アジア連帯講座が聖火リレーに抗議 「チベット連帯」の若者たちとも交歓 右翼の排外主義的挑発はねのけ 人権と民主主義の呼びかけ貫く 世界で拡がる 抗議アクション 三月十四日のチベットにおける反乱に対する中国政府の血の鎮圧以降、中国政府の武力弾圧に抗議するアクションが世界に広がっている。それは、この夏に開催される北京オリンピックのデモンストレーションである聖火リレーへの抗議アクションとしても世界各地で展開された。 まず、三月二十四日、ギリシャでの「聖火式」に国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」の3人が「手錠の五輪」のプラカードを掲げて突入して中国政府のチベット反乱弾圧と人権侵害政策に抗議。聖火リレーの沿道でも亡命チベット人が"Free TIBET!"を連呼したアクションが一連の「反聖火国際共同リレー」の口火を切った。 そして、四月六日のロンドンでのアクションが、この闘争を大きく注目されるものとした。亡命チベット人と亡命民主派中国人、チベットでの人権侵害に心を痛める支援者たち千人が抗議集会を行い、実力で「聖火」を消すアクションが次々と実行され、沿道で"Free TIBET!"のコールがとどろく中、三十七人が逮捕された。 翌七日のパリでのアクションは、一連の「反聖火リレー闘争」の一つのピークとなった。実力行動によって四回に渡って「聖火」は消され、亡命チベット人と支援する市民のアクションによって、最後には「聖火ランナー」がバスで移動するという事態に追い込んだ。緑の党の地方議員も実力行動に参加し議員も含めて二十八人が拘束されたが、聖火リレーの記念式典も中止を余儀なくされた。 その後は、聖火リレーを受け入れた各国政府は、厳戒警備をもってリレーを開催することを余儀なくされた。九日のサンフランシスコでは、抗議アクションの高揚を恐れた当局によって、抗議行動で埋め尽くされた沿道を避けて急きょルートが変更されて、倉庫を抜けバスで運ばれるという醜態を演じた。十万人の亡命チベット人が在住するインドでの十七日のニューデリーでの聖火リレーは、沿道から市民すら排除し、ルートをフェンスで覆って、かつ大幅にコースを短縮しての実施だった。インド政府は「聖火リレーは平穏に終わった」などとしているが、ニューデリーの各所では大規模な抗議行動が展開され、十七日だけで百七十人の亡命チベット人たちが拘束されるという「弾圧による平穏」であり、この事態を成功などというのはインド政府だけだろう。その後も、各地で聖火リレーは大きな抗議に包まれた。 一連の「反聖火国際共同リレー」は、聖火リレーと、「平和の祭典」などと称してきたオリンピックの威信をズタズタにし、聖火リレーそのものの存続すら疑問視される事態を生み出している。実施される予定の長野でも、十七日に「聖火リレー記念式典」は中止され、十八日にはリレー出発地点だった善光寺が世界的な抗議の広がりにとうとう「出発地点」として使用されることを拒否するという事態となった。 この国際共同闘争に対して中国外務省の姜瑜副報道局長は八日、「チベット独立勢力が五輪精神と英仏両国の法律を顧みず、意図的に妨害した」などと非難し「この卑劣な行為は崇高な五輪精神を冒涜し、五輪を愛する全世界の人々を挑発するもの」、「五輪の聖火に込められている平和、友情、進歩という理念はいかなる者も 阻むことはできないと信じている」などと語った。 中国政府の人権 侵害を許さない そう、「北京オリンピックを平和裏に成功させる」ということは、中国におけるチベット、ウイグルなどでの民族抑圧、急激な「資本主義化」で踏みにじられている労働者・農民・失業者たち、民主化を求める民衆を抑圧する秘密警察国家・監視密告社会をそのままにして国際社会が独裁国家を認知する、ということなのだ。アジア連帯講座は、中国政府による「植民地化」と人権侵害に抵抗するチベット・ウイグルの人々との連帯、労働者・農民・失業者・民主派中国民衆との連帯、中国の人権侵害に心を痛める世界の人々との連帯をかけて四・二六聖火リレー抗議現地アクションに決起することを決定した。 