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2008-04-21 01:25:39
イラク派兵訴訟名古屋高裁判決は「傍論」ではない/弁護士・萩尾健太 [社会]
これは傍論ではない
首相を始め、多くの政府関係者が、イラク派兵訴訟名古屋高裁判決について「傍論
にすぎない」としてその価値を低めようとしています。
しかし、名古屋高裁民事3部は、決して傍論を述べたわけではなく、国家賠償法1条
の「公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、違法に他人に損害を
加えたときは」の
「違法に」の要件該当性を判断するに当たって必要な事実認定をしたのであり、それは
国家賠償法の違法行為抑制機能からも必要な認定であったと考えます。
以下、国家賠償法の解釈・機能について、私が別件の国家賠償訴訟で調査したこと
を抜粋して述べます。
なお、各学者の論説についての解釈は私の見解です。
早稲田大学の首藤重幸教授の鑑定意見書では、以下のように述べられている。
「行政事件訴訟法に置かれる多数の訴訟類型によって国・公共団体の責任を追及する
途が尽きたところでの最後の司法審査の機会が国家賠償訴訟であり、この国家賠償
訴訟の途が尽きる先には、もはや国民が裁判所を通して公権力の行使の違法を追及
する方法はない。」
「判例においても、たとえば芦別国家賠償訴訟の第一審・札幌地裁昭和46年12月24
日判決(訟務月報18巻2号207頁)は、公務員の個人責任にかかわっての判示部分
ではあるが、『国家賠償ないし不法行為に基づく損害賠償制度の趣旨を、被害者の純
経済的救済という点のみに止めることなく、これに公務執行の適正を担保する機能をも
営むものとして理解することは、必ずしも、右制度の趣旨を不当に拡大したものとは
いえないと思われる。』と述べているところである。
裁判所によって、一つの公権力の行使が違法であると判定されることになれば、それ
は将来における同一、もしくは類似の公権力の行使の繰り返しを抑制することになる。
この国家賠償訴訟が有する違法行為抑制機能は、国民の権利保護にとって重要な意
義を有しており、国家賠償訴訟の機能理解として不可欠な要素であるといえる。」
芝池義一「行政救済法講義第2版補訂増補版」は、国家賠償制度の違法行為抑止
機能(=適法性統制機能)について以下のように述べる。
「国家賠償制度は、国・公共団体の活動の違法などの非違を要件とするものであって、
この点で、この制度は、制裁的機能ひいては公務執行の適正を担保し違法行為を防止
する機能(適法性統制機能)を有しているのである(参照、東京地判1971〔昭46〕.10.11=国鉄上野駅警察官暴行事件、札幌地判1971〔昭46〕.12.24=芦別国家賠償請求事件)。(165頁)。
そして、国家賠償法1条1項の違法性について、以下のように述べる(209頁)。
「国家賠償法1条1項の違法性については、行為不法説と結果不法説の対立がある。
前者が加害行為そのものに着目するのに対し、後者は、被害結果に着目して違法性の
有無を判断する考え方である。例えば、『国家賠償法上の違法性は、さしあたっては、
民法不法行為法でいう行為の不法性、すなわち、『私権もしくは法的に保護されるべき
私的利益の侵害行為』・・・・を指すと解してよい。』、『国家賠償法上の違法性は、侵害行為の性質・態様と被侵害利益の種類・内容とを相関的に考慮して判断されることにな
る。』との主張には、結果不法説の色彩が強く現れている。
結果不法説には、後述のように、被害の内容を重視する点において正当な面がある。
しかし、国家賠償法上の違法性を民事不法行為法上の違法性と同一視するわけにも
いかない。私人間では私的自治の原則が妥当し、私法法規は任意規範であるが、これ
に対し、国家賠償法1条の適用を受ける国・公共団体の行政活動は、法治主義の原則
の下で、客観的な法規範に従って行われなければならないのであり、行政法規は強行
法規である。したがって、行政活動が法規範にしたがって適法に行われているかそれと
もこれに違背して違法に行われているかは、行政活動の最も重要な法的評価基準で
ある。国家賠償法における違法判断においても、この意味での違法性を基本とすべき
であろう(行為不法説)。
このことは、国家賠償制度に行政の適法性統制機能を認めるとき、より容易に首肯
できるであろう。
したがって、国家賠償法における違法性とは、まず、客観的な法規範に対する違背を
意味することになる。それは、法治主義でいうところの違法性と同じであり、憲法・法律
その他の成文の法規範や条理などの不文の法規範に対する違背を意味する。また、裁量の範囲逸脱・濫用も含まれる。この意味での違法性が国家賠償法における違法性の主要な部分を占めていると考えられる。」
このように、国家賠償制度の違法行為抑止機能(=適法性統制機能)を重視すべきこと
からは、「結果の不法=権利侵害」の検討に先んじて、「行為の不法」が検討されなけれ
ばならないのである。
この「行為の不法」と「当該個人の法律上保護された利益の侵害」との関係については、靖国参拝違憲訴訟の控訴審で提出された松本克美立命館大学教授の意見書が参考と
なる。長くなるが以下のとおり引用する。
「ここでまず問われるべきことは、原判決が前提としている、<国家賠償責任の成立には、被侵害権利ないし被侵害法益の存在が必要>だとの命題は、そもそもどこにその実定
法上の根拠を持つのかということである。周知のように、国家賠償法1条1項には、民法
709条とは異なり、原判決がその充足を前提にするような権利侵害や法益侵害の文言
がない。現代語化される前の、国家賠償法制定当時の民法709条は、『故意又は過失
