★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK49 > 174.html
 ★阿修羅♪
原田武夫  外務次官・藪中三十二氏とは何者か?
http://www.asyura2.com/08/senkyo49/msg/174.html
投稿者 新世紀人 日時 2008 年 4 月 11 日 16:19:50: uj2zhYZWUUp16
 

http://blog.goo.ne.jp/shiome

「藪中外交」について考える

BREAKING NEWSコラム / 2008-04-09 16:40:33


外務次官・藪中三十二氏とは何者か?

本日(9日)から12日までの間、外務省で事務次官をつとめる藪中三十二氏が訪米するとの報道があった。

ふと見ると、今週(7日)、まさにマーケットと世界はすさまじい動きで新たな「潮目」を織りなしつつある。

第一に、昨日(8日)、IMF(国際通貨基金)は国際金融安定性報告書を公表。その中で証券化された金融商品による損失額が世界全体で約96兆円にも及ぶことを公表した(関連報道)。「サブプライム問題」として語られてきた現下の問題状況が、いよいよその本質を示し始めてきた感がある。

第二に、同じく昨日(8日)、米朝がシンガポールにて協議を実施。そこで「一定の進展があった」とのコメントを出した米国のヒル国務次官補は、直ちに北京へ移動。本日(9日)中にもステートメントを発表する見込みである(関連報道)。

第三に、これまた昨日(8日)の出来事なのだが、中国外交部は来る16日に国連安保理常任理事国5カ国とEU、中国を加えた各国によるイラン問題に関する会議を上海で実施することを発表した(関連報道)。イラン問題の本質が、中東地域全体で2006年11月から進展しつつある原子力ビジネス(具体的にはウラン濃縮施設の建設・運営)をめぐる米ロの争いにあり、それが去る6日に行われた米ロ首脳会談における「戦略的合意」を通じ、決着がついたというのがIISIAの分析である。それより前に中国は「対イラン制裁強化支持」ともとれる怪しげな動きを示していたのだが、結果としてみればイランと特殊な関係にある中国が動き出したことで、いよいよ問題は次なるフェーズ(“解決”という演出)に向けて動き出した感がある。

他にいろいろと動いているのだが、このタイミングで藪中三十二外務次官が米国を訪問するというのは、外交における常識から言えば至極納得のいく動きであろう。外務次官が外国訪問する際には、ありとあらゆる案件を相手国の外務次官ら高官と話し合うのが通例である。実際に、政治から経済まで「ありとあらゆる案件」が動き出し、しかも必ずしも日本がそれにキャッチ・アップできていない状況であるだけに、藪中三十二外務次官が今動いたとしてもなんら不思議はないことであるといえよう。

それでは、この藪中三十二外務次官とは一体何者なのか?

藪中三十二、と書いて「やぶなか・みとじ」と読む。
1948(昭和23)年1月23日生まれ。大阪大学を中退後、まずは現在の「専門職」に相当する職種で入省するが、翌年、「上級職」で入省しなおした苦労人である。在外研修としてはコーネル大学(米国)へ留学した。アジア大洋州局長、外務審議官(経済担当)などを歴任した後、本年(2008年)1月より外務事務次官をつとめている(参考資料)。

総括審議官(注:衆議院議員を担当する)、あるいは大臣官房総務課長などを歴任したことから、永田町への浸透度は省内でも随一と評価が高い。そのため、国会審議に政府委員として出席し、答弁をしても、極めてそつがなく、自民党の部会などでも攻められることが無い。一部の外務省高官たちがこれまで何度も国会の内外での「舌禍」事件で失脚してきたことと比較すれば、藪中次官の能力はまれに見るほどのレベルであるといえよう。

その一方で、あまりにも「キレ者」であるがゆえに、時として下僚たちの鈍感さ、鈍足さに我慢がならず、"瞬間湯沸かし器“となることでも省内では知られている。上司、あるいは同世代の同僚たちに対してはさすがに面罵しないようであるが、省内全体がこのように別の意味での「キレ者ぶり」を知っているだけに、混戦が続く省内会議であっても藪中三十二氏が出席するだけで収まってしまう例が多々ある(実際、「下僚」として仕えた際、筆者もこの「藪中カード」を大臣室会議、次官室会議で何度も使わせていただいた)。

