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2008年02月25日
基本所得が保障される社会
2月17日の毎日新聞の書評欄で「ベーシック・インカムー基本所得のある社会へー」(ゲッツ・W・ヴェルナー 現代書館)という本が紹介されていた。すべての個人にミニマムの所得を保障する社会の実現を訴える書であるという。
書評を書いている中村達也氏は言う。こういう主張は、決して主流的な位置を占めることはなかった。新約聖書の中のパウロの言葉である「働かざる者、食うべからず」という労働倫理が、あまねく世の中に定着しているからである、と。
しかし、同時に中村氏は言う。実はこうした基本所得を社会が保障すべきという考え方は、すでに18世紀末以来、様々に形を変えながら、ヨーロッパではあたかも持続低音の如く語り継がれて来たと。
著者のヴェルナーはこう主張しているという。「所得を得るために不本意な雇用関係の中に身を置くのではなく、基本所得によってミニマムの所得が保障されれば、自らの意思によって自由に仕事を選択できるし、ボランテア活動など雇用以外で自らの役割を見出すこともできる」と。
実はこの考え方こそ、私が漠然と考えてきた理想的な社会だ。しかもそれは共産主義的な理想社会ではない。自由主義の社会で、なおかつ最低生活を皆に保障する社会である。
著者のヴェルナーは、ヨーロッパ全土でドラッグストア・チェーン「デーエム」を創業し、近年カールスルーエ工科大学教授に就任した異色の経歴の持ち主であるという。
私が注目したのはここだ。著者のヴェルナーが成功した経営者であるという点だ。利潤追求に奔走して勝ち抜いた企業成功者が、すべての個人に最低限の所得を社会が保障する、そういう社会が理想だと言っているのだ。
すべての個人に国が無条件で基本所得を保障する社会となれば人は怠惰に堕す、不労者による勤労者の逆搾取になる、そもそもその財源を国はどう手当てするのか、などと、議論は尽きないであろう。
私には答えはない。これ以上うまく表現できない。しかし福祉国家の究極の本質はここにあるのではないか。
世の中には成功者を目指して競争社会を勝ち抜こうとする者がいる。努力や運で巨万の富を手にする者がいる。しかしそうでない者、富や立身出世を望まなくてよい、そのかわり自由で人間的な生活ができればいい、そういう者たちが臆することなく生きていける社会、私はそれが理想だと思う。
強者や成功者が、その富を還元し、本気になって福祉社会の実現のために協力する。そういう社会が理想ではないかと、漠然と考えている。
年金制度はなくしたほうがいいと何故誰も言いださないのか
見ているがいい。もうすぐ年金を全額消費税で負担しようという議論が出てくる。年金制度を維持するためには税負担しかないからだ。あらたな税負担を行うには消費税引き上げが一番手っ取り早いからだ。おそらくそういう方向に最後は行き着くであろう。
しかしそもそも年金制度そのものが必要なのか。医療保険や最低生活を保障する生活保障制度は必要である。今まで行った返金積み立て分を返還するという意味での既得権者に対する年金給付はもちろん継続されなければならない。
しかし成人になった者に対し、年金支払いの保障もないままに年金を徴収する、そういう年金制度は直ちに廃止すべきではないか。なぜこの事を誰も言いださないのか。
そう思っていたら25日の毎日新聞が一面トップで若者の次のような言葉を掲載していた。
自給2500円で月収27万円ほど、家賃7万4000円。札幌で育ち、高卒後に上京した23歳の銀座のホステス嬢。慣れない都会生活。将来の事も考える。20歳の時に生命保険に入り、災害保険にも加入した。月々計7200円の負担。だが、国民年金には入っていない。その彼女が言う
・・・月に1万4100円も国民保険料を取られるのはきつい。それよりも年金制度が将来もあると思えない。もらえる額は減るし、私たちの頃はもらえる時期は70歳ぐらいになると思う。不特定多数のお年寄りの為に保険料を払う気にはなれない・・・
当然の反応である。その毎日新聞の記事では現在国民年金の保険料未納率は20歳代で45%にのぼるという。私は不勉強で正確な知識がないのであるが、この未納は税金と同様に違法行為になっているのだろうか。そうだとすれば20代の若者の45%は犯罪者ということなのか。それとも年金の受け取りを拒否すれば払わなくていいのだろうか。もしそうであれば今の日本の年金制度の下では誰も払わなくなるだろう。自分で老後の資金を積み立てたほうがより確実で自由であるからだ。
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