それはまた、チベット問題を「反共・反中国キャンペーン」に利用するだけの右派の言うような「北京オリンピックのボイコット」を求めるものではなく、「国家主義と国威発揚装置のオリンピックはそもそもいらない!」をも訴えるアクションとしても貫徹された。アジア連帯講座は一九九八年長野オリンピックに反対する長野現地の人々らとともに開会式当日に「No OLYMPIC!」の声を上げたのに続いて、四月二十六日にも長野の地で決起した。 仲間たちは、前夜の二十五日深夜に集結して東京を出発した。途中の高速道のパーキングエリアで休憩していたら、中国語の一団が続々とバスを降りてくる。「長野に行くの?」と尋ねたら「ハイ、そうです」と流暢な日本語で答える。てっきり留学生かと思ったら、なんと大連からこの日のためにやって来たと言う。あまり報道されていないようだが、「長野の聖火リレーを盛り上げるために」留学生だけでなく、中国本土からの動員組も多数参加していたようだ。「中国サポーター」のバスは続々とパーキングエリアに到着して、その数はあっという間に二十台を超えた。こりゃうかうかしていたら、主な場所がすべて「愛国人民」に陣取られてしまうぞ…と、私たちは予定より早く長野入りした。 青年たちは右翼 に同調しない 長野の仲間と合流して、朝五時前には私たちは長野駅を正面に見る交差点の一角にある小公園に陣取った。この場所に三々五々チベット支持派の若者たちが集まってくる。私たちが横断幕と虹旗、ゲバラ旗を掲げると「ゲバラは共産主義やん!」と言ってくる。「ゲバラはソ連や中国を批判しているからいいんだよ」と言うと「へぇ、そうなんですか」と簡単に納得していた。そうして、中国国旗のものとは違う赤旗が唯一本翻った。 若者たちは、「右」とか「左」の政治信条以前に、とにかく中国政府によるチベット民衆虐殺に抗議したい、抑圧を止めたいと強い思いをもっている若者たちだった。そして、私たちに「チベット問題をどう思っているんですか?」と質問してくる。「我々は別にダライ・ラマの支持者じゃないからね。チベットのことはチベット人が決めるべきだし、そういう自決権を否定してチベットを植民地にして迫害したり虐殺する中国政府のやり方に反対する、という立場かな。独立するか、自治なのか、中国の一部であることを選ぶのか、をチベットの人が決められる環境を作れればいいんじゃないか?」と答えると、「そうそう、そうなんですよね」と相槌をうつ若者も。私たちの陣取った小公園の反対車線の歩道や両脇が、バスで到着した動員「中国サポーター」でどんどんと埋まっていく。朝六時前には私たちは若者たちとともに、散発的に"Free TIBET!"の声を上げ、徐々に熱気を帯びたものになっていく。この盛り上がりを見て職業右翼や差別排外主義のレイシスト集団たちもこの公園に集まりだす。職業右翼が便乗しようとして「日本は中国と国交を断絶せよ〜」と叫ぶと、若者たちは「オレは自分は右だと思ってるけど、それは違うだろ」「国交断絶なんて無理だし」「中国の人たちにも分かってもらいたいんだよ」と次々と声を上げる。若者たちは自分たちでシュプレヒコールもあげていたが、どんなに興奮しても差別的・排外主義的なことは絶対に言わない、あるいは職業右翼の排外的な扇動には絶対に乗せられることはなかった。 気がつくと、周囲は完全に「中国サポーター」群集と中国国旗に包囲され、そして私たちの盛り上がりに便乗しようとする右翼たちを含む百人ほどの「チベット連帯派」は身動きの取れない状態になってしまった。結果、狭い場所での極右・レイシスト集団と背中合わせの行動となった。しかし若者たちと私たちは、右翼の排外主義扇動には断固として一線を画しながら、"Free TIBET Now!" "No OLYMPIC!" "Remember Tiananmen!"(天安門を思い出せ!) "Remember シックスフォー、エイティーナイン!"(89年6月4日を思い出せ!)と若い中国人たちにもアピールする。 そして、右翼たちによる、もはや「反共」ですらない政治的に無内容な「ゴキブリ中国人」などのメガフォンによる罵倒に対しては「差別サイテー!」「人間としてダメだろ!」と野次とブーイングで批判しながら、メガホンを上回る肉声での"Free TIBET! HUMAN RIGHTS!"のコールによるアピールを実現した。