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2008年02月24日
若者よ、その怒りを国家権力の横暴に向かわせよ
護憲や平和の集会に出かけていつも感じさせられる事がある。昨日参加した集まりもそうであった。それはこの種の集まりに熱心な人たちは戦争体験をした人たちが多いことだ。
そして、そのような集まりで決まって語られることは、やがて戦争体験者が亡くなり、この国に戦争を知っている人がいなくなった時、日本の護憲運動はなくなってしまうのではないかという危惧である。
私もその危惧を共有する。しかし同時に、私には決してそうならない、という思いもある。
人間の行動に影響を与えるのは原体験である。しかし想像力によって生まれる言動が、原体験の言動を凌駕する事もある。それが人間のみが持つ素晴らしさではないのか。人間の証ではないか。
その私の思いを裏付けてくれる記事を見つけた。24日の毎日新聞「発信箱」で、広岩近広専門編集委員が書いていた。広島で最近開かれた「詩と平和」の集い参加した時に聞いた、ある詩人の言葉であるという。
「ピカソがゲルニカを描いたとき、彼はゲルニカに住んでいたわけではない」
ゲルニカとはスペイン内戦で空爆を受けた町の名前だ。ピカソのゲルニカとは、その惨状を描いた代表作の一つだ。
素晴らしい言葉である。ながく心にとどめておきたい言葉である。そうなのだ。想像力こそ人間の特権である。人間のみが持つ素晴らしい財産である。それは無限だ。それが人間を突き動かす力は原体験よりもはるかに大きいに違いない。
問題は、今の日本の状況が、そしてそれを作り出した日本の政治が、個人の想像力を奪ってしまうほどに国民を苦しめている事だ。未来の日本を背負うべき若者の可能性を押しつぶしていることだ。
日々の生活に押しつぶされようとしている若者の現実は悲惨である。それはフリーターや非正規労働者に限らない。正社員の若者もまた、それ以上に連日深夜まで働かされている。命を削って働かされている。眠りから覚めれば労働であり、労働が終われば眠るだけの生活を送っている。楽しいはずの休日が、翌日の労働を考えると憂鬱になる休日になりさがっている。
このような若者から想像力を働かせよと言っても無理だ。平和の大切さを訴えても無理だ。
かつてこの国の首相は、選挙の時には国民は寝てくれていたほうがいい、と放言した。今の指導者は、国民は政府に抵抗する気力がなくなるほど弱まったほうがいい、と考えているに違いない。人間から人間性を奪っているに違いない。
出口の見えない現状を打破するためには戦争でも起きればいい、と公言する若者が出てきた。勘違いをしてはいけない。国家権力の片棒を担いではいけない。国家権力を擁護するマスコミにおだてられ、踊らされて舞い上がっている時ではない。
若者はその怒りを正しく政治に向かわせるべきだ。怒りの一票で政治を左右する存在になるべきだ。破壊すべきは今の日本ではない。日本国民ではない。今の政治なのである。
その事に気づかなくてはならない。その一点で政治的に結束しなければならない。既存のイデオロギーや政党を全否定するあらたな政治力を作り出さなければならない。若者にその重要性を気づかせるため私はブログを書き続けている。
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