社(「フライデー」)、毎日新聞社(「サンデー毎日」)、朝日放送(「ムーブ!」)の5社である。これらは事実無根の情報を記事として報道した雑誌出版社、あるいはそれらを事実と断定した情報番組を放送したテレビ放送会社である。
小学館に対する訴訟では、すでに本年4月4日に、100万円の支払いと「お詫び」、および「お詫び」文の「女性セブン」誌への掲載との内容で和解が成立し、週刊誌「アサヒ芸能」を発行する徳間書店との間での裁判(平成19年(ワ)第9898号 損害賠償請求事件)においては、5月21日に、被告に対し、原告に190万円の支払いを命じる判決が下された。このことはすでに5月22日付記事『「アサヒ芸能」名誉棄損損害賠償請求訴訟で勝訴』で記述した通りだ。
小学館との和解では、以下の文面の謝罪広告を「女性セブン」誌に掲載することが和解条項に盛り込まれた。謝罪広告の文面は以下の通りである。
「本誌2006年(平成18年)10月5日号に掲載した植草一秀氏についての「『痴漢で示談7回』の過去」との見出し記事について、同氏から「事実無根である」とのご指摘を受けました。記事内容の確認が不十分であったことによって同氏にご迷惑をおかけしたことを、お詫びします」
当方が小学館との和解に応じたのは、和解内容に謝罪広告の掲載が盛り込まれ、和解成立によって、通常の名誉毀損損害賠償請求訴訟での勝訴判決と同等、あるいはそれ以上の成果を獲得できることになったことと、対朝日放送訴訟での争点が小学館訴訟の結果と密接に関わることを重視したためである。
対朝日放送訴訟では、同社が2006年9月21日に放送した「ムーブ!」と題する番組の「ムーブ!マガジンスタンド」というコーナーにおいて、朝日放送が「植草一秀容疑者痴漢で示談7回の過去」とのテロップを表示しながら、同日発売された小学館発行の女性週刊誌「女性セブン」の私に関する記事を紹介し、「私が痴漢を行った過去7件の被害者について、示談が成立したために、これらの事件が明るみに出なかった」との事実無根の情報を伝える放送を行ったことについて、私の人格権を著しく侵害する不法行為であるとして名誉毀損損害賠償を求めて、現在、東京地方裁判所を舞台にして闘っている。
この争点については、現在公判係争中であるので、ここで深入りしないが、この番組「ムーブ!」においては、番組出演のコメンテーターが無責任な人格侵害の発言を繰り返した。
小学館との和解で明らかにされたように、「女性セブン」の当該記事は事実無根であった。「ムーブ!」では「女性セブン」の記事内容が事実であるとの断定的な表現を用いて同記事が紹介されたうえで、コメンテーターによるトークが行われた。同日に発売された週刊誌であるから、週刊誌記載の記事内容が事実であるかどうかを確認することは実質的に不可能である。したがって、番組出演のコメンテーターの発言においては、週刊誌の報道内容が真実であるかどうかについての慎重な判断がベースに置かれなければならなかったはずだ。
この日のコメンテーターは大谷昭宏氏、宮崎哲弥氏、橋下徹氏の3名だった。すでに5月22日付記事で記述したように、宮崎氏はこの番組のなかで、「ほとんど報じられなかった1回目の逮捕のときには、当時所属していた野村総合研究所がもみ消したわけですよ」と発言したが、逮捕の事実も野村総合研究所がもみ消した事実も存在しない。事実でないことを断定的な表現を用いて発言することは許されない。
この「ムーブ!」という番組のなかで宮崎氏は、「これは性癖、嗜壁で、このちゃんと治療して、こういう、この累犯を行わないようにすることの方が彼としてはよかったのだろう」、「治療させるべきなんですよ」、「まあ、実刑はやむをえないのかもしれないけれど、とにかく治療させると」などの発言を繰り返した。
現大阪府知事の橋下氏は、「病気だと思います」、「病気じゃなければそれはねえ、更生の可能性ってあるんでしょうけれども、これはもう、宮崎さんとも話しましたけれども、これはもう、その、何かりく、理屈で治すってことじゃなくて」、「カウンセリングは無理ですねえ、もう、ほんとに薬物等でホルモン抑制とかそういうことをやらないと無理ですよ」と応じた。
さらに、大谷氏は「彼はねえ、もうなんかあってもまたその性癖が出てしまうと」、「こういうことやってちゃだめ、(冤罪とか)馬鹿なこと言っちゃいけません」、「その中でやっぱりねえ」、「カウンセリングはだめだなあ」、「もう、やく、薬物ですねえ」などと発言した。
これらの発言の是非は読者にご判断願いたいが、大谷氏は現在、テレビ朝日番組「サンデープロジェクト」で「シリーズ 言論は大丈夫か」を担当している。このシリーズ特集では、直近の5月25日放送では「救済されない冤罪」を特集した。過去には、「本当に“推定無罪”か」(4月13日、4月6日)などを特集している。
私は、自分が巻き込まれた事件について、私の知りうるすべての事実を正確に述べ続けてきた。その概要は拙著『知られざる真実−勾留地にて−』にも記述した。2006年9月13日夜に事件に巻き込まれたのち、私は一貫して無実の真相を訴え続けてきた。蒲田駅で私が犯行を認めるような発言をしたとの話は、事件発生後、かなりの時間がたってから初めて伝えられたことだが、公判で警察官がそのような証言をすると、マスメディアはその発言を事実そのものとして報道し、私が当初犯行を認めていたとの事実に反するイメージが社会に植え付けられた。