あるいは右翼の「中国サポーター」に対する暴力的挑発に対しては若者たちとともに「暴力ヤメロ!差別ヤメロ!」のコールで圧倒してついには右翼たちを一旦この場所から退散させることに成功した。 またレイシスト集団は若者たちを巻き込もうと「皆さんここから移動して抗議しましょう」と呼びかけるが、若者たちは「ここでお兄さんたちと一緒にやりますよ」と誰も移動に応じなかった。若者たちは、私たちとともに声を枯らしながらアピールを続け、のど飴やペットボトルの水分を「これどうぞ」と私たちに回してくれた。 また、対峙する「中国サポーター」の大群衆の「加油!中国!」の大コールにも、若者たちと私たちは負けることなく逆に完全に圧倒した。この盛り上がりを見て「チベット問題」を利用して若者たちの獲得を狙っている右翼とレイシスト集団が、またすごすごと戻ってくる。しかし、若者たちに取り入る隙もないと悟った彼らは、ひたすら暴力的・排外主義的挑発にいそしむしかなかったが、そのたびに「暴力ヤメロ!差別ヤメロ!」のコールが飛び交う。あとでテレビ報道で観ると右翼の暴力と小競り合いの場面ばかりが強調されていたが、少なくとも私たちの知る範囲では場を制していたのは確実に、チベット連帯の意を示しながら、中国の人々とのつながりを作りたいと願うヒューマニティーの精神だった。 中国人サポー ターへの訴え しかし、品性のカケラもない日本の右翼ほどではないにしても、「中国サポーター」もまた、わざと私たちを指差して一斉に大きな嘲笑の声を上げるなどして、非常に素行の悪い「国家主義集団」でしかなかった。かれらと日本の右翼の罵り合いは、まさに「同族嫌悪」とか「ナショナリストの内ゲバ」にしか見えないものだった。しかしそれでも、「天安門を思い出せ!」「HUMAN RIGHTS!DEMOCRACY!」という私たちの訴えが、かれらの心にインクの一滴でもたらすことが出来たならば……。 また、「中国サポーター」は非常に統制されていて、「小競り合い」は常に日本の右翼やレイシスト集団による挑発と乱入によって引き起こされていたことは付け加えておかなければならない。また、大量投入された警官隊は、右翼のやりたい放題を横目でみながら、常に「衝突」がしばらく続いて中国人側に負傷者が出てから介入するという許しがたい「警備」姿勢だった。 朝八時半過ぎ、百人以上の機動隊員に守られた「聖火ランナー」が私たちの前を通過する。ランナーはタレントの萩本欽一だった。随行するバスには、星野仙一が乗っていた。「欽ちゃん恥を知れー!」「星野さん、見損なったぞー!」「チベットの人たちのことを考えろー!」「虐殺に加担するなー!」と怒号が飛び交う。そのとき、私たちの前で右翼が萩本に向けて何かを投げたが、若者たちが「暴力反対!」「くだらないことやってんな!」と叫んでいたことまでは、やはりテレビには映らない。しかし実は、右翼たちはアジア連帯講座の横断幕の影から「聖火ランナー」に投擲するためのトマトを大量に用意していたが、このような若者たちと私たちの振る舞いが卑劣な右翼に投擲を断念させていたのだ。 今回の聖火リレー抗議アクションは、アジア連帯講座によるものが左翼として唯一のものとなってしまった(中核派が離れたところでビラを撒いていたがチベット問題には「チベット人労働者と中国人労働者の団結による中国スターリニスト政権の打倒」と一般的におざなりに触れるだけで「労働運動で革命やろう」という現実とは無関係の自らのお題目を並べただけの代物だった)。 しかし、「チベット問題で闘うのは右翼やレイシスト集団の専売特許ではない」と示し、右翼・レイシスト集団と若者たちの間に楔を打ち込んだ意義はとても大きいものだろう。そして、国家主義的でチベット連帯に敵対する「中国サポーター」の人々に対しても、一貫して「中国の人たちの中に味方を作ろう」という立場で訴え、そして若者たちと行動をともに出来たことは、右翼たちよりも私たちの方が道徳的優位性と解決と変革の方向性をもっていることを確実に知らしめた。この方向性をさらに広げていきたい。 私たちは、若者たちと"Free TIBET!"と拳を交わして、再会を誓い合った。 (F)
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