アジア大洋州局長時代には、北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる各種交渉の最前線で活躍。テレビ画面にもしばしば登場し、ロマンス・グレーの穏やかな口調で語るその姿が(特に中高年主婦層の)人気を集めた(筆者は藪中氏自身より、「世間ではそういう意味での人気があるようだね」と照れくさそうに聞いたことがある)。

多忙な外交実務の合間でも、本を手から離さない読書家という側面も持つ。いかなる厳しい外交交渉であっても、ひと時の休息をとる滞在国のホテルの部屋の枕元に常に分厚い推理小説が置いてあったことを筆者も何度か目撃したことがある。
普段は極めて厳格な職業外交官であるが、出張などで合間に自由時間がわずかばかりにできると何でも関心を持ち、下僚たちとともに楽しもうとする余裕の持ち主でもある。この「ON」と「OFF」の“落差”が省内でのファンにとっては堪らないのかもしれない。

出張の際などには写真機を密かに手放さないことでも知られる。小田実ではないが、「何でも見てやろう」ということなのだろうか、珍しい光景に出くわしたり、交渉相手との話し合いに一段落し打ち解けた雰囲気になった時、デジカメのシャッターを下僚に押させたりする。


藪中外交の本質を振り返る

以上でおおまかな意味での人間「藪中三十二」は想像がついたのではないかと思う。
しかし、ここでの関心はあくまでも「外務事務次官」という、日本外交における事実上のトップの座を獲得し、現在、米国を訪問している氏の“外交姿勢”にある。

2003年から2005年春までの間、藪中三十二アジア大洋州局長(当時)の下で北東アジア課北朝鮮班長を務めた筆者は、自分自身の印象論として、あるいは当時、各種のインテリジェンス・ルートより耳にした諸外国の本当の「藪中三十二像」について語ることもできる。
しかし、ここではあくまでも学究的に文献に基づいて「藪中外交」に関する考察を深めることとしたい。なぜなら、そうした客観的な手段によることで、「藪中外交」の本質がより明らかになると考えるからである。

ここで取り上げるのは藪中三十二氏が1987年〜1990年まで北米局北米二課長をつとめた直後、英国の国際戦略問題研究所研究員をつとめている最中に執筆した著作「対米経済交渉 摩擦の実像」(サイマル出版会(現在は絶版))である。


この本が書かれた当時、日本は米国との間でいわゆる「貿易戦争」「貿易摩擦」の真っ最中であった。藪中三十二氏はまさにこの問題を担当する北米二課長であり、その渦中にあった。藪中氏は執筆の動機を次のように記している。

「本書の執筆を思いたったのは、対米経済交渉に参画した立場から、自省の念をこめて改めて日米経済交渉を振り返り、その実像を少しでも正確に解明し、そのうえで今後の日米関係のあるべき姿を考えてみたいと思ったからである。
というのも、これまで日米経済関係については多くの書物が出されているが、交渉当事者の目から見ればあまりにもかたよった見方と思えるものが少なくなかった。たとえば構造協議に関しても日本国内では日本の構造問題にしか目が向けられず、アメリカから一方的に押され放しであったという印象を与えている。
ところがアメリカ国内では少し違った見方がされている。・・・(中略)・・・「構造協議の結論は、アメリカの競争力強化と日米関係強化のためのプログラムを最も包括的に示している」と評価されている。
本書では、交渉経過を少しでも実態に近い形で読者の前に提示しようと考えており、主に一九八七年から九○年にかけての対米経済交渉について、「交渉の現場」からのリポートを心がけている。」(藪中・前掲書より抜粋)

