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自民マルチメディア局長、勉強会で吠える
「たとえば環境大臣になったら、記者クラブ主催の(記者会見)なんてやめちゃって、『環境省の主催による、大臣会見をやります。来たい人はみな来てください』とやりたい。場合によったら、カメラを据え付けて、環境省のホームページで動画を流しちゃう。大臣会見をリアルタイムで流しちゃって、『質問があったらメールください』というぐらいのことをやりたいね」
自民党のマルチメディア局長、河野太郎代議士が5月15日夜、都内で開かれた私的勉強会でこんな構想(夢? 計画?)を披露した。
もし実現すれば、会見内容を垂れ流すだけのプロ記者だったら、一瞬のうちに存在価値を失う可能性がある。一方、市民記者やブロガーにとっては、心待ちにしたい画期的なプロジェクトといえそうだ。
この勉強会は「ネット選挙解禁をどう進めるか、どう対応するか」をテーマに月1回ペースで開かれ、政治家志望、ブロガー、ネットメディア、ネット広告などの関係者が集まっている。私も個人的興味で参加している。
自由闊達な議論を優先、との理由で、非公開が毎回のお約束ごとだ(このため先月の講師はオーマイニュースでもおなじみ、KNNの神田敏明さんで、昨夏の参院選出馬体験を通じてわかった「選挙の参入障壁」について語ってくださったが、公開はできなかった)。
けれども今回は現役代議士、しかも与党の局長を招いた。立派な公人ではないか、ということで、特例で「講師の発言は公開可」となった。
そこで、選挙問題に限定せず、ネットの重要性や既存メディアの問題点について言及した部分を紹介しよう。
河野太郎氏は慶応の中高を経て、大学に進学。しかし数カ月でやめ、ワシントンDCのジョージタウン大学に入学した。卒業後は帰国し、富士ゼロックスに就職。サテライトオフィスの実験にかかわり、80年代後半の段階で、ゼロックス内のネットワークとマルチメディア技術の洗礼を受けている。
その後、同社のシンガポール駐在、自動車部品メーカーへの転職を経て、96年10月に衆院選で初当選した。現在、当選4回。
このような民間企業、海外経験を持つ、“一風変わった人材”(米国在学中は、共産圏ポーランドの大学にも留学した!)が国政入りし得たのは、既存マスメディアではしばしば批判される「2世議員」の、むしろメリットの側面だろう。地方議会、官僚、労組の出身者ばかりでは、議論も単調になってしまう。
「マスメディアを経由しない情報伝達の実感」
それはさておき、そんなITリテラシーの比較的高いであろう太郎氏が、政界に身をおいてネットの威力を肌身で実感したのは、2例あるという。
ひとつは、96年の当選直後、遺伝子組み換え食品が出回りそうになったとき、米国の情報は比較的多く日本に入ってきていたが、欧州の状況がよくわからなかった。
「そのとき、鹿児島に住んでいらっしゃる主婦の方が、仏政府の出した情報、あるいは仏語で書かれたEUの政策を逐一、日本語に翻訳して、メールで送ってくれました。それが厚生省(当時)、農水省はもちろん、パリの日本大使館だって知らないような情報で、日本政府からもらうどんな情報よりも早かった。おそらく仏語のサイトをどこかでみて、それを翻訳して送ったくださったんだと思うけど、これは、すごい世の中になっているなと」
もうひとつは、核燃料サイクルに潜む問題点を、既存の大手メディアが全く報道しない点にからむ。
「六ヶ所村(青森県)の再処理工場、ご存知ですよね。ウランを原発で燃やすと、燃えカスが出てくる。この使用済み核燃料を再処理すると、プルトニウムがとれる。これを、もんじゅに代表される高速増殖炉で燃やすと、投入したプルトニウム以上のプルトニウムができて、発電もできるというんで、日本の電気エネルギーは将来にわたって安泰だ、というのが核燃料サイクルですが、もんじゅはご存知のように、10回事故を起こして、いまだに止まっている」
