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リベラル!! リベラリスト(自由主義者) 白川勝彦Webサイト HOME
永田町徒然草 No.725
明日updateしようと思って書いたのだが、鉄は熱いうちに打てだ。前倒しでupdateする。今日は聖火リレーに関する報道が沢山あった。この聖火リレーが世界各地で始まってから私はそんなに真剣にではないが、ずっとこの問題を考えさせられてきた。そして聖火がいよいよ日本に到着し、嫌が応でも真剣に考えなければならなくなった。永田町徒然草の読者の間にもいろいろな意見があろう。笑われるかもしれないが、愚見を述べてみる。 聖火リレーという実に単純な問題だが、真剣に考えると多くの多くの論点がある。だが道路特定財源と違って、私にはこの問題のほとんどを語る資格がない。情報不足と勉強不足だからだ。付け刃で勉強しても人に語るほどのものが出てくる筈がない。恥ずかしいことだが、チベットが中国の一部であるという明確な認識がそもそも私にはなかった。ネパールやブータンが独立した国家であることは知っていた。チベットがひとつの国家という明確な認識はなかったが、チベットが中国の一部すなわち“チベット=中国”という明確な認識もなかった。要するに私にとってチベットはチベットなのである。 しかし、チベットという国家名なのか地域名なのか明確な認識はなかったが、チベットは意外に私には馴染み深いものであった。日本人と非常に似通った人種で構成される“ところ”で、仏教を多くの人々が信仰する文化的にも日本と似た“ところ”という親密感が私にはあった。だがチベットとその周辺の国々の境界を正しく答えられるほどの知識はなかった。モンゴルではないし、ウズベキスタンやウズベキスタンなどとは違う地域である。インドでもないし、ネパールやブータンでもない。世界史でならった“西域(さいいき)”といわれた地域にある“ところ”くらいの認識しかなかった。要するに勉強不足なのだ。 今回の聖火リレーでいちばん多くの人々が知ったことは、チベットが中国の一部であるということではなかったのか。チベットがひとつの独立国家ではないことは、あまり争いがないようである。私は中国事情に詳しくない。従って、中国の自治区というものがどのようなものなのか詳しく知らない。たしか内モンゴル自治区というのもあったように思う。念のため確かめてみたらあった。せっかく調べたのだから貼り付けておく。 チベットの帰属について争いがあるのだとしたら、チベットは中国の一部すなわち中国の領土であることを世界に認知させたのであるから、中国としては“国威発揚”に大いに成功したことになる。チベットという広大な“ところ”の領有権を定着させることは、これにまさる“国威発揚”はない。だから中国政府としては、騒がれれば騒がれるほど良いと思っているのかも知れない。だから火の中、水の中でも行くのだろう。そこには断固とした国家意思があるのである。オリンピックは平和の祭典であるなどと叫んでも、中国には何の痛痒もないのであろう。 しかし、中国は大きなことを見逃している。チベットが中国の一部だとすれば、中国政府がチベットで行ったことは中国政府に責任があるということになる。ここでも恥ずかしいことだが、私は中国政府がチベットでどのようなことを行ったのかほとんど知らない。それを知りたいと思って報道には注意していたのであるが、具体的事実はほとんど報じられなかった。これは国によって違うのかも知れない。外国のメディアはもっとその事実を詳細に伝えているのかもしれない。だから私たち日本人よりも縁が薄いと思われるヨーロッパやアメリカでも、聖火リレーに対して大きな反対が起ったのかもしれない。もしそうだとしたら、日本のマスコミに“喝”だ。 いま中国は世界から注目され、存在感を増している。それは中国の発展に非常に大切なことである。しかし、自国民を武力で抑圧する中国というイメージが定着したのでは、中国は世界中から信頼を失くし嫌われる。中国は経済活動を中心にして中国の発展しようと考えているのだろう。経済活動の基本は、商品の生産と売買である。商取引には、人格的要素がある。中国に対して大きなマイナス・イメージを持たれたら、自由経済市場において大きなマイナスが必ず出てくる。そのマイナスを経済的指標で表現することは難しい。しかし、必ず大きなマイナスがあることだけは確かである。 自由経済市場では、貨幣や経済的指標で表現できないことが大きな意味を持つものがある。それは人間の心・心情・イメージ・ブランドなどである。唯物論ではそんなものは存在しないということになるのかもしれない。だが人間は心や心情やイメージでも動くのだ。自由経済市場では、中国に対するマイナス・イメージは“現実の物的存在”と考えなければならない。だが、この“現実の物的存在”を把握することは貨幣や物としての人間を捉えるよりはるかに困難である。中国がこのことを知らないことは、明らかな“戦略的な弱点”である。 私が今回の聖火リレーをみていて感じたことは、中国にこの“戦略的な弱点”があることを発見したことである。この“戦略的な弱点”は、自由経済市場で意外に致命的弱点になる可能性がある。私は中国をみる場合、今後こうした視点をもってみようと思っている。だが、自公“合体”政権の政治のやり方をみていると、同じような“戦略的な弱点”を露呈し始めてきた。そんなことでは中国に伍すことはできない。軽い気持ちで書き始めたが、いささか難しくなった。まぁ、勉強不足の門外漢のいうことだから読み流してもらって結構である。愚見でお目を穢した。乞う、ご叱責。 それでは、また。 |
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