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昨日の永田町徒然草で「そういえば福田首相というのは、幽霊のように存在感のない何んだか薄気味の悪い(!?)総理大臣である」と私は書いた。誇張でなく本当に私はそう感じているのである。“幽霊のように存在感のない”という点については、そんなに異論はないと思う。“何んだか薄気味の悪い(!?)”という点について説明しよう。 福田首相が何を考えてるのか誰も分からないのではないだろうか。一国の首相がいかなる考えをもっているかということは重要である。首相の考えていることがハッキリしていれば、国民は身の処し方が決められる。首相の考えに賛成であれば応援できるし、賛成できなければ反対の立場に立てばよい。ところが福田首相の考えていることはどうも分からない。野党の話をよく聴くというが、最後は衆議院の3分の2の議席で問答無用と再議決する。“大連立”などという突拍子のないことを平然と行おうとする。あの薄ら笑いで喋る福田首相をみていると、正直いって私は“薄気味が悪く”なる。 ところで安倍前首相のことが最近ニュース報道で取り沙汰される。町村派に復帰したとか、地球温暖化問題の勉強会を始めたとか。憲法改正議連では挨拶をしていた。この安倍前首相はどう呼べばよいのだろうか。表現力の乏しい私には思い浮かばない(笑)。そのことは別にして次の問題点を指摘したい。自公“合体”体制が誰をトップに戴くかは、この体制の本質を表しているということである。 名は体を表すという言がある。政治においては、まさに名は体を表すのである。政治は言葉で行うものである。名とはシンボルである。シンボル(名)はその本質(体)を表現しているのである。どちらが先かは難しいが、いずれにしても“名”と“体”は対(つい)なのである。体制のトップはその体制のシンボルである。幽霊のように存在感のない何んだか薄気味の悪い(!?)福田首相を選出したのは、自公“合体”体制である。それは自公“合体”体制が、“薄気味の悪い本質”をもっている証拠なのである。 政権をあのような形で投げ出した安倍前首相を、ほとんどの国民は無責任で出鱈目な首相と捉えた。この安倍首相を選出したのは、自公“合体”体制である。それは自公“合体”体制が無責任で出鱈目だということなのである。昨日もTBSの『ニュース23』に石破防衛大臣が出演していた。安倍前首相の最近の勝手な振る舞いを許容し、石破防衛大臣をその任に留めているのは、自公“合体”体制である。恥ずかしくないのかといいたくなる。自公“合体”体制が、詰まるところ“無責任で出鱈目な本質”をもっている証拠なのである。こういう体制が政権を取っていると、日本という国が“無責任で出鱈目な国”になってしまう。私はそう感ぜざるを得ない。 それでは、また。 |
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