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児童ポルノに関しては、児童買春・児童ポルノ禁止法ができている。 18歳未満の子どもが被写体のポルノについては、一定の行為が禁止をされている。法律7条は、児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、3年以下の懲役又は300万円の罰金に処すると規定をしている。 だから、もちろん今の児童買春・児童ポルノ禁止法案の作成をするときは、弁護士として、堂本暁子さんなどと法案作りにがんばってきた。 しかし、「単純所持」についてまで処罰していいのだろうか。わたしの一番の危惧は、拳銃や麻薬は、一義的にわかるけれども、ポルノは一義的に決まらないことだ。 最近、最高裁判所は、ロバート・メイプルソープの写真をわいせつ物ではないと判決を出した。わたしは、ニューヨークの現代美術館で、彼の写真を見たことがある。 拳銃や麻薬は、それがそうであるとすぐわかる。 しかし、ポルノかどうかは、人によって違ってくる。 ドイツで暮らしたという日本人に会ったことがある。自分の子どものお風呂上がりの写真を持っていたら、ドイツ人に、「危ないから、持つのはやめろ。」とアドバイスをされ、びっくりしたと聞かされた。 所持が処罰をされるとすれば、確かに今持っている児童ポルノを人は捨てるということはあるかもしれない。しかし、そのときだって、水着だからいいと思った、ここまで写っていたらだめかなあ、わからないということがあるだろう。 所持を処罰するということは、多くの人に捜索がされる可能性があるということになるのではないか。 刑事訴訟法102条1項は、必要があるときは、捜索をすることができると規定をしている。 繰り返すが、わたしは、児童ポルノには、反対だし、もっと言えば、大嫌いだし、持つことは、決してないだろう。 多くの人に関係をしてくると思う。捜索を受けたら、どうするのかと思う。 たとえば、友人から雑誌が送られてきて、そのなかに、児童ポルノがはいっていたらどうなるだろう。単純所持で犯罪となる。友人が持ってきた本のなかにあったらどうなるだろうか。 困らせようとメールを送ってきた人がいたらどうなるのだろうか。これも単純所持になるのだろうか。自分の携帯に、児童ポルノを持っていても「単純所持」になるだろう。 言えることは、処罰の範囲が拡大をすることと処罰の範囲に争いが起きるということである。 もちろん法案のなかみにもよるけれども。 今、捜査の可視化と証拠開示がなかなか進まない。代用監獄で、同房の人を使って、自白をとったということが、最近、裁判で指弾をされた。 周防監督の映画「それでもぼくはやってない」は、日本の捜査と裁判の問題点を指摘している。ちかんえん罪の話である。 ここでも被告人が、ちかんについてのビデオを持っていることが、法廷で主張される。 マンガ・アニメに拡大することへの危惧 児童ポルノの単純所持を処罰をするのは、問題があるのではないかという文章を書いたところ、同感であるという意見を多数もらった。非常にまじめな真剣な意見を多数いただいた。どうもありがとうございます。 今日は、続きを書きたい。 質問ももらったのだが、わたしは、実物を写した写真以外のアニメやマンガを規制をすることには、問題ありという立場である。 もし規制をするのであれば、それは、児童ポルノではなく、ポルノ一般の規制のなかにも位置づけて論ずるべきである。 つまり、個人的法益の保護であって、決して抽象的な社会的法益保護の見地からではなかった。 法律の1条は、「児童買春・児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。」としている。 まさにそのことをあらわしている。 そして、対象となるのは児童であり、児童とは、18歳未満を言うと法律上された。児童買春を禁止し、処罰をするのは、それは育成途中の子どもを食い物にし、子どもの人格を破壊をするからだと考えられたからだと思う。子どもには、選択の余地がない、あるいは、極めて少ない場合が多いだろうし、買春する大人との力関係は、やはり歴然とある。 それは、大人同士の関係とは違うと考えられたのである。売春防止法は、単純な買売春を禁止をしているけれど、買春をした男性を処罰をしてはいない。 