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(回答先: Re: 食糧危機で国家がすべて機能停止になります。自分の食べ物は自分で探せと言うじだいになります。 投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 4 月 09 日 16:22:11)
1993年と言う年
細川連立内閣発足
北海道南西沖地震M8、奥尻島などで被害
金丸元自民党副総裁を脱税容疑で逮捕
3月6日、東京地検が金丸信・前自民党副総裁と元秘書を脱税容疑で逮捕。ゼネコン各社などから寄せられた献金を税務申告せずに金融割引債を購入したというもの。13日、起訴。
ゼネコン汚職
6月、石井亨・仙台市長がゼネコン4社からの収賄容疑で東京地検に逮捕された。
9月、本間俊太郎・宮城県知事がゼネコンからの収賄容疑で東京地検に逮捕された。
竹内藤男茨城県知事も逮捕された。
皇太子が結婚
サッカーJリーグ開幕
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(1993年は冷夏でした。1994年は猛暑で梅雨が旱魃でこれまた大騒ぎ)
*1993年鹿児島県では短時間集中豪雨で1時間当たり100mmが3〜4時間降って、川がたちどころに繁盛し、鹿児島市の繁華街天文館まで濁流が押し寄せて、腰から首まで水に使ったというらしいです。梅雨の期間で日照不足で米も野菜も取れずに大変だったそうです。大根の出来損ないの小さいのが500円したそうです。
1993年(平成5年)
この年は記録的な冷夏により、「1993年米騒動」といわれる米不足になった。8月になっても梅雨前線が日本列島に停滞し、豪雨災害と関東地方以北では低温が顕著であった。1954年に次ぐ戦後2番目に平均気温の低い夏であり、南西諸島を除く地域で梅雨明けが特定されない異常な夏であった。特に低温だった7月と8月はオホーツク海高気圧の張り出しと前線による大雨と台風の影響を受け、平年を2度前後下回った。平成5年8月豪雨も参照。
CiNii - 1993年の大冷夏 : 80年ぶりの大凶作東北地方の1993年夏は1913(大正2)年以来の80年ぶりの大冷夏であった.これは1991年6月のピナツボ火山の噴火と関係があると思われる.最近158年間の大規模火山噴火と冷夏,米の収量との関連から,概略50年ごとに起こる冷夏大凶作の頻発時代の存在を示した. ...
今年と1993年、どっちがひどい冷夏でしょうか? - 教えて!gooこんにちは。お世話になります。では唐突ながらお尋ねします。。今から10年前の1993年も冷夏でしたよね。日照不足で米不作でした。。今回はこれに匹敵するのでしょうか?あるいはこれを上回っているのでしょうか?
【1993年の凶作で何が起きたか】
1993年は冷夏でした。米だけでなく、野菜や果物ものきなみ不作でした。冷房器具や衣料品、ビールなどの夏物商品も売れず、明るい年ではありませんでした。
この年の秋に収穫された米は793万トンです。当時、日本人が国内で1年間に消費するお米の量は約1000万トンでした。差し引き約210万トンが足りないことになります。
1993年9月下旬、冷夏と米の不作報道が本格化します。1993年9月末、政府は100万トンの米緊急輸入を決定します。輸入予定はその後266万トンまでふくれあがります。
東北が収穫期に入ると、東北で農家が飯米(自家用米)を購入しているという報道が流れはじめました。
輸入米が販売されはじめた94年年始頃から本格的な米パニックがはじまります。米価格の高騰、輸入米の売れ残りで小さな米屋は値段をつり上げ、お得意先にしか売らなくなったりします。米の販売に行列ができ、どこでも国産米は売り切れ状態となります。3月になると食糧庁が国産米不足を理由に輸入米のブレンド販売を決定し、混乱が広がりました。
輸入米は、タイ、中国、アメリカから届けられましたが、いずれも不人気で、タイ米が大量に廃棄されているのが見つかり、タイ国内で日本人の礼を失した態度に怒りを示す新聞記事が掲載されました。
後日談になりますが、ある米屋では輸入米を得意先に販売することができず、大量の輸入米を在庫としてかかえ1995年になっても「終わるまで食べ続ける」と言っていた姿がテレビで放映されていました。
国内は大混乱です。
一方海外でも、日本の緊急輸入の余波を受けていました。当時の世界の米貿易量は年間1200万トンです。生産量の3〜4%に過ぎません。米はどの国でも自給的な作物だったのです。それまで0だった日本が急に266万トンの輸入を発表したのです。最終的には輸入米が残ったため255万トン(1994年8月まで)の輸入で終了しましたが、それでも世界の貿易量の2割の需要が突然登場したのです。しかも、金満日本です。金に糸目はつけません。米の貿易価格は約2倍に高騰し、輸出国のタイでも国内のお米の価格が上がり、人々の生活を苦しめることになりました。輸入国のアフリカやイランなどでも米が買えずに苦労したと報じられています。
まさに飢餓を他の国に輸出して生きのびたのです。
そして、1994年のお米が豊作になったため、輸入米は90万トンが在庫として残り、しかも、ないはずの国産1993年産米まで在庫として残っていたことが明らかになりました。
恥の上塗りです。
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2007/7/21 10:48 おぼえてますか1993年米騒動 住まい・インテリア
http://diary.jp.aol.com/x6kbha4hd/417.html
7月の日照時間が15年ぶりに更新されました。1993年。神戸の地震の2年前といえば、8月に晴れた日はわずかに2日。
細川内閣が結成されたり、その細川さんが大殿さんで、志村けんさんじゃないかとときどき目をこすったりして日本をとんでもない方向へ導いてくれました。細川内閣は1年持つかもたないかで、ついにあの自民党がまっぷたつに裂け戦後2度目の社会党内閣だれやったかなぁ、あのまゆひげのおじいちゃん。村の長老あぁ、村山内閣となったのでした。
そして1995年の大地震にでくわしてその対応のまずさに1995年半ばにして、政権をほうりだしましたね、村山さん。「なんせ都市型の大地震は初めてなもので・・・(どうすりゃええかわからん)」長田の体育館で帰れ何しに来たー、怒号をおぼえておられるかなぁ。。。
さて、1993年、冷夏により、米騒動勃発。米を求めて、当時西宮市民はどこそこでこれを手に入れてきたと自慢の品を、てとわの会社にみせびらかしにきたりもしました。
あの、1993年を更新する
今回の冷夏。
今年は飲料缶の仕入れに悩むほど飲料缶があふれかえっています。そのため、ブランドが、ブランド物でない値段で投売りなされているのが実態です。そのうち、このようなことはあちこちで書かれるでしょう。てとわも、今朝、記録更新の記事をみて、書こうと思い立ちました。
先週から、おかしな天気であることをいつ書こうか、なぜブランドものが、投売りされているのかについて
裏づけもなしに書くことはできなかった。もうみなさんが知ってもいいころです。
冷夏が米騒動に発展した1993年のように野菜の値段も3倍になりました。東京では水不足であるとききます。地震や台風もひとつのわざわいではあります。今回のひたひたと押し寄せてくる災いに対して身構える必要はありますね。
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(インターネット図書ウイキペデイアにも書いてあります)
1993年米騒動 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95
http://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95
1993年米騒動(1993ねんこめそうどう)とは、1993年(平成5年)の日本における記録的な冷夏による米不足現象のこと。平成時代に起こったことから「平成の米騒動(へいせいのこめそうどう)」とも呼ばれ、大正時代に発生した米騒動にたとえられている。
目次 [非表示]
1 概要
2 経緯
2.1 米輸入自由化
2.2 タイ米と日本
2.3 外食産業への影響
2.4 他業種の乱入
3 関連項目
4 外部リンク
[編集] 概要
この社会現象は、1993年の天候不順によって日本国内で栽培されていたコメの記録的な生育不良から生じた食料市場の混乱と、これに関連して世界の米市場にまで波及した影響を指す。
同現象では消費者は元より卸売り業者までもが米の確保に奔走し、実態以上に小売店の店頭から米が消えるといった混乱も発生したが、同時に普段米を扱わない業者までもが消費者の関心を集めるために米を販売するといったケースも発生した。
後年に及ぼした影響もあったが、翌年夏の猛暑により米作柄が回復したことを受け現象は1994年の後半にほぼ終息している。
[編集] 経緯
