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昨日は失礼した。一昨日は久しぶりに一日中仕事をした。翌日にはなんの予定も入っていなかったので、渋谷に行って破目を外してしまった。何をしていたかは想像にお任せする(笑)。それが祟(たた)ったのだ。朝の4時半には家に戻ってニュースを観たのだから、私としてはそんなに遅くまで遊んでいた訳ではない。書くテーマも実はだいたい決まっていたのだ。それなのに・・・・。 別に風邪をひいていて頭がガンガンしていた訳ではない。酒を飲み過ぎて朦朧としていた訳でもない。だが体がどうしてもシャンとしないのである。永田町徒然草は政治的メッセージを書くものである。政治的メッセージを書くことは、大袈裟にいえば真剣勝負である。それは国会議員をしていたときの演説と同じである。自分に信念と気迫がなければ演説などできるものではない。体調が良くなければ気迫など生まれてこない。だから私はそれなりに健康には気を遣(つか)っていた。昔に比べれば今回の破目外しなど大人しいものなのだが、この様である。要するに私も歳をとったのだ。これからはそのことを頭に入れて遊ばなければならない(笑)。 今日のテーマは、首相官邸は中小企業であるということである。意外に思われる方が多いと思うが、首相官邸=内閣の中枢は総理大臣を社長とする中小企業だということである。いっぽう一般の省庁は大企業だというのである。私にこのように教えたのは、森田一前衆議院議員である。森田一代議士は、大平正義総理大臣の政務秘書官をやっており、昭和55年の衆参ダブル選挙の真っ最中に急逝した大平総理の身代わりとして急遽補充立候補し当選して代議士となった。森田一氏は大蔵省の役人であったが、大平正義氏の娘さんと結婚して確大平氏か大蔵大臣をしていたときから政務秘書官として大平氏を支えた。非常に有能な政務秘書官であった。 中小企業には個性がある。だが大企業には例外を除けばあまり個性がない。これをもっと分かりやすくいうと、中小企業は誰が社長であるかということが極めて重要な要素であるが、大企業ではそれほど大きな要素ではないということである。経済の専門家にいわせればそれは正確ではないという人もいるだろうが、この際は勘弁してもらいたい。要するに例えなのだ。私も自治省と警察庁の大臣をやったが、森田氏がいうように自治省も警察庁も誰が大臣になったも粛々と動く。フォロー体制がシッカリしているのである。 いっぽう大平内閣は大平正義というトップが交代すれば、大平内閣というのはなくなってしまう。それは単に形式だけではなく、大平内閣が掲げてきた政治理念や政治目標も変わってしまうからである。大平内閣の後を襲った鈴木内閣をみて私はそのことを実感した。鈴木内閣の後継内閣として登場した中曽根内閣は鈴木内閣とはいろいろな面で明らかに異なった。大平内閣の運営は大平総理と側近と呼ばれる数人の政治家が阿吽(あうん)の呼吸で行っていたと森田代議士は具体例を挙げながら教えてくれた。 かつての内閣は、この男を総理大臣にしたいという多くの政治家たちが命懸けで作ったものである。総理大臣になった男とこれを支えた側近と呼ばれる政治家たちの間には深い絆があった。その深い絆がなければ、自民党戦国史を生き抜き総理大臣を生み出すことなど絶対にできなかった。人間の集団だから欲得もあったと思う。しかし、それなりの理念なり理想があった。だから大平内閣には大平内閣としてどうしても譲れないものがあったのだと思う。私は昭和47年田中角栄氏が勝った総裁選の実態は知らないが、その後の角福戦争には付き合わざるを得なかった。当選して7ヵ月後にハプニング解散の洗礼を受けなければならなかったのもそのひとつであろう(笑)。 巨大な官僚組織に君臨する内閣とは、このように人間臭いものであった。人間のやることだから個性や拘(こだわ)りがあったと思う。だがそこをクリアしないと各省庁がやりたいと思っていることは政府の方針とすることはできなかった。だから各省庁は総理大臣の一言半句をシッカリと受けとめていた。それが内閣全体のひとつの方向性を作っていた。だから○○内閣というと何となくひとつのイメージが浮かぶ。同じようなことがアメリカのホワイトハウスにもいえるのではないか。現在オバマ氏とクリントン女史がデスマッチを展開しているが、それを支えているスタッフと候補者との間に人間的なものが蓄積されているのだと考える。 私が一昨日の永田町徒然草で、テレビやラジオでイージス艦「あたご」と漁船が衝突したニュースがどんどん流されていたのに福田首相や石破防衛大臣がこれを知らずにのうのうとしていたことを、“これはもう漫画だ”と表現したのはこのような考えがあったからである。福田首相と石破防衛大臣の第一次的任務は新テロ特措法を成立させることであった。そうだとしたらテロ対策(すなわち危機管理対策)くらいには緊張をもっていてよい筈である。それなのに中国製冷凍餃子問題でも今回のイージス艦事故でもやることなすことがすべて頓珍漢である。これはやはり“漫画である”としかいいようがない。いくらアニメがわが国の得意分野だとしても“政治の漫画”は止めてもらいたいものだ! それでは、また。 |
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