「要するに、プルトニウムを作っても、高速増殖炉で燃やせない。その結果、日本にはプルトニウムが40数トンもたまっている。北朝鮮が50“キロ”持っていて、6カ国協議です。日本は2ケタの“トン”ですから、はるかに大きな問題に世界的にはなっているわけですが、こういう問題がほとんど報道されない」
「なぜ報道されないかというと、日本のニュース番組は電力会社がスポンサーをやっているので、こういうことを放送して大丈夫かとみなヒヨってしまう。少し前にある週刊誌が追っかけていましたが、いまだに記事が出ていなくて、ふっと見ると電力会社のグラビア広告が増えていたりして。特定の集団が札束で横っ面を張り倒してニュースを抑えるということが結構あります」
「この話を一生懸命するんだけど、メディアが取り上げてくれない。だから、六ヶ所村…、再処理…、プルトニウム…、もんじゅ…、プルサーマル…という言葉は聞いたことがあって、知っているけれど、それがどうつながっているのかまったくわからない。というのが、おそらく日本人の大半だと思います。この状態をなんとかせにゃいかん、ということで、今ネットでこの話をして欲しいという輪が広がりつつあります。ミクシなんかにも大きなコミュニティができている。マスメディアを経由しないで情報伝達できる社会になりつつあるのかな、と感じます」
「反応の偏りが見えにくい」
さて、本題のネット選挙解禁問題については、「過激」と評価されるメルマガ/ブログ「ごまめの歯ぎしり」を書き続ける太郎氏の立場は極めて明快。
「ネット解禁? なんで今ごろそんなこと言ってるの。もう十分解禁されているだろう、って私は言っているんです」
えっ、そうなの?
「だって今のルールは、選挙が始まったら、投票までの12日間(衆院選の場合)はサイトを更新してはいけない、というもの。選挙公示の前日までは更新できるし、動画だってアップできる。政治家にとっては、残りの353日の日常で、どれぐらい自分がサイトにかかわっているか、どれだけ情報発信しているかが重要なのであって、選挙中の12日間、今日どこそこに街頭演説に行きました、という話を載せてもあまり意味がない」
「むしろ、解禁すべきは紙のちらし。今は全世帯数に配れる枚数を作れないし、そもそも作ったものを、配れない。じゃ、どうやって届けるの? 取りに来させろ、って法律はいう。つまり選挙事務所に来た人、演説に来た人に手渡すわけです。でも事務所や演説に来る人は、もともと自分に投票してくれる人なんです。それ以外に、新聞のオリコミを使えることになっているが、読んでもらえない。だからまず、選挙区の世帯枚数プラスアルファぐらい、ちらしを印刷できるよう、紙を解禁する方が先決だと思う」
でも、それって一方通行的に伝えるコミュニケーション1.0の話ではないでしょうか。ネットを通じて双方向にやり取りをする過程で、政治家は民意を吸い上げられるのでは?
「“なんとなくの民意”をネットで吸い上げることは可能だと思いますが、すでにある世論調査の質を上回るかどうか。私のブログは今、1日8000人、メルマガは1万人ぐらいの読者がいますが、反応してくれるのは、せいぜい1割です。しかもその1割は万遍ない1割ではない。何らかの偏りを持った1割が返事してくれているのはわかるが、その偏りがネットでは見えない」
「たとえば、胡錦濤さんが先日来たとき、『ギョーザのこと言ったれ、言ったれ』というメールはたくさん来ました。でも、『ギョーザどころじゃねえだろ』というメールは来ない。そうしたなかで意見を吸い上げて、どれだけ正確な民意なのか。統計的に意味のあるサンプル数で世論調査をして、なるほど世の中はこういう意見分布なんだな、とやる方が、たしかにカネはかかりますが、正確だと思いますね。ネットはカネはかからないかもしれないが、何を代表しているのかがわかりにくい」
余裕ある人、ギリギリ必死の人
そうはおっしゃっても、今の公職選挙法は、何が禁止されているのかがわかりにくい。だから、本来もっとも議論が盛り上がるべき選挙期間中が、言論禁止期間のようになってしまっていて、残念です。メディア的な文脈で、政治家の応援が禁止されるのは理解できますが、ブロガーが日々の雑談の延長でブログで語っていても、「今、選挙中なんだから書くな」などと言われたりします。一体何がNGなんですか?
