★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK47 > 444.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 「消費者庁」議論は自己責任社会を前提に――モンスター化する消費者 − :IT-PLUS 投稿者 児童小説 日時 2008 年 2 月 18 日 23:51:34)
民主主義やネット社会は愚衆国家を生じさせる危険をはらんでいる。
それを防ぐのは、国民の一人一人を主権者として尊重し、国民全体に主権者としての判断力を育てるような主権者教育しかないのではないか、と、たけ(tk)は思う。
* 愚かな民衆による支配のほうが、愚かで危険な世襲支配者による支配や、愚かで強欲な特権階級による支配よりは、ましである、とも思う。
−−−−
http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/touhentuihou.htm
陶片追放
ルネサンス80
なぜ「正義の人」が追放されたか
私の若き日の愛読書に「プルターク英雄伝」がある。そのなかに、古代ギリシャの指導者アリスタイディーズ(紀元前五二〇年ごろ〜四六八年ごろ)の伝記がある。彼は清廉で私利私欲なく、「正義の人」として有名であった。その彼が、アテネから追放されてしまった。しかも、人々の投票によって追放されたのである。「民主主義の模範」とされたアテネに、いったい何が起こったのだろうか─。
そのころ、「独裁者を防ぐため」という名目で、その危険があるとされる人物の名前を投票する制度があった。陶器の破片に名前を書いて投票したので、「陶片追放(オストラキスモス)」と呼ばれる。〈古代ギリシャの都市国家で、政権を独占した支配者・借主の再現防止のために創設された。アテネでは前四八七年ごろに初めて適用され、次第に政争の具と化した〉
古代アテネの教訓
「嫉妬社会」は衰亡
賢明な民衆は「正義の人」を支える
「人を尊敬する心」を失い民主国家が衆愚国家へ
人々が投票しようとしていたとき、「正義の人」アリスタイディーズに文盲(読み書きができない)の男が近づいてきた。自分で字が書けないその男は、本人(アリスタィディーズ)と知らず、「ここに、アリスタイディーズと書いてください」と言った。「正義の人」は男にたずねた。「彼(アリスタイディーズ)は、何か、あなたに悪いことをしましたか」男は答えた。「いいや迷惑なんぞ一つだってありゃしない。当人を識ってもいないんだが、ただどこへ行ってもあの男が正義者正義者と呼ばれるのを聞きあきたまでさ」(鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』3、潮文庫)
“今まで何の迷惑も受けていない。会ったこともない。しかし、あまりにも評判がよいのが気にいらない”─。要するに「嫉妬」であった。
「正義の人」は、黙って自分の名前を書いて、男に渡した。そして、追放された。〈前四八三年〉
栄光の「民主社会」は、完全に「衆愚社会」に堕していた。伝記作家プルタークは書いている。「最近の戦勝によって思いあがりうぬぼれきった民衆の心は、自然に通常以上の名声を有するすべての人にたいする嫌悪の情をいだいた。それゆえに四方よりアゼンス(注─アテネ)に集まった彼らは、アリスタイディーズの名声に対する嫉妬に専制忌怖の名目を与えて、彼を貝殻追放(注─"陶片追放)に処した」(同)
国が栄えているので、アテネの民衆は、「自分たちは大したものだ」と、うぬぼれ始めた。ゆえに、人を尊敬する心を失った。自分が一番偉いと思い、「乱視眼」になった。何も正確に見られない。
少しでも抜きん出た人物が出てくると、評価するどころか、嫉妬し、足を引っ張った。要するに、アテネは「嫉妬社会」「嫉妬国家」と変わった。
「独裁を避ける」という名目をつけて、嫉妬ゆえに「正義の人」まで追放した。ゆえに、人物はいなくなり、栄華を誇ったアテネは、次第に没落していった。
〈ギリシャ世界の覇権を競ったペロポネソス戦争(前四一:年〜)でアテネは前四〇四年、スパルタに全面降伏。アテネの栄光は幕を閉じた〉
嫉妬の社会は滅びる─この歴史の教訓から何かを学んでいただきたい。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK47掲示板
フォローアップ: