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2008年05月25日
新聞の社説を批判的に読む事の勧め
読者の皆さんは新聞の社説を読んでいるだろうか。読んでいない人は読むことを勧める。読んでいるいる人は、それを常に自分の考えと比較して読むことを勧める。
そして、ここからがこれから書くブログの趣旨であるのだが、もし自分の考えと社説の考えが違っていた時は、自分の考えが正しいと思って、新聞の社説を批判的に読む事を勧めたい。
かつて外務省の某OBは、イラク戦争がはじまった頃に行われた東京大学のシンポジウムにおいて、北岡伸一や田中明彦といった御用学者がイラク戦争を支持するしかない、といった言説を繰り返していた事に言及し、「昔だったら、東大教授がそう言っている以上、それで世論は納得したのに、今は世論が言うことを聞かなくなった」などとぼやいていた事があった。
そこまで国民はなめられているのだ。東大教授の言うことだけではなく、新聞の社説まで世論が「もっともだ」と従うようでは、ますます国民はなめられてしまう事になる。
新聞記者になるような人たちは一応エリートである。難関を経て採用されるから、少なくとも記者たちは「自分たちはエリートだ」と自認しているに違いない。
ましてや社説を書く記者は幹部になるような人たちだ。その幹部記者たちが衆議をこらして書くのが社説であるから、社説はもっともな論説であると考えるのが普通の考えであろう。
ところが社説には一つの大きな制約がある。それはその新聞社の政治的スタンスを色濃く反映するものであるという事だ。論説委員、編集委員の意見が社の方針と異なれば、変えさせられるのだ。
もう一つの留意点は、そしてこれは比較的新しい傾向であるのだが、なぜか新聞記者たちが、自分たちはエリートである、権力者と友達である、という自意識を持つようになったため、社説そのものが国民世論の認識とかけ離れた、権力者寄りのものになりつつあるという事である。
その格好の例が後期高齢者医療制度に関する社説である。
25日の毎日新聞が、「社説ウオッチング」という特集記事で、後期高齢者医療制度に関する各紙の社説を読み比べていた。これは実にタイムリーで有意義な記事であった。
私もかねてから気づいていたのであるが、社説のほとんどが後期高齢者医療制度の廃止を訴える民主党を批判しているのだ。国民の圧倒的多数がその廃止を求めているのにである。
産経新聞や読売新聞が「野党は無責任だ」と批判していたのには驚かない。この二つは社是として自民党政権を擁護する役割を担っているからだ。
しかし、産経新聞や読売新聞と対極にあるとされている「リベラル紙の雄」とみなされていた朝日新聞までもが、野党は財源問題を逃げるな、といわんばかりに、「制度を元に戻せと言うだけでは問題は解決しない」と、新制度の骨格は維持すべきだという自公政権が喜びそうな主張を展開していた。
わずかに東京新聞が、「低所得者層ほど不利な構造の是正を急ぎたい」(5月2日)として、後期高齢者医療制度の問題点を指摘している程度だ。
そこで毎日新聞である。
毎日新聞は社の方針を一つにまとめて社説を書くという方針をはやばやと放棄してしまっている。記者の意見を尊重し、それをそのまま掲載することによって、読者の判断に任せるという方針を採ってしまった。
その毎日新聞の25日の社説は、森嶋幹夫論説委員の手になる社説であった。森嶋論説委員は、「新制度への反発は、政治に対する高齢者の『反乱』であると認識すべきだろう、とその社説を締めくくっていた。世論の側に立った正論である。
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