によりて他人の権利を侵害したる者はこれによりて生じたる損害を賠償する責に任ず』と
して、権利侵害の要件を明文上規定していたのに対して、国家賠償法1条1項は、『故意
又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは』としている。
国家賠償法が『権利』侵害の要件に換えて、『違法に』という文言を規定している趣旨は、すでに多くの論者により指摘されているように、民法上の不法行為責任の違法性に関する相関関係説の影響を受けたものである。そして、重要なことは、この相関関係説の影響の下に出来た国家賠償法1条の文言が、今回の民法典の現代語化による改正によって改
正された新民法709条の文言、すなわち『故意又は過失によって他人の権利又は法律上
保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。』とは
異なり、『権利又は法律上保護される利益』と規定したのではなく、単に『違法に他人に損害を加えたとき』としている点である。
戦前の民法上の不法行為責任に関する判例・学説の発展は、狭い意味での確立した権
利だけではなく、法の保護に値する利益の侵害の場合にも不法行為責任が成立すること
を認めてきたのであり、この点に注目するなら、権利侵害だけでなく法益侵害についても不法行為責任が成立することを認める点に力点があったといえる。しかし、相関関係説の含意は、このように<権利侵害から法益侵害>への保護の拡大に尽きるのではなく、権利の侵害とまではいえない場合でも、加害行為の<客観的な秩序違反>としての行為態様に
着目して違法性を肯定できることを強調する点にこそ、その核心があったのである。
国家賠償法の制定に私法学者として関与し、その条文化に影響を及ぼしたとされる我妻
栄は、不法行為に関する戦前の教科書で次のように指摘している。
『(1)民法は不法行為の要件に『権利侵害』を加える。これは個人主義民法の理想を示すにきわめて適切である。けだし、自由なる活動が他人に損害を加えるも、他人の権利を侵害せざる限り賠償責任なしとすることは、不法行為制度をもって個人の自由活動の最小限度の制限とすることに文字通り適合する。法律は各個人に権利を認めた。それは各人の
個人的自由活動の基礎であり本拠である。各人は相互にこの本拠を犯すべからざる義務
を負う。しかし、その以外に於いては、法律の許容放任する分はとして各人は互いに損害
を加えあって競争するも何等妨ぐる所なし。これが民法の思想である。
(2)しかし、右の如き思想の下に於いては、権利と認められるものが狭小なる為め、加害行為が道義に反し、社会的秩序を紊すにも拘らず、権利侵害なしという理由の基に不法行為の成立が否認せられることになる。かくては社会の向上発展を阻止する。個人の権利を侵害せずとも、社会の規範を逸脱する加害行為はなほ不法行為となると謂わねばなるまい。
しかも、単に社会の法律的規範に違反する場合のみならず、公序良俗に違反する場合にも
なほ不法行為の成立を認めねばならない。』
その上で、我妻は、『権利侵害より違法性への推移は近時の学説の強調する所であり、
判例も亦この線に沿って目覚しき発展を見せて居る。私は、その違法性の具体的決定に
当たっては、被侵害利益の種類と侵害行為の態様とから相関的にこれを決定すべしと考え
る』として、『当該加害行為の被侵害利益における違法性の強弱と加害行為の態様におけ
る違法性の強弱と相関的・総合的に考察して最後の判断に到着すべきである。・・・権利としての対世的効力弱きかまたはその内容の漠然たるものについてはその侵害行為の態度
が特に考慮せられねばならないことになる。』としている。
同様に、国家賠償法に制定に深くかかわった行政法学者の田中二郎も、国家賠償法1条
1項の『違法に』との文言の趣旨は、『民法の『権利侵害』よりも広く、公序良俗違反とか不正とかを含め、その行為が客観的にも正当性をもたないことを示し』とか、また立法にかかわった裁判官の小沢文雄判事も『権利侵害を含むことはもちろん、具体的に特定の権利を侵害しない場合でも法規違反により、あるいは公序良俗に反して他人に損害を加えたときは本条の適用を受けることになる』と紹介されているように、特定の権利の侵害を要しない点で民法の文言規定よりも広く国家賠償責任が成立することを示す規定であった。
これを受けて、学説も、一般に国賠法上の違法は、『客観的な法規範に対する違背』『明文の規定の有無にかかわらず、法秩序上許容されないもの』と解しているのである。
このように、国家賠償法1条1項で、民法の権利侵害とは異なり、『違法に』との文言が規定された趣旨は、明確な権利の侵害とはいえない場合でも、客観的な法秩序違反の内容や態様によっては違法性が肯定され、国家賠償責任が成立しうることを示す点にあるのである。
権利ははじめから確固として成立しているとは限らず、社会の進展によって生成していく側面もある。権利の侵害でないからといって、法秩序に違反するような行為によって生じた他人の損害が放置されてよいのかどうか、そこにポイントがあるのである。この意味で、相関関係説に立つ我妻が『権利としての対世的効力弱きかまたはその内容の漠然たるものについてはその侵害行為の態度が特に考慮せられねばならない』と指摘している点が注目に値する。」
当該判決は、こうした相関関係説的な見地から、行為の違憲性を認定した上で、具体的権利侵害の程度を検討したものと言えます。
なお、イラク派兵訴訟名古屋高裁判決は、自衛隊そのものは違憲とはせず、イラク派兵を違憲としただけですので、相対評価としては最高の画期的判決ですが、絶対評価としては政府も受け入れるべき当然の判決と言えます。
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