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太田龍氏のサイトから:梶山静六暗殺説
http://amesei.exblog.jp/7443475/
アルルの男・ヒロシです。
梶山静六という政治家がいた。あの田中真紀子から「変人・軍人・凡人」と名付けられたうちの軍人にあたる政治家である。(注1)
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(注1)
(ウィキペディア:田中真紀子から)“ 「凡人」「軍人」「変人」 1998年7月の自由民主党総裁選挙に立候補した小渕恵三を「凡人」、梶山静六を「軍人」、小泉純一郎を「変人」と彼女が評した。梶山は旧陸軍士官学校出身。小泉は自民党の支持基盤の1つを解体すると目されていた「郵政民営化」を自身の政策の根幹に据えていたため、「自民党の異端児」と評されていた。そして小渕は官房長官当時に「平成」の改元を発表した「平成おじさん」の印象程度しかなく、国民からの認知度が低かったため。”
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元左翼活動家で現在はエコロジストの太田龍氏のウェブサイトに、梶山静六氏について、以下のような記述がある。太田龍の時事寸評から引用する。
(引用開始)
○世界史的意味を有する古典、としての本書(引用注:『民間が所有する中央銀行』)は平成七年に出版されたが、 目下のところ日本の市場で流通していない。
○しかし、日本義塾出版部で取り扱い中である。
そんな多くはないが、版元に若干の在庫は存在する。
○本書は、もちろん、マリンズの人、その全著作と共に、筆者(太田)
が発見した
○平成七年(一九九五年)に本書が出版されたとき、
○出版者の森洋氏は、かなりの部数を日本の政界その他に贈呈した。
○贈呈された人々の中の一人、当時の自民党の有力政治家、
○梶山静六。
○このひとは、本書をきわめて真剣に読み、共鳴し、感動した。
○そして、三百部を買い取り、
○関係者に、配布した。
○と、筆者(太田)は、森洋氏から聞いて居る。
○そして梶山静六氏は米国の背後の勢力(ユダヤ、イルミナティ)が、
金融ビックバン!!
のペテン的美名の下に、
○日本の金融資産の略奪の陰謀を企図していることを見破り、
○敢えて、自民党総裁選挙に立候補し、日本の首相と成ることによって、
米国の金融の勢力の日本壊滅作戦と戦うことを使命とされた。
○しかし、森洋氏によれば、
○梶山静六氏は
このあと間もなく自動車事故を装った政治的暗殺の標的とされ、
○殺害された、と。
「太田龍の時事寸評/平成二十年(二〇〇八年)三月七日(金)」
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji_index.cgi
(引用終わり)
私は、この太田龍氏の知人の森洋氏のいう、政治的謀殺説について、真偽を判定する情報を持たない。
しかし、梶山議員の死因については当時から、「その程度のことで死ぬのだろうか」と思ったことがある。
参考までに、当時の梶山氏の事故関連の新聞記事がある。これは産経新聞のもの。それを以下に貼り付ける。
(貼り付け開始)
梶山元官房長官 車で追突される 帰省先の常陸太田で
[ 2000年02月02日 東京朝刊 社会面 ]
元官房長官の梶山静六氏(七三)が三十日、帰省先の茨城県常陸太田市内で交通事故に遭っていたことが、一日分かった。太田署では当時、けがはないとして物損事故として処理。梶山氏は念のため病院で検査を受けたという。
同署によると、三十日午後五時二十分ごろ、常陸太田市の国道349号で信号待ちをしていた梶山氏の車に、後ろから同県日立市内の男性会社員(三〇)の乗用車が衝突した。梶山氏は後部座席に乗っており、東京都内に戻る途中だった。
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硬膜下血腫で梶山氏が手術
[ 2000年02月22日 大阪夕刊 総合・内政面 ]
自民党の梶山静六元官房長官が十九日に硬膜下血腫のため東京都内の病院で手術を受け、入院していることが二十二日、明らかになった。梶山氏は一月末に地元の茨城県内で追突事故にあって療養していたが、この事故の後遺症とみられる。事務所によると、術後の経過は順調だが、リハビリを含めて数カ月の入院が必要という。
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【訃報】梶山元官房長官死去 74歳 竹下派旗揚げの「七奉行」
