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旧経営陣の「放漫経営」二月下旬、石原東京都知事は都議会与党の自民党・公明党の幹部たちに対して、それまでの「追加出資は必要ない」という言葉を翻して、三月の都議会で新銀行東京への追加出資四百億円を認めてほしいと申し入れたことによって、新銀行東京の深刻な経営危機が初めて明らかとなった。都議会開会の前日の三月十日、新銀行東京の津島隆一代表執行役が記者会見を行い「新銀行東京の調査報告概要」を発表した。 この調査報告書は三年たらずで一千億円を超える税金が消えた原因と責任を旧経営陣に押しつけ、都と都知事の政治責任を一切不問にし、都議会の監督責任にも全く触れていない。調査報告書を簡単に要約すると次の通りである。 第一に営業担当者に対して融資実績に応じて成果手当(最大年二百万円)を支給するなど、あたかもデフォルト(債務不履行)の発生を容認・不問とするような不適切な融資が奨励されていた。 第二は、「目利きや職人芸という言葉は使うな」などと言い、時間をかけず融資を拡大するために融資先の経営分析を財務諸表だけで審査するスコアリングモデルにのみ依拠する甘い審査がなされていた。 第三に、〇五年度下半期の時点で二十四億円のデフォルトが発生していたにもかかわらず、抜本的な対策はとらず焦げ付きの発生状況を取締役会にも報告しないというように情報を隠ぺいし対策の遅れを招いた。 第四に、〇六年九月の中間決算では、会計監査法人から焦げ付きの率を想定値ではなく実績値を適用するように進言されたが応じない独善的な体制を維持した。 第五に、この結果開業から今年一月までに融資先の二千三百四十五社が破綻し、焦げ付きは累計で二百八十五億円に上った。 第六に、結論として融資によって生じたデフォルトに占める旧経営陣の責任は非常に大きい、したがって旧取締役に対しての法的責任を問うことも検討している。 だがこの「調査報告書」は、一番重要な都自身が作成した基本計画、制度設計を定めた「新銀行のマスターズプラン」については一切触れていないし、検証もしていない。さらに今年三月期決算見通しでは累積損失が千十六億円にのぼる深刻な経営危機にもかかわらず調査対象期間が二〇〇五年四月の開業から〇七年六月までになっており、、またなぜ新たに四百億円の追加出資が必要なのかも全く説明していない。 調査報告書に貫かれているのは、長い間日本資本主義とその社会を底辺で支えてきた中小企業が今日置かれている悲惨な状況と問題の深刻さを理解できず、膨大な税金を注ぎ込みただただ自らの政治目的のために利用し、かつ破産した事実にふたをし経営問題にすりかえ、責任を他人になすりつけるという悪意に貫かれている。問題の核心は「放漫経営」などではなく、右翼国家主義者・石原の「政治的破産」であり、長い間使い続けてきた傲慢不遜な都民不在のトップダウン方式の政治手法そのものだ。名実ともに「都立銀行」新銀行は石原都政第二期の中心政策として、〇三年の都知事選にむけて発案された。バブル崩壊以降、政府は「国際競争力強化」の名の下に規制緩和などの新自由主義的政策を進め、他方では大企業に対する大規模減税や大手銀行への公的資金を投入し企業の再建に奔走していた。そしてこれと並行して、政府・資本は財政危機を口実に福祉の切り捨てや賃下げが強行され、中小企業の倒産が続き、労働者の中では非正規の不安定雇用が拡大し、社会全体に閉塞感がまん延していた。これを利用して「公的資金の投入、低金利、中小企業への貸し渋り」で人々の怒りの対象となっていた大手銀行をターゲットに、ポピュリズム的手法でリーダーシップを取ろうとしたのが石原の新銀行構想であった。 石原は「(普通の銀行が)お魚屋さんや八百屋さん……そんなところに(おカネは)貸さないよ。商店街がつぶれつつあるんだから」「日本経済の負の遺産を断ち切る突破口としたい」などと大風呂敷を広げ、〇三年十一月には「新銀行基本スキーム」、〇四年三月には「新銀行マスタープラン」を策定し、「今回出資する一千億円が、やがて数兆円の値になる」とブチ上げ、都議会で新銀行設立と一千億円の出資の支持を自民、民主、公明党からとりつけた。生活者ネットは新銀行に対しては態度はとらず出資の予算には賛成し、反対したのは共産党と福士敬子さんら無所属・市民派だけだった。