★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK48 > 706.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080325ddm041040120000c.html
話題
正義のかたち:裁判官の告白/5 2度の再審無罪(毎日新聞)
◇自らの裁定、異例の謝罪−−終生責任負い続け
横浜駅から数駅で降り、何度か坂を上り下りした先に、目指す家はあった。閑静な住宅街の木造2階建て。今は別の表札がかかっている。かつてのあるじは元裁判長だった。
40年近く町内会長を務めた男性(80)だけが「町内会顧問をお願いした」元裁判長を記憶していた。「定年になって」と転居してきたが、現役時代のことは多くを語らなかった。数年後、新聞で名前を見つける。
<谷口さん、家族関係者に長い間ご迷惑をかけて申し訳ありません>
「財田川事件」の谷口繁義死刑囚が高松地裁で再審無罪判決を受けた84年3月の毎日新聞。再審前に死刑を言い渡した裁判長のコメントは「顧問」のものだった。
元町内会長は証言する。「あれから家に引きこもるようになってしまった。かわいそうなくらい落ち込んで……。がっくりきたんでしょう」。さらに約1年半後、「徳島ラジオ商事件」で、既に病死していた冨士茂子元服役囚が請求し、遺族らが引き継いでいた再審の無罪判決が確定。実刑判決を出した裁判長として、毎日新聞に再び名前が載った。
<死後であっても無罪判決が確定して良かった。おわびしたい気持ちはある>
その2年後、元裁判長は病死する。
両事件の再審を担当した判事たちは「明らかに証拠が足りない」「事実認定が職業的なレベルに達していない」と批判する。ただ、根拠とした証拠物の鑑定結果が科学の進歩で覆るなどの事情があったのも事実だ。
取材に応じての異例の謝罪。裁判官の鉄則とされる「裁判官は弁明せず」に元裁判長は逃げ込むことを潔しとせず、亡くなるまで悩んでいたようだ。
山田真也弁護士(72)は、徳島ラジオ商事件で元裁判長と合議した裁判官が「裁判長とは考えが違う。私たちは間違っていない」と話していたことを覚えている。また、財田川事件で元裁判長とともに死刑の結論を出した別の裁判官は「人間のすることだから結論が変わることもある。当時は最善を尽くした」と言葉少なに語った。
◇ ◇
元プロボクサーの袴田巌死刑囚(72)の再審請求が最高裁に係属中の袴田事件。1審の死刑判決文を書いた熊本典道さん(70)は昨年「無罪の心証だった」と公表した。「合議した裁判官の主張で死刑になった。2対1で負けた」と、評議の秘密さえも明かした。
当時、無罪判決の下書きを破り捨てて書き直したが、良心に反する判決に耐えかね半年後、退職した。それから40年。袴田死刑囚の釈放のため、中断していた弁護士活動を再開する意向だ。「本来、自分の考えと違っても判決の責任は負うべきだ。だが、このまま冤罪(えんざい)で死刑になれば新たな殺人に手を貸すことになると思った」
裁判員も6人が常に全員一致とは限らない。裁判員法は、役目を終えた後も終生、評議内容の口外を禁じている。=つづく
==============
■ことば
◇財田川事件、徳島ラジオ商事件
50年2月、香川県でヤミ米ブローカーが刺殺された財田川事件。谷口繁義さんが別件逮捕され、57年1月、最高裁で死刑が確定。84年3月、高松地裁で死刑囚として2人目の再審無罪に。53年11月、徳島市のラジオ店経営者が自宅で刺殺された徳島ラジオ商事件。懲役13年の実刑判決を受けた内縁の妻冨士茂子さんは服役中に再審請求。85年7月、徳島地裁で史上初の死後再審無罪が確定した。
==============
裁判員制度へのご意見や連載へのご感想をお寄せください。〒100−8051(住所不要)毎日新聞社会部「裁判員取材班」係。メール t.shakaibu@mbx.mainichi.co.jpまたは、ファクス03・3212・0635。
毎日新聞 2008年3月25日 東京朝刊
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK48掲示板
フォローアップ: