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2008年04月15日
病院の待合室で見えてくるこの国の風景
私は二ヶ月に一度のペースで、検査と投薬の受け取りのために病院に通っている。たった今病院から帰ってきてこのブログを書いている。
これから頑張ろうと張り切っていた20代の後半に突然病に襲われ、以来その病と二人三脚の人生であった。霞ヶ関での本省勤務の時も、海外勤務の時も、生き続けるために、仕事の合間を見つけて病院通いを繰り返してきた。
今から思えば過労が原因の病であった。私にも身を犠牲にして仕事に打ち込んだ一時期が確かにあった。今振り返って、それがたとえ出世を願っての、卑小で、徒労な毎日であったとしても、上司の顔色をうかがいながら夜中まで働く若い自分があった。
すべては過去の話になった。持病をうまくコントロールしながら35年間の外交官生活を支障なく遅れたことは、医者に言わせれば奇跡的であるという。神に感謝するほかはない。
現役生活を引退し年金生活に入った今の私は、もはや、混雑する病院の待ち時間を気にすることなく、いつまでも、いつまでも、気長に待つことができる身分となった。
わずか10分足らずの検査と投薬の受け取りのために、朝8時に受け付けてから、病院を正午前に後にするまでの4時間を、私は待合室で過ごした。
栃木の遅い春もやっと本格的になり、遅咲きの桜も散り始め、木々も力強く芽吹き始めた。雨空も見事に晴れ、気温も上昇し、すべてがその生命を喜ぶような午前であった。
窓越しに外を眺めながら、私は待合室においてある雑誌に目を通していた。やがて、隣に腰掛けていた老人が声をかけてきた。
医療負担が増え、それを年金から天引きされることが今日から始まった、なんとかならないかという。不満げに話すその老人は、あらためて困った、困ったといいながら、結局は誰も助けてくれないから、政府の言うままに従うしかない、と、最後は従順にあきらめるのである。
あらためて周りを眺めると、ほとんどがお年寄りであった。背中が曲がり、杖をつき、あるいは車椅子を押してもらって病院へ来る、そういう人ばかりだった。そのすべての人が後期高齢者医療制度の犠牲者なのだ。
待合室に据えられてあるテレビから、福田首相や枡添厚生労働大臣の言葉が流れていた。「説明の仕方が十分でなかったことを反省しています」、「これから周知徹底して、ご理解をが得られる努力をしなければならない」。
そうではない。説明が不足しているのではない。理解と協力を求める問題ではない。制度そのものが誤りなのだ。誤った制度は撤回しなければならない。そういう問題なのだ。
待合室で手にした週刊朝日の最新号(4月25日号)に福田首相とベテラン政治記者たちの懇談の記事があった。
その記事には、福田首相が自らも10年ほど前に胃がんの手術をしたことを打ち明けた事が記されていた。そのことをきっかけにベテラン記者たちとの健康談義が弾んだとか、日銀総裁の人事や、解散・総選挙の時期などの話が書かれていた。
しかし、そこには後期高齢者医療制度の事には一切の言及はない。高齢者の悲鳴に耳を傾ける者は一人もいない。
それもそのはずである。総理のおごりでベテラン記者たちは高級フランス料理に舌鼓をうっているのだ。高級ワインを傾けているのだ。
日ごろ福田政権を批判しているベテラン記者たちが雁首をそろえて接待を受け、それを平気で楽しんでいるのである。
すべてがいかさまである。これで国民の為の政治が行われるはずはない。メディアが権力を監視できるはずはない。
今こそ、高齢者のために本気で立ちあがる政治家が出てこなくてはならない。本気で政権交代を目指す政治家が出てこなければならない。
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