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『建築家が眺望するニッポン』−文化から見る日本人の底力−2008.04.20.
メールマガジン『まぐまぐ』http://archive.mag2.com/0000150178/index.html
聖火リレーでチベットの人権問題に対して抗議行動が続発する一方で、そのすべての地で中国人による、『中国分裂を図るダライラマ一派に対する抗議集会』が開かれています。『中国はひとつ』なのだそうです。そりゃそうです。でも私は台湾もひとつ、チベットもひとつだと思いますが・・・。
どこの地でもそこに住む中国人は少数だと思います。しかも居住するその国の文化の中に彼らはいます。人権とは何か、自由とは何か、周囲のその国の人たちがチベットで起こった暴動のことをどう見ているか、そしてその見方の根拠はどこにあるのか、についても充分に理解していると思います。
中国の国営放送局が、ダライ一派の主導による暴動だという報道を繰り返すのは理解できます。中国国内の話であり、周囲のほとんどの人がそうであることとして考え、反論もまずあり得ないからです。
しかし、中国の常識が通用しない国に住む中国人が、中国政府の主張をそのまま信じ、しかも四面楚歌の中で堂々とそう主張することには心底驚きます。そんなことを主張したら周囲の人たちが中国人をどういう目で見るか分かっているにもかかわらず、大声で自分達の怪しげな正当性を語り続ける太い神経に感心するのです。
日本人なら旗を振りかざして大騒ぎするどころか、恥ずかしさと恐怖でほとぼりが冷めるまで家に閉じこもるのではないでしょうか。
日本人には自己主張するより周囲の動向を探り、よく言えば主観ではなく客観で空気を読んで行動を起こす傾向があるように思えます。
また、闇雲に自己主張を繰り返す行動を品がないとして恥じる文化も持っています。 正しい行いは大声で主張しないでも分かる人には分かるのだ、というわけです。
なにか良いことをやって、しかもその良いことをしたことを一切話さず、話さないにもかかわらず、ああ、あれはあの人の行いだったのだ、と後から分かるような話は、時に日本人の涙を誘います。
聖火が走る世界各国で自己主張を繰り返す中国人を見て驚くのは、もしかしたら私が日本人だからかもしれません。なぜならよく観察してみると日本人以外の国民はほとんどどこの国も中国的な部分を持っているからです。むしろ自己主張をしない日本人が特殊なのです。
何かというと反日デモが起こる韓国人の執拗さや熱さを、私はその大陸的なパワーに感心すると同時に、多少鬱陶しさを感じてもいたのですが、ハンドボールアジア選手権におけるイランの審判の不正を、そのビデオテープを世界中のハンドボール協会に送りつけることで覆した韓国人の執拗さを見たときには、妙に頼もしい親しみを感じました。同じような執拗さが鬱陶しく思ったり頼もしく思ったりするのですから勝手なものです。
もちろんそんな日本人を歯がゆく思う人たちもいます。
そう思う人たちは、日本はもっと自己主張をしないとだめだ、と言います。自己主張しないから他国から馬鹿にされ、尊敬されないのだ。そして自己主張できないのは軍事力を持たないからだ、とも言います。
そういうことを言う人たちが、男は黙っての武士道の流れを引いたどちらかと言うと右よりの考え方をする人たちだと言う点も大変興味深いです。
黙っていても分かる人には分かってもらえる、と言う文化は、閉鎖された島国で共通の文化や価値観を共有しやすい環境にあったからだ。ありとあらゆる文化や価値観を持つ世界を相手にするときは、主張すべきところは主張しないと理解されない、という考え方には確かに説得力があります。
しかし、自己主張せず、相手の立場や事情を察して、淡々と誠意を尽くし続けるという日本的な美学をよしとする感覚は、案外万国共通かもしれません。時代や文化を超えた人間の生き様の普遍性がそこにはあるからです。
世界中の人たちを対象とした各種のアンケート調査結果を見ますと、最も強く自己主張するアメリカと中国、北朝鮮の好感度が最も低く、自己主張しない日本は好感度が最も高い国のひとつにあげられています。
馬鹿にされ尊敬されないどころか、尊敬する国でもトップレベルにあります。つまり声高に自己主張しないでも、文化や価値観の壁を越えて見る人はちゃんと見ていてくれるわけです。
国連決議などでは、後開発国でその決議案について充分な調査が出来ない多くの国々は、日本の投票を待ってそれにならうそうです。
尊敬だけではなく、信頼されてもいるのです。
声高にごり押しして金と権力を手に入れても、尊敬されず金目当ての友人しか周囲にいなくなってしまったら、何のための金や権力でしょう。人生を棒に振るようなものです。
自己主張を繰り返して無理を通そうとするより、『和をもって尊しと為す』という聖徳太子の思想が世界へ広まれば、世界に平和が訪れることでしょう。
そもそも自国を『和』などと呼ぶ国は日本以外にありません。
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