自民党は「東京発の金融革命」と賞賛し、民主党も「夢とロマンをもてるような銀行」と叫び、公明党は「中小企業の味方」ができると煽った。 こうして〇五年四月「新銀行東京」が開業した。それは都が一千億円を出資し、発行株式の八五%を所有する名実ともに「都立銀行」であり、石原銀行であった。当初都庁の内部には銀行ではなく融資対象が中小企業や地域住民に限られる信用金庫の設立という案も出ていたが、〇三年一月に銀行への外形標準課税の訴訟で敗れた石原は大手銀行への意地もあり、銀行の設立に踏み切ったのである。通常、信用金庫の資本金は数十億円から数百億円であり、一千億円を超える資本金は地方銀行の中位を占める規模の大きさである。 〇四年二月に発表された経営方針の指針であるマスタープランには、開業三年後には「総資産一兆六千億円、預金口座数百万、融資の保証残高九千三百億円」「三年目の決算では五十四億円の黒字」という華々しい未来が描かれている。このマスタープランに盛られた「夢」こそがその後無担保無保証融資の原因となり、財務諸表だけで審査し、「三日で審査を可能にする」スコアリングモデルに道を開いたのである。融資先が融資後半年間返済が続くと担当者に二百万円の手当が出されるというとんでもない制度もこのマスタープランから派生した。 三月十三日の都議会で共産党や民主党の都議にこの点を質問された石原は、「マスタープランを運転するのは運転手。その才覚で自動車をあちこちにぶつけて、こういう体たらく、傷だらけになっちゃった」と、一切の責任を旧経営陣に押しつけ、「私が社長であったら今ころはもっと大きな銀行にしていた」と居直る始末。だがマスタープランは石原のもとで、石原体制の第一期で港湾局長であった津島隆一が新銀行設立本部長(現代表執行役)となり、主税局長から出納長、そして副知事となった大塚俊郎(現取締役議長)、さらに都港湾局管理団体改革担当部長、都産業労働局金融担当部長、都議会局長、そして石原が財界に頭を下げてもらい受けたトヨタ出身の仁司泰正代表執行役らで策定した。どのように逃げようとも出資金、株主問題だけではなく新銀行の「業務運営の基本方針」というべきマスタープランもまた都がつくった「都立銀行」なのである。自己資本率が4%を下回る新銀行東京は開業後一年で二百九億円の赤字を出し、〇七年九月期に九百三十六億円の累積赤字となり、今年三月の決算では赤字は一千億円を超える。つまり一千億円の大半が貸し倒れや赤字で失われたのだ。だが石原都知事は三月十一日からの都議会特別予算委員会の質問に対して「清算するとなればさらに一千億円を超える負担が生じるので、いま四百億円を追加出資し、銀行経営を再び立て直すことが中小企業振興のためになる」と答えるばかりで清算の一千億円の内実にも、なぜ追加出資が四百億円なのかについても調査報告書同様に一切具体的に触れないで逃げようとしている。 だが日経や朝日新聞などマスメディアの調査で調査報告書の土台となっている資料の全貌が次第に明らかになり始めている。「今年三月期決算見込みで新銀行東京の純資産は百五十億となる見通し。不良債権の増加に伴い、〇六年九月期の純資産は七百九億円、〇七年九月期には二百十九億円、どんどん資産は減り続けている。その結果、〇七年九月期の自己資本比率は一七・三%だが、〇八年中に自己資本比率が国際決済銀行(BIS)規制で定められている国内基準四%を下回るという。その場合金融庁が早期是正措置制度に基づく業務改善命令を出すと、金融機関側は直ちに自己資本を充実させる必要がある」。石原が追加出資として、要請している四百億円は再建のための資金ではなく、「自己資本四%割れ」によって銀行業務の停止・倒産を回避するためだけのものなのである。 それでは新銀行東京の清算のためになぜ一千億円がさらに必要なのか。現在新銀行が預かっている預金残高は約四千億円である。新銀行が事業清算するとこの四千億円をただちに返済しなければならない。だが、すぐに現金化できる流動性の高い資産は三千億円しかなく、一千億円が不足する。このために短期的に大枠一千億円が必要なのである。また事業を清算すると預金保険法によるペイオフで四百七十七億円が保護の対象外となり、新たな混乱をつくり出すことは明白だ。 さらに赤字分の一部を減資する場合も最初の一千億円の出資金のうち七百億円が都債(30年返還)でまかなわれているので「地方債で費用をまかなった事業が中止された場合、一括繰り上げ返済」が定められており、残り六百三十億円がただちに追加負担となる。