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9.11事件のおかしさとは、言うまでもなく、原爆を食らった日本人でもなく、ベトナム侵略でやられ放題のベトナム人でもなく、なぜかイスラム教徒が報復を企てたという筋書きである。
その筋書きを私は信じなかったが、その筋書きを真に受けた者たちには、少なくとも、ヒロシマ人がナガサキ人がオキナワ人が、あのようなことをしたとしても不思議ではなかったのだという考えが脳裏に一瞬でもよぎる程度のことがあってもいいはずだとは思っていた。
『はだしのゲン』の中沢啓治はアメリカ人への報復の漫画をかいている。同様に目取間俊は小説『希望』を書いた。
その『希望』を取り上げながら、野村浩也は『無意識の植民地主義』(御茶の水書房)、<第6章「希望」と観光テロリズム>で言う。
【小説「希望」において、目取間俊は、「最低の方法だけが有効なのだ」という独白とともに、沖縄人にテロリズムを実行させる。「最低の方法」とは、テロリズムのことである。もちろん、目取間が描いた沖縄人のテロリズムはフィクションである。それに対して、日本人とアメリカ人のテロリズムは、けっしてフィクションではない。まぎれもない現実なのだ。したがって、日本人とアメリカ人は、「最低の方法」を用いることによって、きわめて効果的に、沖縄人を支配しつづけたのだといえよう。・・・】
【今オキナワに必要なのは数千人のデモでもなければ、数万人の集会でもなく、一人のアメリカ人の幼児の死なのだ】(『希望』、目取間俊『沖縄/草の声・根の意志』世織書房より)という犯行声明文を新聞社に送りつけた人物、彼の攻撃によって殺された幼児の事件でも、産経新聞の花岡信昭は親の躾を持ち出し幼児の行動?に「無念」とほざくのであろうか?
侵略軍兵士のありふれた犯罪には、ありふれているゆえ被害者側の躾を持ち出すことを思いつくクズが、あり得ないことが起きた時は何を思いつくのかは想像できないが・・・。
私はパレスチナ人の自爆攻撃を理解するように、彼の攻撃を支持はしないが理解はする。それが起きようが起きまいが・・・。
さて、野村浩也をはじめ「日本へ米軍基地を持ち帰って欲しい」という主張は、この頃よく聞かれる。沖縄を捨て石にするから日本国民は安保を支持し米軍基地を容認できる。もし、日本各地に基地が点在し、各地で反対運動が盛り上がれば日本国民は、安保を廃棄し、米軍基地を追い出した可能性さえあった。沖縄への基地集中は確かに安保を長らえさしたのである。
「日本へ米軍基地を持ち帰って欲しい」も「東京に原発を」も、中心が周辺を収奪して繁栄することへの異議申し立てだが、だからこそ中心のメディアで継続的に取り上げられることなどないだろう。
基地を本土へ持ちより、被害の辛酸をなめ沖縄の苦悩にやっと気づいてからでないと、安保に反対しないのか、基地に反対しないのか、・・・日本国民はそんな回り道をしなければ何も気づかない馬鹿で鈍感な集団ばかりなのか、と問われているのではないか?
そう書きながら、私は過去をふり返る。
1942年12月、エンリコ・フェルミの世界最初の原子炉シカゴ・パイル1号が臨界実験に失敗して、奴らが原子炉とも爆発していたら、・・・少なくとも長崎へプルトニウム原爆は落ちなかった。・・・
もしヒトラーが、もしアインシュタインが、もしヒロヒトが3つのオモチャを心配せずに日本が早く降伏していたら、もしヒロヒトが「沖縄メッセージ」を発していなかったら、もしヒロヒトが本土に基地を置くこと望まなかったら、・・・無数の「もし」のどれか一つでも変えられたら現実は変わっている。・・・要するに、もし私たちが今までとは「違う行動」を取れば現実は簡単に変わるということだ。
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