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2008年3月23日 (日)
新銀行東京への追加出資:可決が一蓮托生なら責任も一蓮托生で
見苦しく、あさましい石原都知事の自己保身
新銀行東京に対する400億円の追加出資を盛り込んだ都の補正予算案の採決が目前に迫っている。今回の追加出資について私はこのブログの2つ前の記事で、無謀無益な公金の浪費だと書いた。しかし、伝えられるところでは都議会の議席の過半を占める与党(自民、公明両党議員)は追加出資案に賛成する意向という。
ならば、今回の400億円の追加出資が、すでに出資された1,000億円もろとも毀損したとき、誰が損害賠償責任を負うのか? 事態がここまで来た今、後々の責任の取り方を見据えた議論なり住民の監視なりが必要である。
新銀行東京は石原知事自らが選挙公約に掲げて設立し、東京都が84%の出資をしている事実上の都の公設銀行である。また、設立当時、石原都知事は返済リスクが高い中小企業向け融資を無担保・無保証で行う銀行を立ち上げること自体に反対する周りの意見を聞き入れず、独断専決で同行を設立したとの証言も出ている。にもかかわらず、このところ石原都知事は新銀行東京の経営破たんの責任を旧経営陣に、あげくはその経営陣を自分に推薦した経団連幹部に転嫁するなど、自己保身に汲汲としている。その姿は実に見苦しく、あさましい。また、これに呼応するかのように新銀行東京の現経営陣はもっぱら旧経営陣に対し、損害賠償の訴えを起こす準備をしているという。
しかし、損害賠償というなら、誰よりも石原知事自身の責任を問うのが先決であるが、追加出資が都議会で可決されるとなれば、議案に賛成した議員の議決責任を不問にして済むのか?
議会で議決されたことを理由に市長を無罪にした判決
1990年に下関市が姉妹都市、釜山と下関間に高速船を就航させるために第三セクターとして設立した日韓高速船株式会社(以下、「日韓高速船」という)が開業当初からの業績不振で1年半後に運休した。これに伴って、下関市は市議会による補正予算の可決を得て1994年に日韓高速船が傭船契約の中途解除のために必要とした解決金相当額4億6,500万円(第1補助金)と、同社が地銀、信金から借り入れた融資残高相当額3億8,000万円(第2補助金)を同社に交付した。これに対して下関市民グループがこれら2種の補助金は地方自治法第232条の2で定められた「公益上必要ある場合」に該当しない違法な公金支出にあたるとし、住民監査請求の棄却を経て当時の下関市長を相手に支出相当額に金利分を加算した金額を市に払うよう求める住民訴訟を起こした。
第1審判決(山口地判平成10年6月9日)と2審判決は、範囲は異なるが訴えを認め、下関市長に補助金の損害賠償を求めた。しかし、最高裁第1小法廷判決(平成17年11月10日)は、本件補助金交付は、その支出の当否につき市議会において審議の上で可決されたものであることを理由の一つに挙げて、市長には裁量権の逸脱または濫用があったと断定するほどに不合理なものとはいえないとして原審を破棄し、住民らの請求を棄却した。
もっとも、この多数意見に対して、裁判長の才口千晴氏は、補助金交付について市長は、@納税者たる市民の負担増加に思いを致し、政治的判断を優先させることなく、これを無益な補助金であるとして議会に提出しないか、予算執行を避けるなどの決断をして経費の支出を必要最小限度にとどめる義務があった、A補正予算として議会の承認を経ていたとしても、裁判所が公益上の必要性の有無について独自に判断することを妨げるものではないという少数意見を述べた。
免責特権は議会に対する王権の介入を排除するために生まれたもの
確かに議会の議決を経て行われた補助金の交付や損失補償の履行などについて、首長個人の責任だけを問うことには私も納得できない。しかし、それは最高裁多数意見のように首長の損害賠償責任を無に帰すという趣旨ではなく、被告適格(損害賠償の責任主体としての適格性)の拡張という形で解決を図るべきだというのが私見である。
最近、行政訴訟では「原告適格」のハードルを下げる見直しが検討され、2004年の行政事件訴訟法改正にあたって、裁判所は法律上の利益の有無(原告適格性)を判断するにあたっては法令の文言のみでなく、法令の趣旨、目的を考慮するよう定めた第9条が新設された。しかし、原告適格のハードルの引き下げが強調されたのに対して、被告適格の範囲については、これまでほとんど議論がされてこなかった。
改めて説明すると、「被告適格」とは訴訟上の原告適格と対をなす当事者適格のことをいう。「当事者適格」とは、ある者を訴訟上の当事者から除くことによって、紛争の有効で妥当な解決の妨げになるのかどうか、裁判の効率化に役立つのかどうかに照らして、特定の者が訴訟当事者(原告または被告)として適格かどうかを判断することをいう。そして、その下にある「被告適格」とは、原告に法的利益を得させる上で被告とすることが必要と判断された者のことをいう。先の日韓高速船補助金交付事件のような場合は被告を行政組織(の長)に限るのか、それとも予算案の議決に加わった議員も被告にすべきかどうかが問題になる。
行政訴訟という以上、訴えの相手を行政(の長)に限るのは当然のことと考えられてきた。特に、議会内での議員の発言は院外で刑事上、民事上の訴追を受けないという議員の免責特権は、議員を相手どった院外からの刑事・民事の訴訟から議員を守る盾として大きな威力を発揮してきた。わが国では、憲法第51条で、議会内での議員の言動は議会外で責任を問われないという免責特権が与えられている。そして、この場合の「発言」は、意見の表明だけでなく、賛否の表決も含むとされ、民事上の責任とは院内の発言に起因する被害者への損害賠償責任を指すと考えられてきた。
しかし、明文上、地方議会議員には同様の免責特権は与えられていない。そもそも、1689年のイギリスの権利章典第5項第9号に起源を持つといわれる議員の免責特権は、議会での法案提出や発言を理由として、しばしば議員が国王から刑事上の訴追を受け、投獄されたという事件を踏まえて、国王からの議会の自律を確保するために生まれた制度である。そのため、フランスではすでに18世紀末から、対市民との関係で議員免責特権をどう捉えるべきかが活発に議論され、議員の独立性を強調することが自らの義務からの独立になってしまうのを警告する議論が現れた。また、「人民に敬礼」という名のもとに、対住民との関係では議員免責特権を否定する意見も見受けられた
以上、免責特権の沿革については次の文献を参照
1. 土橋友四郎「国会議員の特権――比較法的考察――」
『専修大学論集』1957年1月
2. 新井誠「フランス憲法学における議員免責特権――その歴史的・理論的位置付けについて――」
『法学政治学論 究』慶応義塾大学、1999年6月
無謀な公金支出に賛成した議員も被告席に
このような沿革を持つ議員の免責特権を住民からの訴追の盾にするのは時代錯誤である。むしろ、今回の都の追加出資のように、無謀な浪費で終わることを十分予見できる公金の支出は、それを提案した首長のみならず、その提案の可決に加わった議員も住民から損害賠償責任の訴追を受ける被告適格者とすることを避けて通れない。それによって初めて、行政に対する議会の監視を実効あるものとし、財政規律の維持、向上に議会が十分な機能を果たすことを期待できるのである。
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