1993年は梅雨前線が長期間日本にとどまり九州地方でもついに梅雨明け宣言がなされないという事態となり、日照不足と長雨による影響で米の作柄が心配されるようになった。結果としてのこの年の全国の作況指数が74。東北地方ではそれを更に下回った。日本全体で1993年当時1000万トンの需要に対して、収穫量が800万トンを下回る事態となった。米価は、秋口から少しずつ上昇を始めた。細川内閣は9月、260万トンをタイ、中国、アメリカから緊急輸入を行うと発表した。
しかし当時は、日本人がいわゆる和食の原点回帰や、食生活・食料品の安全などに強い関心を向け始めた時代でもあり、ポストハーベスト農薬など輸入農作物に対する不信感も根強く、輸入米に対しての警戒心も消費者筋に見られた。これらには、1980年代にジャパンバッシングに絡んで米国政府が農作物輸入拡大を要求した際、日本政府と農業団体側は盛んに輸入農作物の危険性と国産農作物の安全性を印象付ける情報を提供し続けたことにも絡むだろう。
この一方で、国産米は根強い人気のため、また市場の品薄感もあって買い溜めと売り惜しみが発生、米屋の店頭から米が消える事態にまで発展する。1994年の年明けには米屋の前に行列ができるなどの社会現象が発生した。コンビニエンスストアでも、従来は2kgや5kgパッケージのものが店の片隅にとりあえず売られていた程度であったものが、同時期には1kgやペットボトル入りなど従来無い小容量パッケージでレジ前の一等地を占めるほどの目玉商品となった。なお小容量パッケージは後に一部のコンビニエンスストアで定番商品として生き残っている。
この年、初めて日本の食料自給率が40%を下回ったことも、この危機感をより切実なものと印象付ける結果となった。当時の世界の米の貿易量は1200万トンであったが、その20%に当る米を日本が調達したため、国際的な価格高騰を招いた。タイ国内でも米価が急騰し、タイ国民が日本の不作の煽りを大きく被るという事態になった(後述)。
この混乱の中では、農林水産省や食糧庁に勤務する一部の心無い職員が、職務を通じて入手した情報を元に、まだ出荷されてなかった日本産米の購入を行おうとしたことが報道され、一般国民の反感を受けるケースも発生している。
しかしこれらの混乱も、1994年の6月に入り沖縄県産の早場米が出回るようになって、徐々に事態は沈静化、同年は暑い夏となり全国的に豊作が伝えられ、完全に収束する。これら一連の騒動は、同年のナタ・デ・ココブームや、バブル期のボジョレー・ヌーヴォーのブームなどと並んで、日本の食料政策や国際的モラルに大きな課題を残すことになった。
[編集] 米輸入自由化
従来、日本政府は国内農家保護のために米の全面的な輸入禁止を行っていたが、同騒動にもより緊急輸入をせざるを得なかった。しかしこの緊急輸入により国際マーケットを混乱させたとの批判を受けて、日本政府は段階的に米の輸入を解禁せざるを得ず、最終的に米の貿易自由化を受け入れることになる。
この解禁で2001年には全体の10%程度を海外からの輸入となるまでになった。また戦後の食料不足の教訓から作られた食糧管理法を大幅に見直し(食糧法)、今までの農林水産省主導による農業統制から、ある程度耕作の自由が与えられるようになった。また政府は、不作対策として国内の備蓄米の量を増やすことを決定している。
2003年の冷夏による不作の際は、米価の10%から20%程度の上昇で抑えることが出来たが、やむを得ず輸入され続けた輸入米が国内で異常に余剰され、食用米としては一般市場には『外国産米』と銘打っては流通されず、加工米や安価販売用のブレンド米、海外災害救援物資として一部利用されるのみであり、この問題が産地偽造米問題としてクローズアップされることもあり、また悪徳精米業者によって国産米とアメリカ・オーストラリア米の混合米でありながら、『国産ブランド米100%』として販売されている問題も発生しているため、今日でも農政に対する不備の声は根強い。
[編集] タイ米と日本
この不作に絡んでは、日本政府が各国に米の緊急輸入の要請を打診したが、これにいち早く答え対応したタイ政府であった。この際、日本政府は「取りあえず、保管している米を輸出して欲しい」と要請したため、タイ国政府は備蓄在庫を一気に吐き出す形でこれに応えている。日本政府は、日本人の食味に合ったアメリカ産米や中国産米を主食用として、タイ米を加工用原料として輸入することを考えていた。しかしタイ米に比べアメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わず、結局主食用にもタイ米を流通させざるを得なかった。