清算や減資をするためには再び一千億円以上の資金が必要であり、再建となるとそれを倍加する資金の投入が必要となる。都側が清算・減資・再建を口にできない理由はここにある。 三月十二日の都議会の特別予算委員会で共産党が「なぜ昨年十二月の議会で『追加出資は考えておりません』と答え、今になって突然四百億円の追加出資を出してきたのか。金融庁に相談するなり、都内の信用金庫などの金融機関に相談して中小企業救済の道をなぜさぐらなかったのか。……知事が簡単に撤退できない銀行業に十分な成算もノウハウもなしに乗り出したことこそ、諸悪の根源だ」と追及した。だが石原は議会が紛糾し、騒然となっても答弁に立たなかった。立てなかったのである。日経や朝日新聞によると都側と石原は金融庁をはじめ約十一の金融機関に救済・合併・融資の道を求めたが、そのすべてに拒否された結果の四百億円の追加出資要請だった。 新銀行の貸し倒れ分の四分の一は信用金庫に対する連帯保証であり、この約二百億円近い債権の放棄を信用金庫側はなんの見返りもなく飲むはずはない。信金は「ヤバイ」融資には都(新銀行)の担保を取っていたことは明白である。また新銀行が現在資産として計上している貸付金も現在の世界経済の成り行き次第では半分近くが貸し倒れになる可能性があり、サブプライムの負債を持つ金融機関や銀行は、「丁重に断った」のは当然といえる。先日、日米の「格付け」会社がそれぞれ一ランク・二ランク引き下げたがその理由もまた一連の経過をその根拠としている。
高金利の預金キャンペーン三月十二日、都議会の特別予算委員会で共産党は「前経営陣の責任だというならその人たちを参考人として呼ぶべきだ」と提案したが、自民・公明党が中心になりこれを否決した。ここにも新銀行の深い「闇」が存在する。 〇五年三月開業から三年間で役員十七人が辞任し、残っているのは前記した石原の代理として新銀行に出向した大塚と津島の二人だけだ。開業後わずか二年で開業時の執行役員六人のうち四人が代表執行役と対立して辞めたのだ。辞任した人のほとんどは金融に詳しく大手銀行などの金融出身者と監査法人の出身者である。彼らは「取締役会で追及しても相手にされず、進言しても聞き入れられず、ずさんな融資は改善されなかった」と異口同音に発言している。 調査報告書にあるデフォルトを容認するような融資の奨励もスコアリングモデルに依拠する融資も途中で辞めた役員の立場ではなく、進言を拒否した都から派遣された役員たちの立場であった。また役員だけでなく同じような理由で「行員も三カ月に二十〜三十人のペースで辞めた」と言われている。その多くは「中小企業を救済する」という目的に引き付けられて入社した元は金融機関で働いていた労働者であった。 トヨタ会長の奥田は「仁司(トヨタ出身の代表執行役)に責任をかぶせて、自分は責任から逃げる。許せない。これがまかり通るのはみんなが石原を持ち上げるからだ」(週刊朝日)と反撃している。旧経営陣の責任は当然であるが、都と石原はそれより重い責任の実体が参考人招致で明らかになることを恐れているのだ。 三月十三日の読売新聞によると詐欺まがいの問題融資は約八十件に上り、少なくとも融資先四社は新銀行に一度も返済しなかったと指摘している。さらに経営破綻した融資先二千三百四十五社のうち、新銀行が法的措置を講じて回収に乗り出したのは五十九社にとどまり、たった二・五%に過ぎない。つまり無担保・無保証では訴訟を起こしても回収できないことを逆説的に証明している。 なかには融資直前に事務所を開設し、二千万円を借りると夜逃げ同然に居なくなったものも数件にのぼり、まさに「借り逃げ」状態であった。これが「税金をどぶに捨てる」新銀行東京の実態なのである。これで石原と都に責任がないというのは尋常ではない。 先日「朝日」「日経」「毎日」が明らかにしたのは、負債総額の中で融資の焦げ付きを上まわつているのが、コンピュータなどの金融処理システムの開発費であり、その総額は三百億円にも達しているという。マスタープランの「総資産一兆六千億円、預金口座数数百万」という「夢」が大量の資金を注ぎ込む結果になった。新銀行は今年中に店舗を新宿店だけにするという。それは三百億円のシステムがムダになることを意味する。 また〇三年になると大手銀行は新銀行に対抗し「貸し渋り」をやめ、中小企業への融資を緩和し始める。