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http://www.amakiblog.com/archives/2008/05/03/#000858
2008年05月03日
福島重雄元裁判長ふたたび
私は5月1日のブログで、長沼ナイキ基地訴訟で違憲判決を下した当時の福島重雄札幌地裁裁判長が、朝日新聞に投稿した事について書いた。
今度は、その福島裁判長をインタビューした記事が、5月3日の東京新聞「こちら特報部」に大きく掲載されていた。
福島裁判長とは一面識もない私であるが、新聞記事を通して伝わってくる彼の生き方に、私はふたたび強い感銘を受けた。
いくつかの彼の言葉を以下に引用しながら、その厳しい自己規制の人生を、読者とともに追体験してみたいと思ってこのブログを書いた。
彼の生き方に賛同しない人がこの世の中に多く存在する事を私は知っている。それどころか、時流の身を任せて少しでも出世しようと考える者が大多数だろう。
それはそれでいい。
たとえば、国家権力に迎合し、違憲判決を避けて出世していった同期の裁判官たちよ。
福島裁判長をほめなくてもいい。
しかし、少なくとも、「福島はおろかだ」、とは言わないで欲しい。「俺たちのように要領よく生きたほうが人生勝ちだ」などと、自信を持たないで欲しい。
どんなにうまく過ごした人生であっても、80近くにもなれば後は死が待っているだけだ。せめて人生の最後ぐらいは自分に素直になってもらいたい。
次の福島裁判長の言葉を読んで、自分の人生との違いを振り返ってみて欲しい。いずれの人生であっても、やがて終わりを迎えるのだ・・・
「・・・長沼事件なんて思い出したくないし、なるべく触れたくない。だから、当時の新聞を読んだ事もないし、資料も寄付してしまったんです・・・」
69年、札幌地裁で判事になり、まもなくナイキ訴訟を担当。審理中に平賀健太所長(故人)から手紙が届く。
「・・・最初は所長室や自宅に呼ばれ、口頭で『重要な事件だから、慎重に』と言われた。容認するなということです。所長と顔をあわせないようにしたら書簡が届いた・・・行政庁(法務省)出身の平賀さんを札幌地裁の所長にした最高裁の意図は見当がついた・・・」
違憲判決を言い渡した翌年、東京地裁の手形事件担当に異動。その後、福島と福井の家庭裁判所へ。裁判長として判決を書くことは二度となかった。
「・・・裁判官は憲法で身分が保障され、意思に反して免官、転官、転所されない、とされているが、そんなのは口先だけ。人並みの仕事もさせてくれない。ナイキ判決の後、ずっと辞めたかった・・・」
4月17日のイラク訴訟違憲判決を知って、
「・・・ここまで踏み込んでくれる裁判官が残っていたのは、一人じゃ寂しいですが、多少は心強い。五十年、六十年も違憲判決が出ないのでは、と考えないわけではなかったですから。消極ムードの中で、頑張って判決した・・・」
最高裁の長官や判事は、内閣に指名、任命される。
「・・・その最高裁が下級審を操る。どうしても政府の意向に沿うような流れになります。誰だって冷や飯を食うのは嫌だし、流れに乗って所長にでもなったほうがいいと思う。そういう裁判所の体制にしちゃった・・・本来もっと和気あいあいとした所だったが、司法行政がそういうふうにつくってしまった・・・」
「法治国家なら憲法に従って社会制度をつくるのが当然。憲法の言う通り武力なしで努力する事もせず、最初から憲法だけを改正しようとするのは憲法に失礼だと思う・・・」
「・・・今でも嫌な思い出ですが、年も年だし、後に言い残しておいたほうが、人のためになるかと思って・・・何かを残しておかないとね」
■関連投稿
長沼ナイキ訴訟で違憲判決を下した元判事の朝日新聞投稿(天木直人のブログ)
http://www.asyura2.com/08/senkyo49/msg/611.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 5 月 01 日
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