「たしかに法律にはあいまいな点があります。(候補者の)意を通じずに、ネット上の議論が盛り上がることは全く構わない。けれども、その裏にじつはだれかがいて、意を通じ、他人のフリしてやっているとなれば問題になる。そうなる可能性がある」
「もうひとつ、まったく根拠のない誹謗中傷をどうするかも問題になる。紙でも誹謗中傷の問題はもちろん生じますが、やってしまったときの影響度が紙とネットでは全然違う。たとえば紙のちらしを一軒ずつ郵便受けに入れていく作業には時間がかかるため、一気に広範に誹謗中傷することはできない。けれどもネット情報は一気に広がる。また、そうとは感づかせないまま、誹謗中傷することも、ネットの方がやりやすい」
「こうしたネガティブな部分と、ポジティブな政治論議の盛り上がりの部分のバランスをどうとるか。ポジティブな部分を解禁することによって、ネガティブな部分をトータルで上回ればいいという考え方はあります。でも、トータルでポジティブであっても、候補者ひとりひとりにとっては、個々の小さなネガティブが全身にふりかかってきます」
「そんなの気にしても仕方ないだろ、と余裕をかませられる人と、ギリギリ、必死の状態で選挙活動をしている人とでは違う。たとえば市会議員のように中選挙区制だと、似たような考えの仲間と票を奪わなくてはならない。そういう状況で、ネットでガバっと(誹謗中傷を)やられると、モロに影響が出る。ローカルになればなるほど、ネガティブな面への手当ては必要になる」
「公職選挙法をネガティブリストにして、これはダメ、あとは全部いいよ、という改正の仕方はあると思いますね」
なるほど。メルマガ/ブログを駆使し、ネットのポジティブな面を十分活用できている代議士個人の見解と、ネガティブな面に心配りしなくてはならない党局長の見解の大きななズレが浮かび上がる、笑いの絶えない、楽しいひと時でした。
市場に淘汰されない実力を……
ところで冒頭の話に戻って、“河野大臣”が登場したらメディアはどう変わるのか。
「だれでも来ていい、リアルタイムで大臣会見流します、となれば、会見に来て、その情報を流すこと自体は、だれでもできるわけだから、付加価値はガーっと下がる。そうなると、会見の内容プラス、環境省の政策をキチっと書けている奴の記事を読もうよ、となる。そうなれば記者のレベルも上がる」
「マルチメディア局長なので、ブロガーに向けて情報発信したいなぁとは思うんだけど、(周囲は)では懇談会をやりましょう、となる。懇談会もいいけど、そんなのではありふれているし、あまり面白くない。もっと抜本的に、『自民党の記者会見に、ブロガーも来ていいですよ』とやりたい。そうすれば、ずっと書き続ける人は、自ずから選抜されます。こいつの書くものは的確、こいつは面白い、こいつは一言一句忠実に流しているぜ、という具合に。もちろん取り違えたり、捻じ曲げた情報はダメだけど、それ以外は“市場の力”にまかせちゃえばいい。まあ、僕が幹事長になったら、そう変わりますよ」
プロ記者の全仕事量に占める会見取材の比率は、たかだか数パーセントに過ぎない。けれども、この既得権益の開放によって、記者が今以上にオープンな競争にさらされることは間違いない。
河野大臣、河野自民党幹事長誕生まで、まだしばらく時間はあるだろう。願わくはその間に、市民記者、市民メディアとして、市場に淘汰されないだけの実力をつけたいものだ。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080516/25146
※コメント:
素晴らしい。さっさと総理大臣にすべきだろう。
・・・・が。
ブロガーを会見にいれるとは、言い方を変えれば自民党支持の2ちゃんねらーを入れるという意味でもある。彼らが会見で質問したりすることは、どこまで許されるべきなのか。議論が必要だ。
アメリカの場合は「一定の実績のある」ことを前提にブロガーが大統領会見に入ることを許可しているらしい。その辺りを参考にすると良いだろう。
また、以前、河野氏はJ-WAVEのニュース番組にゲスト出演した時「ネット選挙運動の解禁には反対」と明言している。理由は公示後もサイトが更新すると中傷合戦になってしまうからだという。これも微妙な話である。
閉鎖的な記者クラブ制度は少なくとも実質的には廃止しておいて、
米国流プレスルーム式に移行させることが基本的には望ましいだろうが、
「記者クラブ廃止で変なニュースが増えて自民支持率上昇」なんて話は勘弁してもらいたい。
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