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http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10087597418.html から転載。 2008-04-12 08:36:14 日弁連は今、取調べの可視化(取調べの全過程の録画)の実現を求める国会請願署名に取り組んでいる。5月までに30万人分を集めることが目標。 署名を求めるチラシ(PDF形式・29KB) 捜査官による違法・不当な取調べや虚偽の自白による冤罪を防ぐためには、取調べの全過程を録画して、その内容を検証できるようにすることが絶対に必要だ。 違法・不当な取り調べの被害者、川畑幸夫さん(鹿児島志布志事件)が「救援新聞」で取り調べの全面可視化の必要性を自身の経験をもとに次のように力説している。 ============================================ 以下は「救援新聞」(2008年4月15日号)から直接貼り付け。 2003年の鹿児島県議選で、当選した中山信一さんら13人が公職選挙法違反で起訴(1人は公判中に死亡)された志布志事件。川畑幸夫さんは、集落の人たちにビールや焼酎を配ったとして、家族のメッセージに見立てた紙を踏ませる「踏み字」の取調べを受けました。取調べの全面可視化の必要性を各地で訴えています。 「12人全員無罪」 「やった、無罪だ。かあちゃん、花火あげて」 志布志の青空に、3発の白い花火を打ちあげたんです。花火は12人全員の無罪を知らせる合図だったんです。 「認めろ」の一点張り 中山信一さんは女房のいとこで、知った仲でした。2003年の県議選で急きょ立候補するということになったので、私は街頭に宣伝用ののぼり旗を立てたり、炊き出しの米なんかを運ぶ裏方の仕事をやっていたんです。 中山さんが当選した投票日の翌日、3人の警察官が来て、志布志署に連れていかれました。取調室に入ると、「そこに座ってる意味がわかるでしょう」と言われたんです。それが浜田警部補でした。意味がわからなかったんです。「はぁ?」と答えたら、浜田は「はぁじゃないだろうっ」とテーブルをぶっ叩くんです。「お前がビールを配ったんだ」。 取調べは、朝8時から夜11時まで続きました。「ビールを配っただろ、認めろ」。ずっとそればっかりです。私の話は何にも聞いてくれない。朝から晩まで、「認めろ」の一点張りでした。浜田は、「お前が配った焼酎ののし紙に指紋がついていた」と言うんです。けれども私は配ってないから指紋なんてあるわけがないんです。「じゃあ調べてください」と言うと、浜田は返事に困り、「黙れぇー」と怒鳴って机をバァーンと叩くんです。「これはデッチ上げだ」と訴えますが、「そんな言葉を二度と使うなっ」と机を叩き、「これは罠だ」と言うと、「罠と言うなーっ」と、またパンパン机を叩くんです。 否認を続ける私に浜田は、「ヒーローになれ」と言いました。「お前が自白すれば、中山は失職しない。お前がヒーローになれば、集落の人が涙を流して『川畑さん、ありがとう』と言いにくるぞ」。さらに、白紙の紙を差し出して、「他には何も書かなくていい。○○の名前だけ書け」と言うんです。もう警察はあの手この事をつかって認めさせようとするんです。 「親」や「孫」を踏ませて 取調べのたび、身体検査をされました。股間のあたりも触られて、なんでここまでするんだろう。懇意にしている警察官に聞いたら、「川畑さん、録音機を探してたんだよ」と言うんです。自供させるために、怒鳴りつけて恫喝(どうかつ)する「叩き割り」の取調べをやるから、その様子が外に出るのが怖かったんですね、警察は。外部と連絡とれなきゃ警察の思う壷なんです。女房からは、「もぉお父さん、やってないのを認めたら大変なことになる。志布志にもいられない。中山の家にも遊びにいけない。子供たちにも愛想をつかされる」と言われたんです。女房の励ましがあってこそ頑張れたんだと思います。 取調べの3日目、私は浜田に、「もうあなたとは話をしません」と告げたんです。立ち上がって「弁護士の先生呼んでくださーい」と大きな声で、署にいる顔見知りの警察官たちに向かって叫んだんです。すると浜田は、「このやろー」とげんこつを握り立ち上がったんです。私も立ち上がり、「叩くなら叩け。