[ 2000年06月07日 東京朝刊 1面 ]
自民党の梶山静六(かじやま・せいろく)元官房長官が六日、午後三時四十五分、閉塞(へいそく)性黄疸(おうだん)のため、入院先の都内の病院で死去した。七十四歳だった。通夜は八日午後六時から、密葬は九日午前十一時から、茨城県常陸太田市山下町一一八七ノ三の自宅で行われる。いずれも近親者のみで執り行う。喪主は長男の弘志(ひろし)氏。
梶山氏は一月末に地元の茨城県内で交通事故にあって療養していたが、二月に硬膜下血腫(けっしゅ)を除去する手術のため入院、リハビリ・療養を続けていた。
梶山氏は、陸軍航空士官学校在学中に終戦を迎え、昭和二十四年に日大工学部土木工学科卒業。三十年に茨城県議会議員に初当選し、四十二年に四十歳で県議会議長に就任した。四十四年十二月の衆院選で初当選、昭和五十一年の総選挙で落選したものの五十四年に返り咲き、当選九回だった。
ただ、今年四月二十五日に「次の任期は気力、体力においてその重責に耐えられない」として今期限りで政界引退する意向を家族を通じ明らかにしていた。平成十一年に勲一等旭日大綬章を受章した。
梶山氏は、昭和四十九年に内閣官房副長官、その後、建設、通産政務次官を経て、六十二年に第一次竹下内閣で自治相として初入閣、平成元年に宇野内閣で通産相、二年に海部内閣で法相に就任した。
八年の第一次橋本内閣では官房長官を務め、沖縄米軍基地移転問題、ペルーの日本大使公邸占拠事件などの対応にあたった。第二次橋本内閣でも官房長官を務めた。一方、党務でも要職を歴任し、宮沢政権では幹事長を務めた。
自民党田中派(当時)時代から将来を嘱望され、竹下登元首相が独立する形で竹下派(同)を旗揚げした際にも中心メンバーとして動き「竹下派七奉行」の一人と呼ばれるなど政局の節目で影響力を発揮してきた。橋本龍太郎元首相が参院選敗北の責任をとって退陣した平成十年、自民党総裁選に旧小渕派を脱会して出馬、故小渕恵三前首相に敗れた。
その後も「わが日本経済再生のシナリオ」を発表するなど日本経済の立て直しなどで積極的な政策提言を続けてきた。(3、社会面に関連記事)
「産経新聞」から
(貼り付け終わり)
以上のように、物損事故として扱われた追突事故の後遺症で、梶山氏は亡くなったという風に新聞報道は読める。太田氏もあくまで森洋氏からの伝聞という形で、梶山氏のエピソードを伝えている。
梶山氏が、ユースタス・マリンズの『民間が所有する中央銀行』(面影橋出版)を300冊買い取って配り歩いた(?)出来事と、物損事故の後遺症による死去に因果関係があるかどうか。それ以外の持病があったので亡くなったというのであれば、病死だが、気にはなる。
ちなみに、マリンズというのは、熱心なカトリック教徒で、昔はアメリカ議会図書館の司書などをしていて、アメリカの金融史の裏側を勉強してきた研究家である。非合理的な反ユダヤ思想に取り憑かれているのだが、それでもなお、彼の発掘してきた資料は貴重なものも多い。
私は、『世界を動かす人脈』の中で、このマリンズが書いた本の中に出てくる、もともとの引用文献、新聞記事まで戻って情報をチェックし、そのうち、真実だと私が確信したものだけを執筆の際の資料として利用した。
マリンズ氏は、現在も存命で、アメリカに住んでいる。ただ、必ずしも裕福な生活ではなさそうである。もともと彼はエリート教育を受けていた人である。でなければ、議会図書館(最近、ニコラス・ケイジの「ナショナル・トレジャー2」に出てきたあの図書館)に就職は出来ないだろうから。
このマリンズ、最近、翻訳書が再発された。『世界権力構造の秘密』という本である。
だから、世界史の裏に、法律的には犯罪として片づけられても、ラショナルな理屈では説明しがたい底流のような動きがある、という考え方は、私は今回の本では取らなかったが、あながち嘘ではないと思う。
私は、今回の『世界を動かす人脈』の裏テーマとして、自分で「いかがわしいユダヤ陰謀論を粉砕する」という目的を課した。しかし、世界の決めごとが閉鎖的な場で行われたり、政治家や権力者同士のつぶし合い、殺し合いが存在することを否定したわけではない。それは証拠があれば、そう書くべきであるというだけの話である。
私は、幸いにして、命を狙われたりしたことはない。梶山氏のような首相候補と、私のような、ど貧乏人、権力に縁のない人物との違いはそこにあるのかもしれない。これはむろん、仮に、梶山氏が謀殺された場合の話だが・・・。
そういえば、『梶山静六―死に顔に笑みをたたえて』( 田崎 史郎著)という本があった。ちょっと読んでみようか。
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