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(回答先: 私のした事。(裁判官の良心) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 3 月 10 日 14:01:05)
http://www.news.janjan.jp/living/0711/0711075288/1.php
「袴田事件」弁護士と元担当裁判官が「冤罪」の背景明かす 2007/11/08
熊本典道氏 会見(抜粋) (19分45秒)
熊本典道氏 小川秀世氏 会見(全て) (97分27秒)
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11月6日(火)、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で「袴田事件」について、袴田事件弁護団の小川秀世弁護士と元担当裁判官の熊本典道さんが記者会見を行いました。
袴田事件は1966年6月、静岡県清水市(現静岡市)で味噌会社の専務一家4人が刺殺体で発見され、従業員の袴田巌さんが逮捕された事件です。袴田さんは、一審(静岡地裁)で死刑判決を受け、80年、最高裁で死刑判決が確定しました。袴田さんは一貫して無罪を訴え続けています。再審請求は、静岡地裁、東京高裁で棄却され、現在最高裁に特別抗告しています。
袴田事件の一審の静岡地裁の裁判官だった熊本典道さんは、テレビで「無罪の心証があった」と告白しました。熊本さんは、日本外国特派員協会で記者会見をすることについて、「まさかこんなことまでしなければ彼を救済できないのか、非情さに憤りを感じています」との思いを吐露し、「せっかくのチャンスなので、なんとか彼の救済のために話したいと思ってやってきた」と、次のように語りました。
小川秀世弁護士(左)と、熊本典道元裁判官(右)
●熊本典道さんのお話
非情に憤りを感じています
熊本さんは、裁判官の守秘義務を破り、裁判の合議の内容を明らかにしたことについて批判の声があることに言及し、「判決以前から今日までずっと悩んでいた」と語りました。
判決を言渡した当時、司法修習生が10名いたそうです。全員、熊本さんと(考えが)一致しており、司法修習生たちは、熊本さんが判決でサインをするか、あるいはしないでやめるか賭けをしたそうです。サインをしないでやめるというのが5人、一応サインをしてなにかをやらかすと思った人が5人いたそうです。熊本さんは「司法修習生がもし裁判官であれば、圧倒的多数であの事件は解決できたと思う」と語りました。
なぜあの事件はおかしいと思ったのか
この点について、熊本さんは次のように語りました。「20日間身柄を拘束し、当時、静岡県警のエースと言われた2人が代わる代わる平均15、6時間、取調べた。弁護士の立会いなく得た自白だった。なんでこんなに長時間調べて自白をとらなければ、あの事件の捜査が進まなかったのか。直感的に審理の過程で感じた。どうしてもそれが納得できない。ほかに証拠がないから20日間、目一杯取り調べて最後に自白させた。かつてのえん罪事件の経過通りだった」。
熊本さんが裁判官になった年の前後、松川事件や菅生事件などのフレームアップ事件(政治的でっちあげ事件)があり、東京地裁で刑事の裁判官になった年の1年目に狭山事件があったそうです。熊本さんはその年の4月から10月までの約半年間、東京地裁の令状部(拘留請求を認めるかどうか決める部)に配属され、令状却下率が30%だったため、いろいろ内部で問題になったそうです。
そのとき警察や検察の捜査官と密接に触れ合い、相手がどうやって裁判官をちょろまかして令状をとろうとしているかを知り、検察庁の言うことは信用できないと思ったと語りました。当時は、検察の言うことは間違いないだろうという雰囲気が圧倒的に強かったそうです。
無罪の心証を持ったが、2対1で負けた
その後、熊本さんは静岡地裁に転勤となり、袴田事件と出会うことになりました。熊本さんのお話によると、裁判で次々と証拠が出されたが、自白を除けば被告人の有罪を立証するには至らない、関係のないものばかりだったそうです。自白以外、被告人に結びつく証拠はなかったので、有罪にはできないと思ったと語りました。しかし、3人の裁判官で合議をした結果、2対1で負けたことを明らかにしました。
「40年経ってもまだ袴田君が無罪になっていないことは残念でならない」