叩く度胸がないんだろ」と言うと、浜田は気をつけをして、「さっきは暴言を吐いて申し訳ありません」といったんは謝るんです。でも30分もすると、また「黙れー」と机をパンパン叩きはじめるんです。 私が黙秘をすると浜田は、「これ見て反省しろ」と言って足元にA4判の紙を3枚並べて出て行ったんです。紙には、「お父さんは、そういう息子に育てた覚えはない」「沖縄の孫、早くやさしいじいちゃんになってね」「義父、元警察官の娘をそういう婿にやった覚えはない」と書いてありました。 1時間たって戻ってきた浜田は、上着を脱ぐと、座っていた私の股ぐらに頭をつっこんで、私の両足首を握ったんです。ひっくり返されるのかと思ってパイプ椅子を握り締めました。浜田は、「こいつは血も涙もねえ。親父や孫を踏みつけるやつだ」と言って私の足を持ち上げると、紙にパンパン踏みつけさせたんです。立ち会った補助官も、目を丸くして驚いていました。「警察はそこまでするのか、もう許さん」。国賠訴訟を起こしました。 志布志の市民からは、「川畑さん、警察に勝つはずがないから、やめたほうがいいよ」と言われました。でも私は女房と2人で決意したんです。「違うんだよ、負けてもいいんだ。訴える勇気が必要なんだ。訴えれば裁判官にはわかってもらえる」。 2007年1月、その国賠裁判で勝ったとき、花火をあげたんです。そのときはみんな、「どこかのお店の開店祝いかなあ」なんて言っていました。一カ月後、12人全員に無罪判決が出たときもドンドンと花火をあげたんです。そのときはテレビより早いから、みんな花火を見て「無罪だ」とわかったんです。 取調べの可視化求め 不起訴処分となって釈放されたあと、冤罪事件をなくすために、取調べの可視化が絶対に必要だと思ったんです。そこで、10人乗りのバンに「可視化(録音・録画)でなくそう違法な取調べを」などと書いたシールを張って、可視化をめぐる講演やシンポジウムに呼ばれて行くときはこの車を使い、近所への買い物にもこの車を使っています。最初のころは、「川畑は頭がおかしいんじゃないか」と言われましたが、最近では信号待ちで止まっているときに激励されたり、握手を求められることも多くなりました。車の写真を撮らせてくれという人から、「川畑さんも一緒に入ってください」と言われ、恥ずかしいと思う反面、「ここまで広がってきたのか」と内心では嬉しく思っているんです。 私は志布志市の地域安全モニターをやっている関係で、警察とは20年以上の付き合いがあったんです。おいしい豆腐を買ってきたときは、署にも差し入れたし、非番の警官も私が経営するホテルに時々来て、雑談したりしてたんです。正月休みに実家に帰れない警官は元旦からうちに来て、餅を食べたりしていました。警察とは身内みたいな付き合いだったんです。 自分たちは、何かあれば警察が助けてくれるんだと思っていました。しかし、それは間違っていました。やはり自分たちの身を守るには、取調室に入るところから可視化されていなければなりません。鳩山法務大臣は、「一部可視化」などと言っていますが、それではダメなんです。全面可視化が必要なんです。 (文責・編集部) ■志布志事件――2003年の鹿児島県議選をめぐり、7世帯しかない集落の住民に計191万円の現金を配り、票の買収をしたとする架空の事件で、当選した中山信一県議や集落の住民13人が起訴された。07年2月23日、鹿児島地裁で全員に無罪判決(確定)。また、川畑さんに「踏み字」を強要した鹿児島県警の浜田隆広・元警部補は、特別公務員暴行陵虐罪に問われ、今年3月18日、福岡地裁で懲役10月・執行猶予3年の判決が出された(元警部補が控訴)。
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「可視化」が冤罪を防ぐ 鹿児島・志布志事件/「踏み字」取り調べ被害者 川畑 幸夫さん
テーマ:日本の司法
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「可視化」が冤罪を防ぐ
いまを語る
鹿児島・志布志事件/「踏み字」取り調べ被害者
川畑 幸夫さん
志布志事件の判決言い渡しのとき、私は傍聴席の先頭で飛び上がって喜びました。私は起訴されませんでしたが、自分の判決のように嬉しかったんです。そのままサーッと法廷を飛び出して、妻に電話をかけました。
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