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「経済コラムマガジン08/5/19(527号)
ばかげた経済政策の連続
・レッドカーペット
日本のバブル崩壊の開始は、90年から91年にかけてである。まず90年の正月明けから株価が暴落し始めた。地価は90年に首都圏が下落を始めたが、関西圏や地方都市の下落は1年くらい遅くなった。株価の底は13年後の03年である。一方、首都圏の一等地の地価が底をつけたのはこれより若干早い時期だと筆者は見ている。
筆者が問題にするのは「資産価格が底を打つのに13年という異常に長い時間がかかったこと」と「底を打った時点の資産価格が明らかに適正価格を大きく下回ったこと」である。それにしてもあまりにも長い間資産価格の下落が続いたものである。しかもその後もデフレ経済をさらに引きずっているのである。
日本の最大の不運は、バブル崩壊後というこの大事な時期に「構造改革派(財政再建論者と小さな政府論者)」 が跋扈し、経済政策を撹乱したことである。いわゆる「小泉的なもの」の登場である。久々に96年は日本の経済成長率が先進国では一番大きく、ずっと筆者が主張していたように、97年頃に一瞬地価が下げ止まりの気配を見せた。しかしこの流れを打ち壊したのが橋本行財政改革であった。
しかしその前の93年、細川政権誕生という政権交代が政治的混乱を招き、日本の 経済政策がぶれたことも痛手であった。基本的には細川政権は構造改革派であった。なんとこの政権の目玉政策が規制緩和による「地ビールの解禁」であった。当時は世間もマスコミもこれをもてはやしていた。財政支出を削減しても規制緩和を行えば経済は成長するといった間抜けな「迷信」がこの頃からあったのである。
日銀の金融政策も酷かった。まずバブルが既に崩壊しているのに、三重野日銀総裁は91年7月まで引締め政策を続けた。なんと日銀にはバブルの崩壊が経済に与える影響は軽微という認識があったのである。一方米国FRBは、サブプライム問題が発覚した昨年7月にはまず公定歩合を引下げ、9月からFFレートの引下げを開始している。バブル崩壊後、金利を急速に引下げることは日本の失敗から学んだ教訓であろう。
98年3月に日銀の総裁に就いた速水氏は最悪であった。彼は円高主義者であり、シュムペータの「創造的破壊」の信奉者であった。デフレ経済進行中の日本経済にとって最悪の日銀総裁であった。橋本政権を継いだ小渕政権は、景気回復に努めたが、これに度々水を差したのが速水日銀の金融政策であった。
小渕首相は「自分が任命した日銀総裁ではない(橋本政権が任命)」と半分諦めていた。日銀は大事な時に「インフレが恐い」と金融引締めを行ったり、支離滅裂な金融政策を続けていた。最終的に速水日銀はとうとうゼロ金利政策に追込まれている。三重野総裁や速水総裁に比べれば、福井氏はまともな日銀総裁であった。
フジテレビ系に「レッドカーペット」というお笑い番組がある。お笑い芸人が次々に登場し1分間のネタを披露する。ゲスト審査員がこれらに「満点・大笑い」「大笑い」「中笑い」と採点を下す。バブル崩壊後の経済政策はまさに「満点・大笑い」の連続であった。
もしまともな政策だけが行われていたなら、数年で日本経済は回復しており、山一証券、長銀、拓銀の経営破綻は避けられていたと筆者は思っている。銀行に公的資金を投入したから、銀行が立直り、経済も回復したという話はデマである。「満点・大笑い」政策の連続が、日本の金融機関を公的資金投入まで追詰めたのである。そして最後に登場したのが自称構造改革派の小泉・竹中という「満点・大笑い」芸人であった。
・構造改革の受益者
筆者は、バブル崩壊後これだけ当局のばかげた政策が長く続いたのに、長銀・拓銀を除き、よく日本の銀行は耐えたと感心している。これも銀行の貯えがぶ厚かったからと考える。日本の銀行はずっと競争が制限されていたので、毎年大きな利益を上げていた。この一部は銀行員の高い給料となったが、残りは内部に蓄積された。銀行の設備投資は厳しく制限されており(支店の開設はほとんど認められなかった)、利益がそのまま残っていたのである。
米国では、簡単にベア・スターンズが破綻し、シティーなどのメガバンクが外国の政府系ファンドに大きな出資を仰いでいる。それに比べ、バブル崩壊後、10年間以上も、日本の銀行が耐えられたことは驚異である。しかしこれだけ体力があった銀行を決定的に追詰めたのは、97年の橋本政権と01年に登場した小泉政権のデフレ政策であった。
銀行への公的資金投入が日本経済を回復させた(筆者はいまだに回復しているとは全く思わないが)と言っているのは、主に構造改革派である。実態は、ばかげた構造改革政策で銀行を追込んでしまい、最後に公的資金を投入せざるを得なくなったのである。まさに構造改革派こそ「マッチポンプ(災いを作った本人がそれを解決する)」であった。
そして公的資金が投入された時期に資産価格がちょうど底を打ったのである。株価の底は前々回号で述べたようにりそな銀行救済策で底を打った。また都心の一等地の地価に限ってはその前に底を打ったと筆者は見ている。これは政策によって底打ちしたのではなく、あまりにも下げ過ぎたから自然に底を打ったのである。
筆者は02年に02/10/7(第269号)「銀座のデモ隊」http://www.adpweb.com/eco/eco269.htmlで取上げた日本橋のビルのオーナから、都心の地価の下落の凄まじさを聞いている。自分の日本橋のビルの価格下落も酷いが、知人の銀座のビルはなんとピーク時の10分の1になったと話しておられた。たしかにバブル期の地価も異常であったが、都心の一等地の底値も異常であった。
しかし筆者は、03年にある中堅の不動産会社のオーナ社長にお会いして、この会社が数年前から都心の一等地を買い始めたという話を伺った。この会社は、80年代のバブル期の末期に所有土地を全て売却し、現金に換えていたという話である。しかしあまりにも地価が下がったので、今度は土地を買いこれを証券化し、さらにこの資金を有望な土地に再投資しているという話であった。
この話から99/5/3(第113号)「地価動向と景気回復」http://www.adpweb.com/eco/eco113.htmlで取上げた「収益還元法」で利益の出る地価水準に既に到達した土地が都心に現れたことが分る。しかし「収益還元法」による地価評価は、経済の活動水準が影響することから、小泉政権誕生によるデフレ政策で一時的に冷や水をかぶされたと思われる。
ばかげた経済政策の連続で日本の資産は暴落したが、一方暴落したこれらを買った人々は大儲けしたことになる。反対に本来の価値を大きく下回る価格で売らざるを得なくなった人々は、結果的に大損した。筆者は、ばかげた経済政策によって大損させられた人々は、政府に損害賠償を求めても良いくらいと思っている。
もちろん底値で資産を買った日本の資本はある。しかしやはり目がつくのは外資である。デフレ政策や株式の持合いの解消によって株価は暴落したが、それを買ったのが外資である。今日では東証の売買高は6〜7割が外資である。まさに異常な状態である。
また外資は一等地をかなり法外の安値で買っている。ティファニーは03年に銀座の一角に165億円の投資をして店を構えた。しかしその後銀座の地価が高騰したので、07年3月にその店を380億円で売却し、さっさと撤退した。わずか4年間で215億円の利益である。このような事を見てくると、意図していたかどうかを別にして、構造改革派の人々が一体誰の利益のために動いているのか透けて見える。
来週は、地球温暖化を取上げる。」
http://www.adpweb.com/eco/eco527.html
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