★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK48 > 291.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
「今、日本の政治がおかしくなっていくことを感じる」と戦後の政治家、元衆議院議員野中広務氏が講演で
2008年03月09日07時43分
戦後62年、激動の歴史を刻んだ「昭和」という時代について、「今こそ、昭和史をしっかり学びなおしてほしい」と啓発活動を行う社団法人大阪市人権協会、大阪市立浪速人権文化センターは5日、大阪市立浪速人権文化センター(大阪市浪速区)大ホールで、元衆議院議員の野中広務氏を講師に迎え、「今、昭和史から学ぶこと」と題する講演会を開催した。(撮影:渡辺直子、5日) 写真一覧(2)
【PJ 2008年03月09日】− 戦後62年、激動の歴史を刻んだ「昭和」という時代について、「今こそ、昭和史をしっかり学びなおしてほしい」と啓発活動を行う社団法人大阪市人権協会、大阪市立浪速人権文化センターは5日、大阪市立浪速人権文化センター(大阪市浪速区)大ホールで、元衆議院議員の野中広務氏を講師に迎え、「今、昭和史から学ぶこと」と題する講演会を開催した。
野中広務氏は、京都府船井郡園部町(現・南丹市園部町)出身で、1925年生まれの現在82歳。大阪鉄道局に籍を置いていた1951年に園部町議会議員に当選後、33歳で、日本で初めての若い町長として園部町長に当選した。
京都府議会議員、京都府副知事などを経て、1983年に衆議院に初当選。自治大臣、国家公安委員長、内閣官房長官、自由民主党幹事長などを歴任し、現在は、全国土地改良事業団体連合会会長・京都府身体障害者団体連合会会長・日中友好協会名誉顧問などを務めているという。
野中氏は、82歳になった今、これまでの56年間の政治生活を振り返って、「運がよかったこと。根性があったこと。自分なりに努力をした政治生活でした。今、問題になっている国民年金などの変革の時に、先輩が死んだために、人が推薦してくださり、町長になり、町村会長になり、全国の副会長になりました。人とのめぐり合い、ご縁から、自分が正直にまっすぐに突っ込んでいき、そのご縁から一生つきあえるちぎりを得たのは、わたしの努力でもあったと思います。わたしは、運とチャンスに恵まれた男だと思っています。町会議員に出たのは、わたしの決断だったが、あとは、わたしが求めたものではありませんでした」と話した。
野中氏は、現在、重度障害者施設の理事長を無報酬でやっているという。これまでの重度障害者施設の取り組みについて、「障害者の方々が、わたしだけではない。こんな仲間がいるということを知り、そのことにより、障害者の方々が大変自信を持ってくれました。京都駅前の観光デパートで、障害者が作ったものを、売ってもらったことがありました。障害者の方々は、自分で働いて、お金を手にした喜びで、自信を持ってくれました。今も5つの施設をやっています」と話した。
さらに、今の日本の政治について、「今、静かに、日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。大阪は、びっくりするような状態です。失礼だが、餅屋は餅屋ですよ。人権啓発のような施設は残していかなければ。無駄はなくしても。外から入ってきて、何も知らん人が、これからどうなるのか。職員が苦労しているなあと思います」などと話した。
そして、日本の政治のこれからについて、「弱い者を助け、弱い者を励まし、そういう政治を目指していかなければならないと思います。一人の昭和を生きた人間として、大正14年に生まれたわたしが、戦後の時代62年を生きた中で、再び、戦争をしてはいけない。平和でなければいけないと思っています」と話した。
講演終了後、講演会参加者から、すぐれた政治家の条件はどのようなものかという質問があった。野中氏は、「まず、人間としての人権を守っていくことが政治の根本です。その上で、地域が連帯感を持ち、人と人が愛し合いながら町づくりをやっていく。2度と、戦争を起こす政治は、やってはならない。人が人を殺すこと。人が人を差別することがどんなことなのか、政治家は、まず、それを知ることが大事だと思います」と述べた。【了】
■関連情報
元自民党幹事長、野中広務氏が、混迷する北朝鮮問題に言及=大阪市内の集会で
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK48掲示板
フォローアップ: