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「東京新聞」筆洗より転載します。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2008031302094962.html
筆洗
2008年3月13日
作家の故城山三郎さんの『小説日本銀行』は四十六年前に発表された当時、日銀マンに快く思われていなかったという。金融政策をまじめに勉強しようとする若手行員が、出世や保身の思惑が渦巻く組織の中で、疎外されていく物語である▼戦後のインフレをめぐり<こんなに多くの人たちを苦しめる原因がインフレ、端的には日銀券の増発です。日銀券さえ増発されなければ…>と、先輩に嘆く場面がある。答えは<仕方がない。日銀には自主性が持たされなかった>と、情けない▼若手行員の上司には、日銀マンを「御殿女中」にたとえさせ、胸中で<日銀がいかに努力しても、財政の動きにはかなわない。われわれの努力には、報われる限度がある−>とつぶやかせている
▼日銀マンからすれば、無力さを批判されていることになろう。見方を変えれば当時の大蔵省、今の財務省から独立して中立性を高めよと、〓咤(しった)激励されていると受け止めることもできる
▼今となればこの小説は、強者として描かれている財務省の役人の方に、快く思われないのかもしれない。日銀の武藤敏郎副総裁の総裁昇格が、参院で多数を占める野党に「ノー」を突きつけられた。財務省で事務次官まで上り詰めた経歴によって、日銀の独立性を確保できないと判断されたのである▼日銀と大蔵省の出身者が、交互に総裁を務めていた時代にはもう戻らないように見える。「ねじれ国会」の効用と言えるのかどうか。答えは一つ。国民のことを思えば、政府と与野党が努力して、効用にするしかあるまい。
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