危機感を持った新銀行は四回にわたる「預金キャンペーン」を展開し、五年定期で年利一・七%、三年定期で一・五%として預金を集めた。これがいかに破格の金利かということは国内行の平均が〇・五一〜〇・七九%であることと比較すれば明白である。新銀行の預金残高は四千億円で、このうち五割以上がこの高金利の「キャンペーン」で集めたものが占める。この利払い負担が優に百億円を超える。 いま都議会の責任問題が浮上しているがそれは監視問題にとどまらない。都議会に新銀行の経営報告がなされないことを利用し、自民党も公明党も議員バッジをちらつかせ、議員の紹介融資が繰り返されたという。それは選挙民に対する議員活動としてなされただけではなく、選挙への寄付金として自民・公明党に還流したのだ。参考人招致に自民・公明だけではなく民主党が消極的な理由は、単に民主党が設立や出資金に賛成しただけではなく、選挙資金への環流がかなりの額にのぼっているからに他ならない。 大手銀行への公的資金の投入、北海道拓殖銀行の身売り、足利銀行の「国有化」などにあれだけ活発に動いた金融庁が新銀行の問題に手をつけたくないのは、石原と対決するのを回避しているだけではなく、衆参ねじれ現象の中で自民、公明、民主党を巻き込んだ「事件」への波及を恐れているからだ。政府と金融庁の責任は重い。 石原が四百億円の追加出資を言い出して以降、これまで沈黙していたマスコミの論調は一変した。「石原は失政を認めよ」(朝日)。「『石原銀行』は幕を閉じる時だ」(日経)。「もはや『撤退』するしかない」(読売)。だがどのマスコミも石原の退陣や全数字と経過、さらに議事録の公開を要求していない。あくまでも彼らの主張は責任ではなく、幕引きなのだ。石原都政の政治的破産すでに述べたように石原は重要な政策を都議会にも諮ることなく、既成政治の行き詰まりの中で、トップダウン方式のポピュリズム的方法でイニシアチブを握ろうとしてきた。第一期では法人事業税の縮小の突破を銀行に対する「外形標準課税」の導入を方針化することでなそうとし、第二期目には今回破綻が明らかになった「新銀行東京」でそれを目指した。二〇〇七年の第三期には「東京オリンピックの開催」である。「外形標準課税」では裁判では敗訴したが、自民、公明、民主党だけではなく共産党の支持さえ取りつけ当初の目的を果たした。新銀行では「ドイツの貧困はユダヤ人が一方的に財をなしている結果である」というナチスばりの攻撃手法を用い、中小企業を救済する「正義」派として都民の多数派になろうとした。そして第三期、市民のスポーツ熱を利用し東京マラソンばかりかオリンピック開催をブチ上げ再度大衆収奪のゼネコン政治を押し進めている。 「日の丸・君が代」弾圧の最先頭を走る都教委が憲法改悪のトップランナーである極右国家主義者・石原の一方の政治的軸であるとすれば、もう一つの政治的軸が「開発優先」「外形標準課税」「新銀行」を積極的に押し進め、徹底的に福祉を切り捨て「格差社会」の形成に積極的に加担した新自由主義者としての立場だ。それは突然政権を投げ出すしかなかった安倍晋三の顔と同じだ。安倍政権はイラク特措法で行き詰まり、石原都政は新銀行の破綻でその政治的限界を明らかにしただけだ。 都議会で共産党と民主党から責任を追及されると「私はジュリアス・シーザーでもアレキサンダー大王でもない」と勝手に歴史的な「大物」(評価は別にして)と自らを暗に比較する「高慢な」政治家が他人に責任を押しつけて生き延びようとしているのだ。追加出資の四百億円は来年二〇一六年東京オリンピック開催が決まらない時に「オリンピック辞任」するまでの「つなぎ資金」といううがった見方が存在する。それは「真実」を突いていると思うのは私だけではないだろう。 いま闘う側に求められているのは、新銀行の実態と原因の全過程を都民に対して明らかにさせることだ。何度も繰り返すが新銀行の破綻は単なる「放漫経営」の問題ではなく、切り捨てられ追いつめられている中小企業問題を口実に、都民の税金を自らの政治的道具として利用しようとした結果なのだ。石原の追加出資案を撤回させ、新たに公正な第三者委員会のもとで経営情報を全面的に公開させ、「新銀行東京」の最終的破産処理をさせる闘いである。そして十年にも及ぶ石原都政に完全な幕引きを行うことだ。(松原雄二) |
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