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2008年02月22日
組織防衛に値する組織なのか
連日報道されるイージス艦「あたご」の漁船衝突事故は、聞くに耐えない悲惨な事故である。しかしこの事故は、メディアが大騒ぎするだけでは済まない深刻な事故である。今の日本を象徴する事故である。
深刻であるという意味は、もちろん圧倒的に弱い立場にある漁業従事者たちが、絶対的強者である国家の犠牲者となって切り捨てられようとしているからである。
自衛隊という名の軍隊組織が、平和な日本の社会の中で、特権組織に位置づけられ、国民の日常生活と命をないがしろにしている、そういう日常性を、改めて我々に教えてくれたからである。
しかしもっと深刻な問題は、国民を殺しておきながらその非を素直に認めない「組織防衛の論理」が、またもや大手を振ってまかり通り、問題解決を遅らせている事にある。
政治が、みせかけの怒りや謝罪とは裏腹に、それを本気になって咎める事の出来ない、この国の「正義の喪失」がある。指導者たちの緊迫感の欠如がある。
「あたご」事故の第一報を聞いたとき、私は瞬時に88年に起きた「なだしお」事故を思い出した。
潜水艦「なだしお」が東京湾近海で大型釣り船第一富士丸を沈没させ、30名の死者を出した、あの事故である。当時私は、首相府で危機管理を担当する、内閣安全保障室の審議官であった。「なだしお事故」の対応の一部始終を内部で目撃してきた一人であった。
今振り返って瞬時に思い起こす事が二つある。一つは民間の船舶が多く浮遊している東京湾をはじめとした日本近海に、巨大な鉄の塊である軍用艦が日常的に共存しているという事実である。この現実がなくならない限り、どんなに注意しても事故の可能性を100%なくす事は出来ない。
二つ目は徹底した事故防止策の必要性である。軍と民の共存が不可避である以上、民の犠牲を最小限に抑える徹底した事故防止策を構築する本気さが必要であるということだ。
その意識が政府内にないわけではない。しかし徹底していないのだ。国家権力にまもられた組織の甘えがあるのだ。
そして、事故が起きれば真っ先に組織防衛を優先する不透明な政府、官僚の体質がある。
これらの責任は末端の職員にあるのではない。幹部にあるのだ。指導者の責任なのだ。石破大臣は、事故を早急に解決し、その直後に辞任しなければならない。それを今の時点で国民の前に宣言しなければならない。防衛省職員の前で訓示しなければならない。
今指導者に求められているのはそういった緊張感だ。与野党の政争ではない。野党の石破辞任要求の発言はまったく緊迫感が伝わってこない。
週刊文春2月21日号は、6年前に公金を不正支出したとして背任容疑で懲戒免職になった加藤好美という一等陸尉(56)が、国を相手に懲戒処分の取り消しを求めて提訴しているという記事を掲載していた。
この記事は組織防衛のために末端職員を切り捨てた防衛省幹部の罪を糾弾する記事である。背任容疑は不起訴に終わったにもかかわらず、防衛省は加藤氏を懲戒免職にした。組織犯罪を隠すためにトカゲの尻尾切りをしたのだ。
私は公金を着服したことはない、悪いのは組織的にウラ金工作をしている防衛省だ、と実名を明かして実例の数々を上告理由書に書いた、「たった一人の反抗者」は、1月に最高裁に上告したという。
これは大きな事件だ。大手新聞はまったく報道しないから我々は知らない。しかしこれは防衛省という組織の破綻を意味している。組織防衛の名の下に幹部の責任逃れが起こした破綻だ。
破綻しているのは防衛省だけではない。昨今ニュースをにぎわしている国交省や厚労省、さらには外務省、財務省、警察、検察、すべて不正が行われて来た。それにもかかわらず、真の解明は、「組織防衛」の壁の前にウヤムヤにされて終わっている。与党政治家がそれをかくまってきた。
「組織防衛」の名の下に、政府、官僚の反国民的犯罪を許してはいけない。そもそも国民生活にとって、今の官僚組織は防衛に値する組織なのか。その事を根本的に問いたださなければならない時に、戦後の日本はさしかかっているのだ。
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