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http://www.amakiblog.com/archives/2008/05/01/#000853
2008年05月01日
長沼ナイキ訴訟で違憲判決を下した元判事の朝日新聞投稿
福島重雄という元判事が、先般の名古屋高裁の自衛隊イラク派兵訴訟の違憲判決について、5月1日の朝日新聞に投稿していた。
最初は気づかなかったが、読み始めてすぐにわかった。「・・・9条をめぐる裁判での違憲判断は、私が札幌地裁の裁判長時代に言い渡した『長沼ナイキ基地訴訟』の自衛隊違憲判決以来、実に35年ぶりのことだ・・・」というくだりを読んだ時に、この人があの福島裁判長だったのか、とピント来た。
彼は、その投稿の中で、福田首相が今回の違憲判断に対して「傍論、脇の論ね」とそっけなくつっぱねた事や、「主文に影響しない違憲判断は蛇足だ」という一部批判に言及した上で、
事実認定をまず確定した上で、その事実に基づいて、原告に訴訟するだけの権利、利益があるのかどうかを判断した手法は、裁判のあり方としては常道であり、なんら問題はない、と断じている。
それどころか、航空自衛隊トップの「そんなの関係ねえ」発言をはじめ、政府関係者の指摘の多くは、判決のインパクトを弱めようとする意図が感じられる、と書いている。
私もまったく同感である。
あの判決は、在日米軍基地や自衛隊という一つの存在が違憲であるとした従来の違憲判決を超えて、「自衛隊を米軍の後方支援のためにバクダッドへ派遣した」という「政府の政策そのもの」が違憲である、と断じた点で、実に画期的な判決であった。この事はいくら強調してもしすぎることはない。
だからこそ政府は慌て、ことさらにあの判決を貶め、一蹴しようとしたのである。
しかし、私がこの福島元判事の投稿の中で最も注目した箇所は、国防など高度に政治性のある国家行為について「司法は判断権を有しない」とする、いわゆる「統治行為論」をとることなく、裁判所は堂々と憲法判断をすべきである、と次のように断じている部分である。
「私は(長沼ナイキ訴訟の)判決でこれを採用しなかった。なぜなら憲法81条は最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する最終裁判所であると規定しており、このような憲法の下で、司法の審査に服さない国の行為の存在を考える余地はない・・・三権分立の中で、司法が一定の分野について判断を避けるという姿勢は、政治に追従、譲歩することに他ならず、日本が法治国家を(放棄することになるからである)・・・私はこうした考えから、自衛隊と憲法9条を、(司法)判断の対象にすることに、なんら迷いはなかった・・・」
この物言いは、一見すると、自分のとった行動の自慢話のように聞こえる。間接的に名古屋高裁の裁判長に、主文の中で違憲判決を堂々と下すべきであった、と注文をつけているように聞こえる。
しかし、決してそうではない。この投稿文の全体に貫かれている主張は、名古屋地裁の勇気ある判決を、我々国民はもっと重く受け止め、国民の力で、この国のゆがんだ政治とそれに追随する官僚支配を、正していかねばならない、とするほとばしる叫びであることがわかる。
私は最後に書かれていた福島元判事の経歴をしみじみと読み返した。73年の長沼ナイキ判決後、彼は東京地裁から、福島、福井家裁に追いやられ、定年を9年残して、89年に退官している。
現在富山市で弁護士を続けている77歳の元判事に、出世をなげうって国家権力と戦った反骨魂を見る。
ふやけきった今の日本に真に必要な人物は、この福島元判事のような日本人ではないのか。そう思って私はこの投稿を何度も何度も読み返した。
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