しかし大量に輸入・流通させたタイ米は不人気で、後に不法投棄されるなどの社会問題も発生した。これは昭和20年代の食糧不足時代に配給された輸入米が、品質管理の悪さからカビ臭かったり食味がよくなかったというネガティヴな記憶や、日本の緊急輸入要請に答えたタイ政府が在庫として保管していた古米・古古米を輸出したこと(これは前出の日本側要請に沿ったもの)、更には日本の主食として普段消費されている米は短粒のジャポニカ米で、電気あるいはガスの炊飯器で炊くが、タイ米は長粒のインディカ米で調理法も異なる米であったことなどが原因とされる。また、「輸入したタイ米からネズミの屍骸が発見された」や「タイ米の米袋から錆びた釘が発見された」と些少な事例をさも全ての輸入タイ米に頻繁に見られる問題であるかのような強い偏見報道(報道被害・風評被害)も見られたことも関連したとみられる。
タイ米はバターライスや炒飯、カレー等、副食と混ぜ合わせて食される品種で、基本的にパスタのように鍋で茹でて湯切りをして蒸らすなどの調理法で食する米である。しかし、日本人にはこのような調理の伝統がないため、インディカ米本来の味を生かした調理法が行われなかった。日本米と同じように炊いて白飯と云う単体で食べようとしたことから、いわゆるパサパサ感と独特の香味が強いことにより不評であった。新聞やテレビ等では消費拡大の意図もあってタイ米の本来の調理法から日本の国産米と同様に食べられる様々な食べ方が特集され、寒天や餅を入れて一緒に炊く等によって粘り気を増す工夫なども紹介されたが、タイ米を取り巻く状況はそれほど変わらなかった。この不人気を受けて日本政府は、国産米と人気の無い輸入米を9:1などの割合でブレンドして売ることを指導するなど苦肉の策で対処した。
なお事態終息以降に不人気にも絡んで残ったタイ米は、投棄されたり家畜の餌にされたりするなど、完全に産業廃棄物(食品廃材)として処理され、タイ国内の混乱を知る者からはこれを悲しむ声も挙がっている。『美味しんぼ』など当時隆盛を誇ったグルメ漫画でもこういった問題が取り上げられ、社会問題として広く長く残る結果となった。なお「美味しんぼ」では、湯取り法によるタイ米の食べ方も紹介した。
[編集] 外食産業への影響
外食産業ではタイ米の調理法などの勉強会が各地で催された。近年東南アジア料理が日本に広まっている傾向により、あえてインディカ米の持つ特徴を生かし炒飯やカレー・パエリア等にタイ米に注目して使用すると云うレストランや外食産業店が増えることになった。(先述した通り、インディカ米はその特徴を利用すれば、日本人にも受け入れられる料理を作ることが可能である)
大手カレーライス・チェーンのカレーハウスCoCo壱番屋では、大盛りカレーライスを短時間で完食すれば無料というキャンペーンを創業以来行っていたが、この米騒動の時は企業イメージのため一時的に取り止めている。また、九州地区を中心に全国展開するとんかつ専門店チェーンの浜勝では、米不足のための苦肉の策として始めた麦飯が好評を博し、現在でも人気メニューとして残っている。
[編集] 他業種の乱入
家電製品の安売りで知られる城南電機の宮路年雄社長(当時・故人)が「日本人は日本の米を食いたいんじゃ」と、あきたこまちのヤミ米を秋田県で買い付け、買付価格の半額という原価割れの激安価格で売り出し、店の前には大変な行列が出来るなどの狂乱的状況が発生。盛況ぶりがマスメディアで伝えられたほか、行政指導処分を受けるなど、大きな話題となった。
[編集] 関連項目 飢餓 - 飢饉 主食
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タイ米日本の港に入る。いろんな抗議がありました。当時の新聞で感じをつかんでください。
朝日新聞夕刊記事 1993年11月18日
http://www.mekong.ne.jp/database/society/thairice/19931118.htm
細川連立内閣発足
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北海道南西沖地震、奥尻島などで被害
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金丸元自民党副総裁を脱税容疑で逮捕
3月6日、東京地検が金丸信・前自民党副総裁と元秘書を脱税容疑で逮捕。ゼネコン各社などから寄せられた献金を税務申告せずに金融割引債を購入したというもの。
13日、起訴。
ゼネコン汚職
6月、石井亨・仙台市長がゼネコン4社からの収賄容疑で東京地検に逮捕された。
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