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2008年05月22日
通訳御用掛が残した昭和天皇のお言葉
昭和天皇の通訳を長年務めた真崎秀樹という外交官がいた。真崎氏は私が昭和44年に外務省に入省した時の英語の先生であった。
その真崎氏が、天皇陛下が各国要人と交わされた会話の詳細を残していた。
その記録をジャーナリストの徳本栄一郎氏が入手して、今日(22日)発売の週刊文春5月29日号にその一部を発表、解説している。
それによれば、昭和天皇は明晰・沈着であり、各国要人の、時としてあからさまな質問や当惑するような語りかけについて、政治的発言はあえて行わないという自覚の下に、あるいは無視したり、あるいはあっさりと受け流したりして、的確な対応をされた、という。
しかし、そんな昭和天皇でも、時としては思いがけないほどの踏み込んだ発言をなされていた。
週刊文春の記事の中で私が注目したのは次の二つの発言である。
一つは1979年10月22日のシンガポールのリー・クアン・ユー首相との会談である。
リー首相は、中国と日本の両文明を比較して、中国文明は閉鎖的だが日本文明は開放的だ、朝鮮は日本に支配されてよかった、などと話しかけたという。
日本は韓国に対して植民地支配を謝罪するばかりが能ではない、と、最もデリケートな歴史論争を昭和天皇に挑んだのだ。
これに対し昭和天皇は、完全に無言で通したという。「何も聞こえなかったかのように振舞われ、何も言われませんでした」と真崎は回想したという。このとき天皇陛下がどのような発言をしようとも、その言葉は大きな意味を持つことになったに違いない。あえて黙殺した昭和天皇の対応は見事だ。
その一方で、昭和天皇は、共産主義の封じ込めに関しは、驚きべき踏み込んだ政治的発言をしている。
1959年12月25日にシンガポール駐在の英国高等弁務官であるロバート・スコット氏と会談した際、天皇陛下はインドネシアにおける共産主義の状況を積極的に質問をされている。
1962年1月11日に米国のアチソン元国務長官と会談した際は、「あなた(アチソン)の努力でカンボジア・タイ・ベトナkムの関係が改善すればアジアの平和にとてもよい事でしょう」と答えている。米国による共産主義の封じ込めを評価する言葉である。
また天皇陛下は、1962年3月9日にはデヴィット・ロックフェラー、チェース・マンハッタン銀行頭取(当時)が始めて日本を訪れて天皇陛下と会談した際、ロックフェラーが「フィリピンでは共産主義の脅威が収まり、徐々に経済も回復しているようです」と話したのに対し、「それを聞いて嬉しく思います。日米の協力は両国だけではなく、世界平和に極めて重要だと思います」と答え、「米国、欧州、日本が緊密に協力すれば、ソ連と中国の前進を阻止できるでしょう」とロックフェラーが言えば、「私もそう思います」と答えたという。共産主義の封じ込めで昭和天皇は米国と完全に一致していたのだ。
徳本は週刊文春の記事を次の言葉で結んでいる。
・・・天皇が各国要人と交わした会話は現代史そのものと言ってよい・・・特に、戦後の一時期、昭和天皇は本気で共産主義の台頭を危惧し、海外共産勢力について、あらゆる機会に情報収集されていた点は興味深い。
徳本の言葉遣いは慎重であるが、日本が米国との関係を最優先してきた理由はここにもあると言うことである。
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