管理売春をした人間や客待ちをした女性などを処罰をしているけれど、買春は、禁止しているけれど、処罰の対象とはしていない。 大人だって、本当に選択をしているのだろうかという疑問もあるけれど、法律上は、18歳以上であるか、未満であるかによって、全く異なる扱いをしている。 児童ポルノも同様の考え方である。被写体となった子どもは、そのことによって、心の傷を負っていき、その子どもの人権が侵害されたと考えるのである。 だからこの場合の児童ポルノは、実際の写真をとられた場合、つまり、実在の子どもがいる場合とされたのである。 たまたま写真に限定をされたのではなく、このことは、法律の趣旨から規定されたのだと思う。 前述した法律の1条は、「これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。」としている。 これらの行為というのは、児童買春・児童ポルノの両方を指し、両方とも有害な影響を受けた子どもを念頭においている。 法律の構成や趣旨は、繰り返すが、実在の子どもの権利の擁護とされているのである。アニメやマンガは、念頭に置いてはいなかったのである。 あるいは、法律を作成をするにあたって、趣旨から、実在の被写体のある子どもの写真とされたのである。 もちろんわたしは、こどものポルノのマンガやアニメを見たいとも思わないし、全く好きではない。買うことも持つこともないだろう。 しかし、仮に、アニメやマンガにまで、規制や処罰を拡大をしたらどうなるだろうか。判定をする人間、最終的には、裁判官が、アニメのこの子は、19歳に見える、いや17歳くらいだろうと判断をすることになる。はっきり言ってそれは、不可能であり、かつ恣意的になる。 児童ポルノというときに、18歳未満の子どものポルノと法律は規定をした。一般のポルノは、刑法のわいせつ物の頒布、販売などで、処罰をされる。 児童ポルノは、この刑法の特別規定として、規定をされたのである。つまり、18歳以上であるか、18歳未満であるかによって、児童ポルノ法によって、処罰されるかどうかが決まる。 しかし、アニメやマンガは、どうやって、18歳未満かどうかを決めるのか。人によって、判断が全く違ってくるだろう。 豊満な体をしているが、顔は、子どもっぽいので、15歳、いや、こんな童顔の女性もいるから、18歳を超えているとなるのだろうか。判定などだれもできないし、恣意的になるし、何が、誰が正しいかなんて、全く言えない。処罰の範囲が全くわからないのである。 全く恣意的になってしまうし、処罰そのものの正しさの立証ができない。絵の人物が何歳に見えるかという愚かなことをするのだろうか。不可能なことをし、かつ、それが、処罰の対象になるということには、無理がある。 刑事法は、明確性の原理が必要である。刑罰を課すのであるから、何が処罰をされ、何が処罰されないのかということが、一般的にも明確でなければならない。 実在の人物の場合は、年齢は一義的であり、明確である。18歳以上か未満かは、はっきりする。 つまり、アニメやマンガについて児童ポルノ禁止し、処罰をするということは、一見児童ポルノを処罰をするようで、実は、ポルノ全体の処罰とならざるを得ない。境界線がはっきりしないから、必然的にそうなる。 しかし、ポルノ全体を刑法とは別に処罰をするのであれば、それはそれとして、また徹底的な議論が必要である。 人は、ひどい子どものポルノを見せられたら、ひどいと思うだろう。しかし、処罰をするということについては、とことん議論が必要である。かつてチャタレー夫人の恋人がわいせつとされた。また、境界線は、実は、あいまいである。処罰するものと処罰をされないものが、銃や麻薬のように、はっきりとはしていないのである。 アニメやマンガで描かれている女の子が、男の子が、18歳以上か、未満かはっきり言えるだろうか。 法廷で、いや18歳以上に見えると論争をするのだろうか。 しかし、捜査権限があまりに拡大をしたり、立法趣旨を超えたり、また明確でないもので、人が処罰をされるようになることは、大変問題があると考えている。 (3月23日『福島みずほのどきどき日記』) |
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