それでは、藪中三十二氏は当時の対米交渉から見た米国の本質をどのように分析しているのであろうか。

まず、米国について一般に日本は「花より団子」、すなわち、交渉における表面的な成果やそのスローガンではなく、その交渉によって得られる実質的な成果・効果を優先するきらいがあると考えがちだ。ところが、藪中氏いわく、米国はこの当時より「花も団子も」という態度に変わってきたのだという(藪中・前掲書(212ページ)参照)。

しかし、表面的な譲歩に加えて、実質的にも成果を保証するというのではいけない、つまり「花も団子も」という主張に対しては毅然とした態度で臨む必要があるのだと藪中三十二氏は語る(同上参照)。具体的には「フェアな競争機会は提供するが」結果までは保障しませんよというべきなのだという(同上参照)。

あるいは次のようにも語る。
米国は対日交渉において特定のテーマをややもすると重点的にとりあげ、それを集中してバッシングするという手段に出る。これを「象徴化」という。牛肉・かんきつ問題、建設市場、そして大店法しかりである。
「象徴化」はえてして感情化をともなう。テレビ・メディアが絵柄として取り上げやすいので世論がお互いにヒートアップするからだ。それでは、百害あって一利なしの「象徴化」を防ぐには一体どうすればよいのか?―――藪中三十二氏は提言する:

「この「象徴化」を回避する方法は二つある。一つは、言いがかりをつけられるような一見して不合理なシステムをなくすことである。
規制緩和が進み、全般的に日本のシステムは合理的なものになってきているが、それでもな古いシステムが気づかぬうちに残っているものである。そうした古いシステムの徹底した見直しを行い、規制緩和を図るのが王道である。
第二に、その間に外国からクレームが出てきた時には、初動を誤らず、迅速に対応することである。初動でNOと言ってみたり、いろいろと理屈をこねるのではなく、不合理なシステムはただちに改めなくてはいけない。たとえささいと思われるようなことであっても、初動を誤らず騒ぎが大きくならないよう工夫することが大事である。」(藪中・前掲書より抜粋)


また米国は往々にして「レシプロシティ」、すなわち「同等の待遇」を求めてきてもいた。米国は、「アメリカの方がより自由であるという前提に立って、貿易相手国に市場開放を求める形をとっている」(藪中・前掲書(222ページ))のであって不公平である。それではこの問題についての“処方箋”は何か?再び藪中三十二氏の言葉を振り返ってみる:

「アメリカが日本に対し「同等の待遇」を求めてきた時に、これを拒否すると、「日本は閉鎖的だ」とか「日本はアンフェアだ」という反発が強まるだけである。
むしろ今の日本がとるべき道は、客観的にみて相手がよりオープンな制度と思われる時には、どしどし「同等の待遇」を与える方向に自己改革していくことではないかと思われる。」(藪中・前掲書より抜粋)

以上を読まれて、読者の方々はどのように思われるであろうか?

一言で申し上げれば、以上の藪中三十二氏自身の言葉を振り返る限り、藪中外交の本質は「戦略的事前譲歩」にあるといわざるをえない。つまり、事を荒立てず、したがって不用意な攻撃を受けないようにするため、あくまでもまずは自ら襟をただし、「問題」を是正するべきだというのである。

藪中外交の本質が「戦略的事前譲歩」にあるが故に、藪中氏はいわば“結論”として次のように豪語されるのである:

「構造協議は「日本の構造問題だけ」を取り上げたような印象を与えていたが、結果的には、九○年代の日米経済関係において日米両国の立場を「日本の防戦一方」から少なくとも「フィフティ・フィフティ」にしたことは間違いなく、むしろこれからはアメリカが、「防戦」に回らざるを得ないケースが増えるのではないかとさえ思われる。」(藪中・前掲書より抜粋)


藪中三十二外務次官は「サブプライム問題」の今に何を思うのか?

