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2008年02月27日
内部告発をする覚悟
朝日新聞が、25日から27日にかけて、ミートソープの食品偽装を告発した元常務の赤羽喜六さん(72)の、告発までの心の葛藤とその後の人生の厳しさを、三回連続のシリーズ「内部告発」という形で取り上げていた。
私はこれを深いため息をもって何度も何度も繰り返して読んだ。「会社はつぶれ、かつての仲間は職を失った」、「お前は会社に弓を引いた」、「自分だって途中まで見ない振りをしたじゃないか」、「恥だ、縁を切る」、「正義とはなんだろう」、「いいんじゃない、お父さんは間違っていないんだもの」
壮絶な心の葛藤だ。いばらに満ちたその後の人生だ。72歳にもなってこんなに厳しい人生が待っていようとは。
しかし私は赤羽さんに同情はしない。告発とはそういうものなのだ。すべての告発者は覚悟して告発しなければならない。告発とはそれほど重い行動なのである。割の合わない行為なのだ。
同時に私は赤羽さんを心から尊敬する。手を握り、抱きしめたいと思う。赤羽さんの告発がなければ、ミートホープの腐った肉が、血や内臓で偽装されたひき肉が、今でもそのまま消費者の口に入っていたに違いない。赤羽さんは正しい事をした。その告発が消費者を助けたのだ。
27日の朝日新聞の「人」欄に、松原泰道(100)という禅僧の言葉があった。130冊もの本を書き続け、生や死を説いているという。
その禅僧がこう言っていた。一世紀もの間日本を見てきて、今必要なものは何かという記者の質問に、こう答えているのだ。
「・・・謙虚さでしょうね。現代人はおそれを知らない。最近は、おてんとうさまより内部告発がこわいのですから」
松原禅僧がこの言葉で何を意味しているか私には必ずしもわからない。しかし私は、告発者は現代の「おてんとうさま」である、と解釈したいと思う。
説教することは誰にでもできる。後から様々な講釈を垂れる事はだれでも出来る。しかし損を覚悟で、誰もが口をぬぐっている事を言い出すことは、決して誰にでもできる事ではない。
だからと言って私は世の中の普通の人々に告発を推奨はしない。やはり尋常ではないからだ。犠牲が大きすぎるからだ。しかし、悪いと知っていながら沈黙を守る普通の人々たちは、告発者を称えるべきだ。間違っても批判してはいけない。
告発者は、我々誰もが持っている良心を、我々に代わって代弁する人だ。内なる我々なのだ。
責められるべきは、あたりまえのように不作為と保身を繰り返す政府、官僚である。捨て身で行った告発を生かす事なく見過ごし、おまけに、「余計な事をしやがって」と告発者に制裁を加える彼らこそ、おてんとうさまに詫びなければならないのだ。
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