2対1で負けたとき、熊本さんは判決を書くのをやめて職を辞するか、どうかを選ぶとなったとき、「1人だけでも無実だと思う奴がいれば、後の時代にだれかがそのことに気づいてくれる。なんとかなると思って判決を書いた。その判決の中で俺は本当はこうだったのだとわかるような、いわばインチキな判決を書いた」と述べ、自らの思いが届かず、40年経ってもまだ袴田さんが無罪になっていないことに、「残念でならない」と現在の心境を語りました。
●小川秀世弁護士のお話
熊本さんが話してくれたことで支援の声が広がった
小川さんは、元裁判官が裁判の合議内容についての守秘義務を破ったのは法律に違反しており、その席に自分が同席するのは複雑な心境、としながらも、熊本さんの話で袴田事件に対する世間の関心が高まり、問題があるのではないかということが世の中に知られるようになり、支援の声が広がったのは弁護団としてありがたいこと、と述べました。
小川弁護士は、日本の刑事裁判について、「非常に野蛮であり、その犠牲者が袴田さんだと思っている」と語りました。袴田さんは1980年に死刑が確定し、81年に再審請求をしました。静岡地裁が棄却したのち、04年に東京高裁が棄却。現在最高裁に特別抗告しています。最高裁で3年間継続しており、再審事件としては長い方だそうです。弁護団は12月中に意見書を提出し、早ければ来年中に決定が出ることを期待していると語りました。
野蛮な刑事裁判
刑事裁判が野蛮だと指摘した理由について、小川弁護士は次のように語りました。「無実の人が警察や検察官によって自白させられ、裁判所がそれを信用して有罪にする。えん罪の典型が袴田事件です。免田事件など死刑囚が再審で無罪になった事件が4つありました。最近でも富山の強姦事件で服役した人が再審で無罪になりました。あれも自白がありました」。
さらに、日本の刑事事件の取調べの問題点について、「日本では警察や検察官の取調べが23日連続して行うことができる。取調べを始める時刻、終わる時刻に制限がない。1日何時間という制限もなく、袴田さんは深夜まで取調べを受けている。平均12時間、最高16時間もの取調べがあった」と、自白≠とるために長時間の取調べが行われていることを、明らかにしました。
いまも無実の人が自白を強要され、犠牲者が出ている
さらに、「黙秘権を行使しても取調べがある。弁護士を呼んでくれと言っても取調べは続く。弁護士は取調室に入ることができない。立会いもできず、弁護人は自由に面会もできない。袴田さんは22日間のうち3回しか面会ができず、その3回でも合計37分だった。録画や録音もない。驚くべきことに、この野蛮な制度が袴田事件が起きた昭和41年から40年以上経っている現在も存続している。そのため、いまでも無実の人が自白を強要させられ、犠牲者が出ている」と、人権無視の取調べの実態を厳しく批判しました。
この事件での袴田さんの自白調書45通のうち、44通が証拠として認められなかったそうです。小川弁護士は、「これは熊本さんが最初に書いた無罪判決がそのまま残った部分。44通の自白調書を証拠として認めなかった理由は、強制的で威圧的雰囲気があるとはっきり言っている。これはすぐれた判決だと思う」と高く評価した上で、重要な問題を含んでいたこの判決文が公表されなかったことは問題がある、との認識を示しました。
再審を却下した東京高裁の主張
小川弁護士は、最後に再審を却下した東京高裁の判断について触れたい、と次のように語りました。
「袴田さんが無実であると考える理由の1つ目は、自白が非常に変遷していたり、内容がおかしいことや、強制が明らかであること。2つ目は、重要な証拠である5点の衣類は事件があってから1年2ヶ月経って、現場近くの味噌タンクの中から発見された。5点の衣類は犯行に使われたものであり、且つ袴田さんのものであるとされたことで有罪が決定づけられた。しかし、重大な疑問点がある。5点の衣類の中に含まれていた、血がついたズボンとステテコには、(ズボンの下に履く)ステテコに広範囲に渡って血がついていたのに、ズボンにはほとんど血がついていなかった。上から下に血がしみこんでつくはずではないか、おかしいと(弁護団が)主張すると、東京高裁は犯行の途中でズボンを脱ぐことも考えられるのだからおかしくないと言った。我々はこうした判断をする裁判所の中で闘わざるを得ないのは残念である」。
質疑応答
