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日本銀行総裁の後任人事を巡る甲論乙駁は、オープン(公開)・フェア(公正)・ロジカル(論理的)の何れとも程遠い日本社会を象徴する不毛な舌戦に過ぎません。凡そ本質的でないのです。件の後任人事が財政・金融分離の原則に反するか否か、の議論の根拠が、候補者の“出自”に終始しているのですから笑止千万です。議論されるべきは“出自”でなく、“資質”の筈です。即ち、旧大蔵省なる財政部門で事務次官を務めし人物だから、“通貨の番人”たる日銀総裁には不適格、との論拠を演繹したなら、霞が関の官僚出身者は永田町の国会議員には不適格って話になります。何故って既に17世紀に、立法・行政・司法の三権分立が確立されているのですから。更に厳密解釈すれば、田中康夫に象徴される行政機関の首長経験者が立法機関の国会議員に転身するのも不適格となるのです。“出自”で制限を加えるのは、アパルトヘイトと同根です。繰り返しますが、大切なのは、件の人物の“資質”です。地位が人を育てる場合も有れば、地位が人を堕する場合も有るのです。貧すれば鈍する人物も居れば、富すれば鈍する人物も居るのです。それは“通貨の番人”に就任した歴代の人物とて例外ではなく、中央銀行たる日本銀行総裁に任命されるや程なく、公私混同の極みが問題視された市中銀行の頭取出身者も存在します。
今回、候補者として囁かれる大蔵官僚出身者も、次善の策として浮上してきた日本銀行プロパーの人物も、英国の「エコノミスト」誌で世界最悪の中央銀行総裁、と酷評された御仁の元で副総裁を務めた人物です。肝要なのは、的確な認識・迅速な決断・明確な責任を併せ持った哲学と覚悟の人物か否か、なのです。世界の市場から愛想を尽かされ続けた日本の金融政策の責任を総裁と共に負う“共同正犯”2人の何れを選ぶか、だなんて、日本は斯くも人材難なのでしょうか?況して、市井に生きる大半の人々にとっては、日銀総裁人事が政局化したところで景気が回復する訳でもなく、所詮は永田町の論理に過ぎません。財務省アパルトヘイト論を振り翳す野党も、経済界が推挙しているからと他力本願な理由を掲げる与党も、ズレまくっているのです。
通貨の番人は出自より資質を(田中康夫のメッセージ・新党日本)
http://www.love-nippon.com/daihyo_M2008.htm#113
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