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人生には勝負時・正念場というのがある。それはそんなに度々あるものではないが、その局面においてどのような決断・行動をしたかによって、人生が大きく決せられる。就職や結婚などは、一生を大きく左右する大きな分岐点である。人生のひとつの正念場だと私は考える方であった。他のことはかなりいい加減の方だったが、この二つは私に似合わずかなり考えた。その選択がどうだったと私は考えない。自分なりに真剣に考えて決めたことだから、選んだ道を真面目に歩みたいと思っている。 私は政治を職業として選んだ。そして30才から30年近く政治を職業として生きてきた。議員などに当選して議員歳費を得ていたときはもちろん、落選して議員歳費を貰えないときでも政治が職業であることには変わりない。生活費は政治活動をする中でそれなりに得てきた。私の場合には僅かながらでも弁護士報酬を得られたので、それで糊口を凌いできた。弁護士活動をするといっても法律事務所を別に構えなくとも政治事務所の中で十分にできた。弁護士として特別な努力をしなくとも最低限の収入を得ることは、政治活動を通じて依頼者が自然と来てくれたので可能であった。 要するに私は弁護士の資格をもった政治家なのである。弁護士としての仕事を依頼したい人にとっては、政治家であろうがそうでなかろうが資格を正式にもっている弁護士であれば良いのである。政治家である弁護士だから信用・信頼できるという依頼者もいるし、政治家である弁護士など怪しくて信用・信頼できないと依頼者もいるだろう。それは依頼者が決めることであって、私がどうこうできることではない。 私は弁護士であるし、政治家でもあるのだ。しかし、私は国会議員に当選した時から弁護士として法廷に立ったことはない。議員歳費を貰っているのだから、しないようにしようと思ったからである。もちろん議員歳費だけで政治活動を支えることはできなかった。政治活動を支える政治資金は政治の場で努力して集まるようにしなければならないと肝に銘じていた。そのための努力は一生懸命にした。当選して10年くらいすると必要な政治資金は何とか集まるようになった。月末が来るのが恐くなくなった(笑)。 議員歳費を貰えなくなってもう7年以上になる。しかし、私は大半の時間を政治に費やしている。趣味や道楽でやっている訳ではない。いま私がやっているようなことを誰かがしなければならないと思っているからである。政治を職業としてきた者として、それは私の義務だと思っている。いまやっていることがいずれ議員歳費等を得ることに通じると思って先行投資としてやっている訳ではない。だいいち政治には先行投資という考えは馴染まない。仮に当選して議員歳費等を得ることになったとしても、先行投資を回収できるほど政治は甘いものではない。 私が現在やっていることは経済活動としては理解されないであろう。政治とは経済活動としては理解不能なのかもしれない。実際問題として私は生活費などを得るための職業として政治活動を考えたことがない。政治活動を一生懸命にやっていれば、生活費を含めて多くの人々が支えて下さった。政治家も霞を食べて生きていくことはできない。世の中の人々もそこのところを理解しいろいろな形で私を支えて下さった。弁護士としての仕事を依頼することもそのひとつと思っている。弁護士の資格をもっていたことは幸いであった。 「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」と詠んだのは吉田松陰である。吉田松陰は松下村塾を作った。松下村塾の経営はどうなっていたのだろうか。吉田松陰も何かで生計を立てていかなければならなかった筈である。そこのところに私としては興味がある。政治家は天下国家を論じることは得意だが、自らの生計にも才があるという話はあまり聞いたことがない。“恒産なければ恒心なし”といったのは確か孟子だったと思う。私も少しは職業としての弁護士の生き方を考えなければならないと反省している。 議員歳費を貰えるということは、政治家にとって非常に大きな意味があるのである。生計などに煩わされることがないのは、素晴らしいことなのである。野党にとっては、いまが正念場である。国民から参議院に多数を与えてもらったのだから、これをおろそかにしてはならない。縦横無尽・八面六臂の戦いをしなければ罰(ばち)が当たる。私も在野で最大限の戦いをする決意である。読者諸氏も自分でできることでよいから、最大限の戦いをして欲しい。正義の旗は、私たちにある。詐欺師や強盗集団などに負ける訳にはいかない。 それでは、また。 |
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