袴田さんを取り調べた警察官に関する質問に対し、熊本さんは、彼らは真面目に熱心に職務を遂行したと思っており、いまでもテレビ局の取材に対して、一点の落度もないと言い切っている、と述べ、日本の刑事手続きは石器時代か、もしくは江戸時代であるとの認識を示した上で、日本の被疑者の取調べに弁護人の立会いができないのは、基本的に被疑者を人間としてみていないからではないか、との見方を示しました。
また、日本では被疑者の権利についての質問に対し、熊本さんは、日本の国民性につながる問題であると指摘し、今春、ロサンゼルス・タイムスから日本と外国の司法文化の違いについて質問を受けた時、「日本人が権利というときは自分のプライベートな権利、ヨーロッパやアメリカの場合は人間の権利。その違いではないか」と答えたと述べ、人権についても日本人は自分に関係のないことには無関心であり、それがこの事件が40年かかっている原因ではないか、と語りました。
DNA鑑定についても質問が出ました。小川弁護士は、日本でもDNA鑑定はあるが、犯罪の種類によって、犯行の細かい内容は被疑者の自白による制度になっている、と述べ、取調べに録画・録音をせよという声が高くなっているが、警察は強く反対しており、密室での取調べが彼らの中心であることはいまも変わらない、と答えました。
また、殺人事件の場合、客観的証拠がなくても、死体があり、自白があれば有罪にできるのが法律のシステム、とも述べました。この事件では、再審になってからDNA鑑定を行ったが、(衣類が味噌漬けになってから何十年も経っているので)DNA鑑定はできないというのが結論だったそうです。日本のシステムでは5点の衣類は裁判所にあり、裁判所が鑑定の必要があると判断しない限り、DNA鑑定ができないため、弁護団が必要があると主張しても、すぐに鑑定が実行されない点が、ほかの国と違うのではないか、と答えました。
熊本さんは、日本で刑事裁判がもめることについて、基本的な認識の問題だと思うと述べ、(容疑者が逮捕されると)すぐに犯人か犯人でないか、裁判になると有罪か無罪か、黒白はっきりしろと(世間は)言うが、人間が人間を裁くのに(容易には)黒白のつけようがない、と語りました。そして、「国(検察)がいくらこいつが犯人だといっても、それが本当かどうか、犯人といえるかどうか合理的な疑いを残さない程度に証明できるかどうかであって、犯人じゃないとそこまで言うのは裁判官に対して非常に酷だと思う」と語りました。
さらに続けて、「(検察が)合理的な疑いを残さない程度に証明できるかどうかであって、裁判所は犯人じゃないという必要ない。日本は裁判官に対してかなり大きな期待をかけすぎている。アメリカの場合、たぶんこいつが犯人ですよ、そうか、じゃ、証明できるか否かでそれ以外、裁判所は関与すべきでない(仕組みになっている)。有罪か無罪かそれ以上を言う必要はない。有罪だと言えるかどうか、それだけを判断すれば裁判の審理にとって非常に力になる。あいつはやったかどうか、それだけを判断すればいい。やっていないということに力を入れるから、余計な問題が発生する」との考えを示しました。
また、取調べで自白した場合、(裁判所が)その自白に引きずられるかどうかについて、「裁判に影響を与える。証拠として採用してはいけない自白を採用すれば、それに引きずられて有罪のほうに心証が傾く。これは人間の自然な成り行き。証拠としてどういう証拠を裁判所はとるべきか、この判断が一番難しい。間もなく始まる裁判員制度にも決定的な役割を果たすと思う」と問題点を指摘しました。
筆者の感想
熊本さんの「やっていないということに力を入れると余計な問題が発生する」という発言に大変興味を持ちました。えん罪を訴えている人たちは、自分がやっていないということを証拠を示して立証しなければなりません。
しかし、関係者の調書や物的証拠のほとんど全部を警察や検察が握っており、弁護側の要請があっても開示する義務が課せられていないため、自分たちにとって都合の悪い証拠を開示せず、都合のいい証拠だけを出してくることができます。
被疑者が無実を訴えても、その立証に大変な労苦を要することは、多くのえん罪事件の被害者が長い年月をかけて闘っていることを見れば、わかります。被疑者が本当に犯人かどうか、犯人といえるのかどうか合理的な疑いを残さない程度に証明できるかどうか。
立証責任は検察にあるという熊本さんのお話は、裁判員制度導入を控え、取調べの完全録画・録音の導入も含め、大変参考になる意見ではないかとの感想を持ちました。
(ひらのゆきこ)
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