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ある地方紙が天皇の戦争責任について、「ある」と思うという意見と、「ない」と思うという意見の双方を載せた。典型的な両論併記である。 それが掲載されてから、「ある」というコメントを出した人の家に右翼が押しかけた。しばらく大変だったというが、その新聞社には何事もなかった。いわゆる「中立」を保ったからか。それにしても、これほど無責任なことはないだろう。新聞は己れの意見を持たない“貸席業”なのか。 物の見方に「不偏不党」や「公正中立」はありえない。それがあると錯覚して、いや、ないとは内心思っているけれどもタテマエとして掲げているところに今日のメディアの限りない堕落がある。 メディアがそんな蜃気楼をチラチラさせていると、読者も「中庸第1」と軟弱化してくるのか、いささかならず頼りない現象が出来している。『サンデー毎日』の連載を中心に私は毎年、毎日新聞社から時評集を出しているが、一昨年のそれのタイトルを『田原総一朗よ驕るなかれ』とつけた。そして、昨年の『石原慎太郎の老残』に続く今年のタイトルが『田原総一朗への退場勧告』である。ところが、同じく題名に田原の名前を出した2冊を比較すると、圧倒的に『驕るなかれ』の方が売れゆきがいい。「たしなめる」のはいいけれども「退場勧告」は行き過ぎではないかということなのかもしれない。実際、同じく『サンデー毎日』にコラムを書いている岩見隆夫からはそうした注文をつけられた。これも「両論併記の無責任」の影響と言ったら、言い過ぎだろうか。 珍妙なのは、その変形のような「加憲」である。公明党がそれを旗印としている。「護憲」でもなく、「改憲」でもなく、「加憲」とは、思わず吹き出してしまう話だ。学級会や生徒会でも、自らの立場をはっきりさせて議論するだろう。それをしないで議論しても、政治に参加する意味はない。 私は公明党を“両棲類”のコウモリ党と揶揄しているが、一部分は「護憲」で、一部分は「改憲」ということなのか。日本人を蝕んでいるのは中途半端という病気だと喝破したのは、むのたけじだったか。まさに、メディアの公明党化が進行している。 |
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