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http://archive.mag2.com/0000013290/20080225000000000.html
JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■
沖縄戦「住民自決命令」神話を覆す新証言
伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1406 ■ H20.02.25 ■ 9,570 部 ■■■■■■■
「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」という
説が崩壊しつつあることは、国際派日本人養成講座472号[a]で
紹介したが、新たにそれを否定する証言が現れた。
2月23日付産経新聞は、次のように報じている。[1]
証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸
さん(78)。沖縄戦(昭和20年3〜6月)の当初、
15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1
戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。
宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和
20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里
盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の
宮城初枝さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。
そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。
鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手に
よって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、
忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用
の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われ
われの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなけれ
ばならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避
難させよ」と命じた。
村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、
梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の
提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑
前に向かった。
同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住
民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾
薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自
決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、
解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家
族の壕に引き返したという。
宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりと
りと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いてい
た」と話す。
その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれ
ぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決
を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえら
れるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、
自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。
宮平さんは、その翌日の事もこう語った。[b]
村長の解散指示が出された後の3月26日未明、宮平さ
ん一家7人は梅沢少佐の配下にあった整備中隊の壕(ごう)
に行った。そこで、秀幸さんが中隊長の中尉に忠魂碑前で
自決できなかったことを話すと、中尉は「死に急ぐことは
ない。1人でも多く生き残るべきだ」と話し、軍が保管し
ていた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを与えられた。
宮平さん一家は第1戦隊第2中隊の壕でも、別の中尉か
ら、コンペイトウ、ミカンの缶詰、黒糖アメなどをもらっ
たという。
日本側の記録によれば、その後、いずれの将校も米軍に
斬(き)り込み、戦死している。
梅沢少佐の「われわれの役目はあなた方を守ることだ」、そ
の配下の中尉が「1人でも多く生き残るべきだ」と語りながら
も、自分たちは米軍に斬(き)り込み、戦死している所に、最
後まで国家国民を護ろうとする武人の精神が窺われる。
■リンク■
a. JOG(472) 悪意の幻想 〜 沖縄戦「住民自決命令」の神話
「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」との神
話が崩されつつある。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog472.html
■参考■
1. 産経新聞、H20.02.23、「集団自決、隊長はいさめた 沖縄・座
間味 日本軍強制説否定する新証言」、東京朝刊、1頁
2. 産経新聞、H20.02.23、「沖縄集団自決新証言 中尉『死に急ぐ
な』 軍保管の乾パン手渡した」、東京朝刊、2頁
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