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サムサノナツニハ オロオロアルキ と書いたのは宮沢賢治でしたが、サムサノフユは、どうやって過ごせばいいのでしょう。そんなことを考えてしまう、最近の寒さです。 温暖化とはいうけれど、このカンパの居座り具合はハンパじゃありませんね。(つまらぬ駄洒落で、すみません) コソボ独立宣言ところで、世界情勢に大きな影響を与えそうな出来事がありました。2月17日の「コソボ独立宣言」です。私たちの国からはずいぶん遠いし、あまり密接な交流もなかった地域ですから、それほど大きなニュースとしては取り上げられてはいません。しかし欧米諸国では、かなり危ない動きも含めて大報道がなされています。 かつてバルカン半島に、ユーゴスラビアという連邦国家がありました。東西の冷戦終結後、この地域で民族紛争が勃発。結局、ユーゴスラビア連邦共和国は、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ、そしてセルビアの6共和国に分裂してしまいました。その紛争の一因は、セルビア共和国のミロシェビッチ政権による民族主義の煽動にあったともいわれています。 コソボは、セルビア国内の小さな自治州で、人口約200万人、面積は岐阜県とほぼ同じ。そこにアルバニア系住民が約9割、セルビア系が約1割の比率で混住しています。 ロシア、中国だけではなく、EU内部にも似たような問題はあります。キプロス問題や、スペインのバスク地方の独立派、さらにはトルコやイラクなどを巻き込むことは必至のクルド民族の独立運動など、問題は山積みなのです。 帝国主義列強の爪あとヨーロッパのように地続きで多数の国家が存在している地方では、同じ国家の中に様々な民族が混住しているのは、歴史的経緯から見ても当然です。また、中東やアジア地域、それにアフリカのように、ヨーロッパ列強が植民地支配を続けていたところでは、宗主国が自国の都合のいいように、勝手に国境を線引きして決めた例が多数あります。世界地図を開いてみてください。中東やアフリカ地域では、なぜか、国境線が直線で引かれているところが多いことに気づかれるでしょう。 それが、帝国主義列強各国の植民地支配の名残りなのです。とりあえず、ここはこんな具合でいいだろう、というまったくのご都合主義、いい加減なやり方で国境が定められた地域が、たくさんあったのです。 かの名作映画『アラビアのロレンス』の背景には、列強支配下のアラビアの状況があったわけです。 そのツケが今、世界中に波及しています。最近のアフリカ各国の紛争など、その典型的な例です。 歴史を考えれば、21世紀になって多発している民族紛争や独立問題などは、やはり帝国主義列強の植民地支配にその原因があるといっていいのです。 「民族の違い」が生む憎悪それにしても、なぜこれほどまでに「民族間の紛争」は、絶えないのでしょうか。 ほんの少し前まで、隣同士で仲良く暮らしていた者同士が、ある日を境にして、壮烈な敵同士に変身する。その当人同士ですら、なぜ争うのか、なぜ憎むのか、よく分からない。 私たちから見て、これらの民族の違いなど、ほとんど分かりません。ユダヤ人とアングロサクソンの違いなど、言わなければ、当の本人たちでさえ、外見ではわからないそうです。 「シェンゲン協定」という希望一方で、新たな独立運動が盛り上がりながら、また一方ではEU統合のように、国境をなくす動きも広がっています。各民族の伝統文化や習慣を生かし尊重しながら、同時に国境をなくし自由な往来や物流を促進させる。それが、最も大切なことだし、それしか民族の共存を図る手だてはないと、私は強く思うのです。 例えば、「シェンゲン協定」というものが、ヨーロッパにはあります。これは、国家間の陸路、海路上の国境における出入国審査を廃止して、自由に往来できるようにする、という協定です。 欧州委員会のバローゾ委員長は、次のように述べています。 これこそが、国家というものを残しながら自由に平和を謳歌できる、唯一の方法手段なのではないでしょうか。 根強く残る差別意識しかしながら、民族差別、蔑視などは、“伝統文化”の美名に隠れて、いまだに人々の中に刷り込まれているようです。私たちだって、偉そうなことは言えません。 在日コリアンに対して、凄まじいほどの悪意を持って接する人々が、いまだに存在しているのが私たちの国です。 「あいつらとは文化や感性が違うから、とても一緒になんかやっていけない」などと公言する人が、いまもいます。 さらには、被差別部落の人たちなど、まったくの日本人であるにもかかわらず、いまだに就職や結婚差別を受け続けているのは、周知の事実でしょう。 植民地争奪の時代は、いちおう終わりました。しかし、いままたグローバリズムという名で、新たな経済的侵略が始まっているような気がしてなりません。 欧州「シェンゲン圏」の展望とグローバリズムとは、矛盾する場面も出てくるかもしれません。世界経済が一体化することによる地域間の経済格差の拡大。自由往来圏の拡大は、むしろそれを助長してしまいかねない、との危惧もあるでしょう。 自由が平和を招くしかし私は、「自由が平和を招来する」ことを信じたいのです。国境をなくし自由に往来することが、やがて民族の殻を突き破り、差別の芽を摘んでくれるはず。民族や国家の伝統文化を残しながら、国境が消えていく…。こんな素晴らしいことがあるでしょうか。さまざまな「民族」が隣り合って暮らしていく。 それは、あの暗殺されたキング牧師の「夢」でもあったのです。 国境という制約がなくなれば、戦争は消えます。「国境を越えて侵略することが、むしろ簡単になるではないか」という反論もあるでしょう。しかし、「国境を挟んでにらみ合う」という状況は、確実になくなります。国境がないのですから、ないものを挟んで対峙するという状況は考えられません。 それは、私たちが持っている「憲法9条」の精神にも合致することだと思うのです。 (鈴木 耕) |
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