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<多喜二の忌>死ぬまで多喜二を追慕し続けた女性、伊藤ふじ子のこと。(どこへ行く、日本。)
http://www.asyura2.com/08/senkyo47/msg/486.html
投稿者 gataro 日時 2008 年 2 月 20 日 23:20:13: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10074182181.html から転載。

2008-02-20 21:43:50
gataro-cloneの投稿

<多喜二の忌>死ぬまで多喜二を追慕し続けた女性、伊藤ふじ子のこと。
テーマ:権力からの自由/人権侵害/共謀罪


75年前の今日(2月20日)、小林多喜二は官憲の拷問によって虐殺された。

次の二句は伊藤ふじ子という女性が多喜二の忌に詠んだものである。

アンダンテ カンタビレ聞く多喜二忌

多喜二忌や麻生二の橋三の橋

小林多喜二は地下生活中も、弟の三吾と連絡をとって日比谷公会堂へシゲッティの演奏を聞きに行くほどの音楽好きだったと、澤地久枝さんが「小林多喜二への愛」(『続昭和史の女』)で書いている。小林多喜二を愛したかつてのハウス・キーパー、伊藤ふじ子は「多喜二は『アンダンテ カンタービレ』が好きだった」と語っていたという。麻生二の橋三の橋は多喜二とふじ子が暮らしていたあたりなのだ。

ふじ子が多喜二のハウスキーパーだったと聞けば、小林多喜二の「党生活者」中の「笠原」のモデルではないかと思う方もあろうが、両者はまったく違う―ようである。多喜二研究家の手塚英孝が東京新聞に「晩年の小林多喜二」を寄せている。「伊藤ふじ子の献身」の小見出しのある部分には、彼女のことを語る多喜二の目に涙が浮かんでいた様子が書かれている。

そしてこの記事(1978年2月21日付)の切り抜きをふじ子は死ぬまで、おそらく持ち歩いていたと思われる。3年あまりの間である。多喜二への追慕の気持ちは死ぬまでついに消えることはなかったのだ。

次は伊藤ふじ子の遺稿である(ふじ子の夫、森熊猛氏の提供による)。

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  鰯雲 人に告ぐべきことならず

 この句は私の師加藤楸邨の俳句で、私のために作られた様な気がして心に染みて好きな句です。人に言うべきことでない私と彼との一年間のことどもを又何のために書き残す心算になったのか、まして彼は神様的な存在で、この神様になってにやにやしている彼を、一寸からかってやりたい様ないたずら気と、彼がそれほど悲壮で人間味を知らずに神様になったと思い込んでいられる方に、彼の人間味のあふれる一面と、ユーモアに富んだ善人の彼を紹介し、彼にかわって案外楽しい日も有ったことなど書きとめて、安心してもらいたかったのかも知れません。

 元来彼はユーモリストと申しましょうか、彼の生い立ちとは正反対に、彼と一緒に居るとだれでも楽しくなるところが有りました。

 何せ四十何年の前のことで、その間戦争をまじえて生死の境を何とか生きながらえて来たことで、何分さだかでないこともたくさんあります。

 そもそも私と彼との出会いは、彼が地下の人になる一年程前のことで、あれは彼が上京して東京に住むことになった年の二月だったと思います。

 ひどく雪の降る日でした。ヤップの講演会のビラ張りの日で、新宿方面の割り当てが彼と私と京大の学生(中退?)だったM君の三人だったと思います。彼は大島の対の着物に歯のちびた下駄、たしか帽子はかむっていませんでした。

 雪は私達にとっては幸して、受持のビラを大体張り終った時は、すっかり日が暮れていました。彼は私達をさそって新宿の角筈の(当時は角筈から若松町行の市電が出ていました)その市電の始発の停留所の角に、わりに大きな飲食店が有りました。

 名前は忘れましたが、その二階が牛肉を食べさせる座敷になっていました。彼を先頭に私達はその二階の座敷でスキ焼をごちそうになりました。

 忘れもされません。色の白い彼は鼻の頭を赤くして、髪とまつ毛にまで雪をためていました。

 会計の時、彼は三尺にくるくるまるめた中から小さな蟇口を出して姉さんに金をはらいました。

 食べれ、食べれ、彼はさかんに私達にすすめて、私達に牛のにえたところ取ってくれました。

 おくれましたが、私はそのころ劇団のその他一同の一人で、昼は○大学へつとめていました。その時はそれで何となく別れました。その頃私は新宿の淀橋に住んでいました。翌日の講演会は、彼は二言三言で中止になったと後でききました。

 それからどう言うきっかけで彼と会うようになったのか、どうしても思い出せないのですが、よくお茶をごちそうになったり、彼の小説の原稿を(の?)清書を私の知人の女性にたのんであげたりしました。当時彼は大学ノートに原稿を書いていました。

 その時も面白いことが有りました。彼と高田の馬場の駅の階段を上がっていました。すると二段上に下駄の歯が落ちていました。彼はそれをひろって自分の下駄に合わせてみるのです。私は腹をかかえて笑いました。だって階段の二段上に有った歯が下にいる彼のもので有るはずがないではありませんか。

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以上は惜しくも未完である。だがそれにしてもよく残された。

(澤地久枝著「続昭和史のおんな」から抜粋脚色したもの)
    

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