しかし、私はそのような発言をまったくしていない。事件当初の報道にもそのようなものはなかった。事件当日の取り調べに際しても、「駅で犯行を認めていたのではないか」との追及はまったく存在しない。事件当日の取り調べで否認しているときに、もし駅での警察官との問答で私が犯行を認める発言をしていたのなら、そのことを徹底的に追及するはずだ。しかし、そのような話は一切なかった。
私の勾留時の取り扱いが「接見禁止」にならなかったことに対して、検察が準抗告したが、その文書のなかで初めて、当初は犯行を認めていたとの内容が記載されていたのである。私は、私が犯行を認めるような発言をしたとの記載のある「取扱状況報告書」は時間が経ってからねつ造されたものだと考えている。
また、控訴審での控訴趣意書で詳細に論証したように、繊維鑑定の結果も私の無実を裏付けるものになっている。私の無実をはっきりと目撃していた信用のおける目撃者が公判廷で説得力のある証言もしてくれた。しかし、メスメディアはこの決定的な公判証言をまったく報道しなかった。報道しないどころか、事実をねじ曲げて、信用できない証言であると報道したのだ。このことも、いずれ記述したい。
問題の詳細を記述するのは別の機会に譲ることにするが、私は、ありのままに無実の真実を訴え続けてきた。「電車の中で民間人が私を拘束した現行犯逮捕だから、犯罪が行われたことに間違いはない」との観測が世間では根強いが、この民間人は犯行を目撃していないことを公判で明確に証言した。被害者とされる女性が声をあげて振り返った時に、この女性は犯人の手を掴んでいないだけでなく、犯人の手も確認していないことを公判で証言した。
被害者とされる女性は、犯人が真後ろにいて犯人は真後ろの方向に2、3歩ないし1、2歩移動したと証言したが、被害者とされる女性が振り返った時に私が立っていたのは、女性の右斜め後ろだった。このことは、私を拘束した民間人が法廷で「被告人は女性のすぐ右後ろに立って」おり、被告人と被害者とされる女性の間に、もう1人、だれか入ることは可能な広さかどうかについて、「いいえ、押しのけない限りは、あり得ないと思います」と明確に証言したことによって裏付けられた。弁護側は、被害者とされる女性が、声を出して振り返った時に、右斜め後ろに立っていた私を犯人と誤認したのではないかと公判で主張した。
冤罪問題や冤罪を生み出すさまざまな制度的欠陥、推定無罪の原則が踏みにじられている現状を、テレビ番組が問題として取り上げる特集シリーズを担当するジャーナリストと呼ばれる人物が、上記のような発言を平然と繰り返す現状に私は慄然とする。人権擁護、人権尊重を重視する立場からの発言とは到底考えられない。
5月23日付記事で紹介した『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか』の著者である日隅一雄弁護士が同氏のブログ「情報流通促進計画」で、私の記事を紹介してくれた。記して感謝の気持ちを表したい。同氏のブログは、メディアや司法に関連した広範囲の問題について、詳細な検証を示している。是非、定期閲覧されることをお勧めしたい。
また、ここで詳細を記述することは控えるが、非常に多くのブログが支援のメッセージを発して下さっている。当ブログは現状ではリンクを張らず、コメントも受け付けていないが、多数の心ある人々の温かな心と激励には常に感謝している。この場を借りて、改めて敬意と感謝の気持ちを表したい。
代用監獄を用いての不当な自白強要、否認に対する長期不当勾留、推定無罪原則の形骸化など、日本の司法、警察制度には重大な欠陥が存在する。取り調べに際しての弁護人同席、取り調べの録音、録画などの完全な実現がまずは求められる。被害者を含む関係者の取り調べ調書は、そもそも作成日時が真実であるとの客観的裏付けを欠いている。調書の偽造、捏造は容易に実行可能なのである。こうした初歩的な制度欠陥は直ちに是正されなければならない。
ここからは一般論だが、正義を追求するジャーナリストは、すべての対象に対して真理を追究する姿勢を貫くものである。この要件を欠くジャーナリストは真の正義派ジャーナリストではない。正義を追究しているように装う仮面の下に権力の走狗の本性が隠されていることに多くの一般市民が気付かず、「えせ正義派」ジャーナリストが社会のガス抜きの役割を担うなかで、権力に都合の良い制度が着々と整備されることに、われわれは細心の注意を払わなければならない。
私が巻き込まれた事件、事件に関連する報道や情報媒体の動き、裁判などに関して、私は「大きな力」の存在を感じないわけにいかない。テレビなどに登場する特定の人物達が、平仄を合わせて激しい攻撃を私に向けたことも紛れのない事実である。詳細を再検証し、『知られざる真実』を明らかにしなければならないと考えている。
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