現在、金融マーケットを覆っている「サブプライム問題」の本質は、とりわけ1980年代から米国が一気呵成に進めてきた“グローバリゼーション”という名の「全世界の米国化」にある。皆が米語で話し、全ての法律・制度が米国化され、企業が米国会計基準に則って行動するようになる。それに反対するナショナルな言論は徹底して「所詮、サブカルチャーにすぎない」という評価を広告代理店・大手メディアを通じてレッテル付けし、逆にこれに迎合する言論やそれを語る現地人を持ち上げる。すなわち「内政干渉の恒常化」(水野和夫「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」日本経済新聞出版社・参照)である。

90年代後半、仕掛けられた不良債権問題の「処理」として金融ビッグバンを遂行した日本をはじめ、世界中に展開したこの“グローバリゼーション”という名の米国流「破壊ビジネス」。叩き壊された国境をまたいで、マネーを右から左へ、そして上から下へと自由自在に動かしまわすことで巨万の富を築いたファンド、あるいは投資銀行という「越境する投資主体」たち。その尻馬にのって、日本でも「村上ファンド」、あるいは「ライブドア」といったあだ花が咲き、そして散っていった。

しかし、この“グローバリゼーション”の行き着いた先こそが、「サブプライム問題」を筆頭とする証券化された金融商品をめぐる巨額損失という世界的な大問題なのである。想定されるとめどもない信用収縮を恐れ、米系の「越境する投資主体」たちは昨年秋よりいわゆる「デカップリング論」を唱え始めた。つまり、米国経済はこれからますます傾いていくが、BRICs諸国、とりわけ中国はこれからますます経済発展するばかりなのであって、大丈夫だというのである。しかし、昨年10月末よりすでに中国株式市場は急落しており、騒然とした状況が続いている。よくよく考えれば、“グローバリゼーション”とはデカップリング(切り離し)ならぬカップリング(連結)そのものだったのであるから、この議論はそもそも虚構以外のなにものでもなかったのである。“グローバリゼーション”とは完全に矛盾するのであるが、それでもなお、米系の「越境する投資主体」たちは一方で規制緩和、構造改革を唱え、他方でデカップリング論を説いてやまないというのだから、笑止でしかない(彼らにお追従し、「デフレーションが続く日本ではまだまだ構造改革が必要だ」と叫び続けるニタリ顔のテレビ学者氏(元閣僚)にいたっては、呆れるより他はない)。

拙著「騙すアメリカ 騙される日本」(ちくま新書)でも描いたとおり、“グローバリゼーション”とは、結局のところ、1945年8月15日から始まった「日本ファンド・プロジェクト」が最終章に入ったことを意味していたのである。そして、今になり何と弁解しようと、その突破口が開けられた1980年代後半から1990年代を通じて対米交渉を担当し、「戦略的事前譲歩」を繰り返してきた日本のエスタブリッシュメントたちの罪は重いといわざるをえないのである。

藪中三十二外務次官は、自ら次のように記している。

「日本は、自らの考え方をきちんと整理しなおし、自ら理想とする世界像を描き、そのためにいかなる貢献をする用意があるかを明快に世界に提示しなくてはいけない時期にきている。圧倒的な経済力を有する日本が神秘的な微笑を浮かべているだけでは世界も困るのである」(藪中・前傾書より抜粋)

悪意のある人間というのはいつの時代にどこにでもいるもので、大物ジャーナリストが藪中三十二外務次官のとある“個人的な事情”を揶揄する言論を大手メディア相手に盛んに吹聴しているのだと聞く。しかし、日本はもはやそんな内ゲバに励んでいるヒマはないのである。どんな経緯を経た人物であれ、志をもって「公職」を選んだ者が“公益”のために奮闘し、それをオール・ジャパンで支えること。これが危機におかれて日本で今、まずもって必要なことなのである。健全かつ建設的な批判を超えた個人的中傷ほど、敵の術中に転がり込む愚行はない。

訪米中の藪中三十二外務次官は、次の時代に向け、米国から一体どんな“メッセージ”を受け取って戻ってくるのであろうか。
「戦略的事前譲歩」ではないことだけは、確かであろう。
かつての上司、藪中三十二外務次官のご健闘を祈るばかりである。

2008年4月9日
東京・国立市 IISIA本部にて

原田武夫記す

 2 81 +−

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK49掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。