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2008年05月14日
あなたならどう対応するだろうか
私が現役の外交官であった時、いつも自分に問いかけていたある質問があった。
それは、どうしても自分はその国の体制を許せないと思われるような国に勤務を命ぜられた時、その国とどう向き合っていくか、という質問である。
幸いにして、私はそこまでの悪政国家に勤務したことはなかった。だから深刻に悩まなくて済んだ。
しかし、私がレバノンという国に勤務していたとき、隣国のイスラエルが連日パレスチナ人を弾圧していた実態を目撃し、イスラエルを許せないと思った。
もし自分がレバノンではなくてイスラエルに勤務を命じられた時、はたしてイスラエル政府とどう向き合っていただろうか、と考えて毎日を過ごしていた。
どこの国も程度の差こそあれ悪政は行われている。国民を苦しめている。少数民族の人権を奪ったりしている。
そしてどこまでが許容範囲で、どこまでが絶対悪政であるかを判断する事は難しい。
たとえばチベット問題だ。チベットの人権尊重を叫び、中国政府に政策の改善を求めるのはよい。
しかし、その人たちが、同じ怒りを世界のすべての人権抑圧国に向けているだろうか。
ミャンマーの軍事政権はどうか。ロシアの対チェチェン政策はどうか。スーダンのダルフール政策、そしてイスラエルのパレスチナ弾圧はどうか、となる。
これら人権抑圧国と日本が外交関係を持たなければ悩まなくてすむ。勤務しなくてよいからだ。
しかし外交関係がない国というのは、ほとんどが交戦状態が続いていたり、和平条約がいまだ実現していない国であって、その国の政治が悪いから外交関係を持たない、という事はまずない。
あの北朝鮮であっても、金体制が独裁だから外交関係を持たないのではなく、戦後の国交回復がなされていないから外交関係がないのだ。
だから日本もまた、多くの「好ましくない体制」の国々と外交関係を維持し、大使館をその国に構えることになる。勤務させられる事になる。
そこで冒頭の質問に戻る。
14日の産経新聞に駐日イスラエル大使がイスラエル建国60周年を記念して都内のホテルでパーティを開いたという記事があった。
会合には各国の外交関係者や日本の外務省の大使経験者ら、イスラエルに縁のある数百人が集まったという。
そしてニシム・ベンシトリット駐日大使が「・・・ユダヤ人が勇気を振り絞ることにより、国を造ることができた・・・私たちは一つの夢を持っている。子の世代に国を残し、基本理念は平和であるということだ・・・」と話した、と書かれていた。
それを受けて、日本・イスラエル友好議員連盟会長の野呂田芳成衆議院議員が
「(イスラエルが独立した)1948年には日本はGHQの占領下にあり、国民は意気消沈していた。そんな時、イスラエルが、敵対する周辺諸国を相手に敢然と独立宣言をしたことは、大変励みになった」という祝辞を述べた、と書かれていた。
私は思い出している。私がレバノンの大使をしている時、隣のイスラエルに勤務していた同僚の大使が、イスラエルのパレスチナ政策はなんとかならないか、と恐る恐る批判的な事をイスラエル政府に伝えた事があった。
そのとたん、イスラエル政府は、烈火のごとく怒り、再びこのような事を言えば国外追放すると言わんばかりの対応を見せた事を。
それ以上イスラエルとやりあうとその大使は外務省からいさめられるであろう。イスラエルとの関係を悪化してまで、パレスチナ問題に肩入れするなと。
外交も人間関係も同じである。自分が絶対的に正しいと誰もが思う。正しい事であっても、それを相手に言えば、言われた相手は怒る。
それなら二度と付き合わない、と別れられるのなら事は簡単だ。しかし、現実は、どんなに気に食わない相手であっても、様々な配慮や打算で、つきあいを続けざるを得ない時がある。
だから、誰もがイスラエルの不正義を心に感じていても、それを不問にして、上記のパーティ席上のような表面的なエールの交換を続ける事になるのである。
不器用な私にはそれができなかった。パレスチナの犠牲の残酷さを知ってしまった私にはイスラエルの非から目をそらすことはできなかった。
あなたが駐イスラエル国の大使なら、果たしてどう対応するであろうか。
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